学校をスローな学びの場に〜プロジェクト型学習の先にある真に主体的な学びとは
虎ノ門のビジネススクールで、日々、「学びのイノベーション」に関わろうと奮闘しています。そこには、「学校法人という枠組み」の持つ、「学術的アプローチ」ならではの強みと、「重くて古い枠組みならでは」のイノベーションを遠ざけてしまう弱みの両方があります。修士論文という型にも、カリキュラムや授業という型にも、先生と生徒という関係や成績という仕組みにも、それら両面の良し悪しがあると思います。学校という場のアカデミックな価値を活かした上で、どのように「学びの構造」を進化させていくことができるのでしょうか。
鎌倉スクールコラボファンド
次の記事では、鎌倉市の教育委員会が「鎌倉スクールコラボファンド」をつくり、思い切った探究教育を可能にしたことを報じています。具体的には、ふるさと納税の制度を活用し、これまでに約2600万円を調達し、豊かな人材・NPO・企業・大学とのコラボレーションによって、子どもも教職員もワクワクするような教育活動が生まれたといいます。
記事には、「鎌倉市教委は本施策に限らず、学校への指示・命令のような管理型リーダーシップではなく学習者を中心に考え、学校を支え・助け・励ます伴走型リーダーシップを目指している」とあり、従来のトップダウンの教育から、そのあり方を大きく変革していることが伝わってきます。
このようなクラスを飛び出した「プロジェクト型学習」は、その後のアンケートで効果が実証されていて、「自分たちが動くことで地域や社会が変わっていくと思う」とする割合は38%から81%に、「SDGsは遠い世界の話ではなく、自分とつながりのあるものだと感じている」割合は26%から93%にそれぞれ上昇したといいます。
鳥籠の中のアクティブラーニングを超えて
過去を振り返ってみます。次の記事は、「2022年度から高校で始まった新科目『公共』の授業づくりに教員らが試行錯誤している」と伝えています。この記事の中で、「多くの現場で『どのように授業を構成するかイメージできない』(都立高の教員)という戸惑いが聞かれる」と書かれていることからも、鎌倉市の実践と比較するならば、この2年間で、探求教育の幅が大きく広がっていることを感じさせてくれます。
未来の学校は生徒の不満から生まれる
以前、静岡県牧之原市のいくつかの高校で「ファシリテーション」の授業をしたことがあります。高校生の興味を引き出すために、授業は「学校の嫌なところ」を聴き合うところから始めました。「不満」から始めることの面白いところは、必ず「自分ごと」とつながっていることです。
たとえば「校則がウザい」と一人の女子が言いました。それを「前向きな問い」に変換することを考えてもらいます。「前向きな問い」とは、その問いについてアイデアを出した際に、「自分自身が解決者になり得る」問いであると伝えます。彼女たちは、その場で、「どうしたら先生が校則をゆるくしたくなるだろうか?」という問いを生み出しました。
この問いに対してアイデア出しをしてもらい、自分達で選んだベスト3のアイデアが、「問題を起こさない」「マナーを守る」「テストの平均点を上げる」だったから驚きです。「校則ウザい」から始まったのに、先生が校則をゆるくできないのは、自分たちが問題を起こしたり、マナーを守らなかったり、テストの平均点が低いからだと自ら考えたわけです。
このことは、決して奇跡的な出来事ではありませんでした。その他のグループも、みんな同じような気づきとワクワク感を得ることができたのです。
しかし、「学校は自分たちで変えられる」という高揚感に溢れたところで、最後に、この授業を見学していた先生からこんなコメントがありました。「みなさん、いつもの授業もこのくらい一所懸命やってくださいね」。
私は、先生方から「今日のみんなのアイデア、ぜんぶ一緒に実現していこうぜ!」というコメントを期待していましたので、びっくりしたことを覚えています。
学びを「ファスト」から「スロー」へ
今の学校は、より良い「次」を勝ち取るための手段になっています。良い会社に入るために良い大学に行き、良い大学に行くために良い高校に行き、良い高校に行くために良い中学に行きます。
私は、こういった「目的に向かって最短コースをとる」ことを「ファスト」なアプローチと呼んでいます。その逆の「スロー」なアプローチは、「自分の心の声を聴き、ほかの人たちの声を聴き、ほんとうに大切だと思うことに取り組む」ことです。
クラス内の学習がファストで、プロジェクト型学習がスローと決まっているわけではありません。クラスの中でも、哲学対話のような答えのない課題を自ら考えることはスローですし、逆に課題を与えられて答えを見つけるようなプロジェクト型学習はファストになりがちです。
禅の教えのような話になりますが、「これをすると、こう役立つ」という思考の中に、ほんとうの学びはありません。たんに過去に確立された方法論を自分でも試してみているに過ぎないからです。旅行に行って、観光地の映えスポットに直行して「みんなとおんなじ最高の写真」を撮るような体験になります。
いま私がトライしているのは、一連の授業が終わった後に、そのままのクラスを非公式に維持し、生徒たちが主体的に学び続ける場の運営です。ポイントは、たんなる自主勉強会にせず、教員自身がそこにフラットに参加し、ともに学ぶ姿勢を崩さず、一方で任せっきりにもせずに積極的に提案をしていくことだと感じています。
「こう役立つというファストな授業」を超えて、「バックパッカーのような気づきを得るスローな授業」へのシフトは、いま始まったばかりです。このような授業の効果測定手法も必要でしょう。そして鎌倉市のようなスクールファンドも必要になるでしょう。
授業もプロジェクトも、既存のファストの枠を超えられることを信じて。