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パラダイムシフトと自己変化

こんにちは、新城です。当たり前だったものが、当たり前じゃないと思える。それは、パラダイムシフトの渦中で感じることのできる、とても重要な感覚です。今回は、オフィスがいらないんじゃないか、という記事について、2年前にあった記事もふり返りながら、変化の中での姿勢について書いてみます。

オフィスっているの?

在宅ワーク、在宅勤務、テレワーク、呼び名は様々あれど、通勤することが仕事の一部から外れた状況が一気に加速しています。それにともない、固定費の大きな負担ともなっているオフィスの存在時代を見直す動きも始まっています。

この記事をみて、2018年の夏に、下記の記事が掲載されていたことを思い出しました。

僕もコンテクストデザイナーとして関わらせてもらっているMistleote。コレクティブインパクトコミュニティとして、これからの社会を考えるMistleote自体が、旧態依然とした働く環境でよいのか。そうした考えから、一気にオフィスをなくし、雇用形態も大きく変えました。その経緯が、このインタビューに収められています。2年前の夏のことです。

理解と実行の隔たり

当時、僕のまわりでも、この記事を読み、概念としては理解してくれた方々も、実際にオフィスをなくすところまで踏み切った人は皆無でした。オフィス解約とまではいかずとも、リモート勤務を主軸におくくらいはできたと思うのですが、それすらも実現できたところはありませんでした。「いいね」と理解を示すことと、自分がそれを実行することの間には、とても大きな隔たりがありました。

公教育のアップデートを目指す、東京学芸大学とMistletoeによる「東京学芸大Explayground」の営みでも、学校の新たな形の議論はたくさん重ねられています。2年前には、EDUAIというAI時代の教育を考えるプロジェクトの発足にも関わり、そこでもオンラインコミュニケーションやセンサーや解析技術も含めた様々なこれからの世界の議論を重ねてきました。しかし、それでも、社会実装に至るまでには、まだまだ時間がかかりそうでした。

激動の中の社会実装

ところが、ここにきて、一気に、それらが動き始めました。いままで「いいね。それはいいね。できたらいいね」だったことが、「やるしかないのか」「やってみるか」「やれるかも」「やれるじゃん」というように、少しずつ風向きが変わってきています。そんな中でも、「全員が」とか「例外なく」とか「あまねくすべての」という平等性を求める価値基準が、激動の中での社会実装を阻むことがあります。

「変わりたかったけれど、変われなかった」と思うなら、少しずつでも、変化を生み出していくことが大切だと思うのです。いっぺんにすべてを変えることができなくとも、どこか一部でも変えてみれば、その後、全体が変わっていくきっかけに、その最初の一歩になるのだと思うのです。変化を求めるならば、このチャンスを逃す手はないと思うのです。

環境変化の力を利用した自己変化

それは、組織としてだけではなく、個人の生活についても同じことが言えるのだと思います。副業などリスク分散した働き方や、仕事以外の社会との関わり方の形成、切るに切れなかった付き合いの清算、悪癖からの脱却などなど、個人でもたくさんの変化を起こすきっかけにできるのではないかと思うのです。変えたいなーと思いながら、なかなか変えられなかったこと。誰しも、ひとつふたつはあると思います。ありますよね。僕はあります。

僕もまた、明日がどうなるか思い煩うこともありますが、それよりも明日をこうしたいと想い描くことで、そこに少しでも近づけるように生活したいと思います。本当に様々なことが変わっていくチャンスなのだと思いますし、またチャンスにできるかどうかは、生きている僕たちにかかっているのだと思うのです。

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