見出し画像

貯蓄は「マグマ」か「重荷」か

2月19日、日米欧の主要7か国(G7)首脳会議がオンラインで開催されました。会議後の首脳声明では「2021年を多国間主義のための転換点とする」と明記されたことのほか、気候変動問題への協調姿勢など、トランプ政権との対比が鮮明化されたことに注目が集まりましたが、今次危機に対する経済対策に関して「過去1年にG7全体で6兆ドルを超える前例のない支援をしてきた」とされ、「雇用を守り、強固で持続可能で均衡ある経済回復」を実現するためにさらなる経済対策を講じる決意が示されたことも見逃せません。というのも「当面、政府部門が経済をけん引するかどうか」はアフターコロナの世界経済を展望する上で極めて重要な論点となるからです:


昨年のnoteへの寄稿(以下)でも議論しましたが、パンデミックを受けた世界経済では「お金を使わないことが正義」が先に立ち、貯蓄・投資(IS)バランスにおいて家計部門や企業部門(両部門の総称を以下民間部門と呼ぶ)が貯蓄過剰主体としての際立った存在感を見せてくる恐れがあります。ISバランスとは一国経済全体における投資と貯蓄のバランスを経済主体(家計・企業・政府・海外)別に把握することができる計数である。その国の資源配分がどうなっているのかを簡便に把握できることもあり、筆者は分析上、常に重視しております:

話を現在に戻しましょう。足許では「民間部門の貯蓄過剰」が強まっているのですが、定義上、その裏側では「政府部門の貯蓄不足(≒財政赤字)」も強まることで均衡が図られ、経済活動の底割れが防がれることになります(皆が貯蓄していたら景気が大幅に失速してしまいます)。2020年の主要国では、こうした「民間部門の貯蓄過剰 vs. 政府部門の貯蓄不足」という構図が浮き彫りになりました。後述するように、それはバブル崩壊後の日本、欧州債務危機後のユーロ圏が陥った罠でもあり、需要不足に根差した物価の低迷、結果としての金利の低位安定に至る話です。中央銀行のゼロ金利、国債利回りの低位安定、量的緩和、低迷する物価などは「日本化の象徴」として引用されやすいものですが、それはあくまで「民間部門の貯蓄過剰」の結果です。過剰な貯蓄があるからこそ、消費・投資意欲を十分に引き出せる金利(自然利子利率ないし潜在成長率などとも呼ばれる)が低下しているという事実を理解したいところです。

なお、2020年の日米欧で「民間部門の貯蓄過剰 vs. 政府部門の貯蓄不足」が鮮明に出たのが米国でした。2020年の米国と言えば、GDP比で20%に及ぶ財政出動規模が実行され、その中身も「就労意欲を削ぎ、長期労働者を逆に増やす」と懸念されるほど手厚い失業保険など、直接給付型の方策が注目を集めました。ISバランスにおいて「民間部門の貯蓄過剰、政府部門の貯蓄不足」という構図が出たのは必然の帰結でしょう。

貯蓄は「マグマ」になのか?
こうした貯蓄過剰を「マグマ」と見立て、停滞期脱却後の燃料と見なすような論調も増えています。現在、米国においてアフターコロナにおけるインフレ高進を懸念する議論が活発化していますが、抑圧されている民間部門の貯蓄が唐突に消費・投資活動を押し上げるのではないかという半ば期待混じりの先行き懸念は最近よく目にするものです。米国におけるインフレ論争は以下のnoteでも取り上げました:

なお、2月21日の日本経済新聞電子版は『たまる消費の反発力 貯蓄率、日米欧で最高水準』との記事を報じており、やはり貯蓄を「反発力」と見なす論説を掲載しています。確かに、今回は人為的に経済活動を制限した結果の貯蓄急増でありますので、2020年に見られたようなISバランスの構図が半永久的に続くとは思えません:


しかし、かつての日本の経験に照らせば、バブル崩壊という強いショックを経て、企業部門がリスクテイク能力を失い、民間部門全体で貯蓄過剰が強まったことは思い返したいところです。日本では1990年代に入ってから、企業部門が貯蓄不足主体から貯蓄過剰主体へとにわかに切り替わっています。バブル崩壊を経て需要不足に陥り、期待成長率が低迷する中、有望な投資機会が失われた結果と考えられます。いや、有望な投資機会はあったはずなので、ショックで毀損した財務や心理の状況を踏まえ、投資機会を発見する能力ないし発見しても実行に移す能力が低下していたという表現の方が正確なのかもしれません。いずれにせよ、バブル崩壊を経て、成長率が慢性的に低迷し、物価も上がらなくなり、金融政策が「流動性の罠」に陥ったという事実は周知の通りです。この意味で蓄積する貯蓄を「マグマ」として前向きに捉えるのか、日本化の兆候として警戒すべき「重荷」なのか、対照的な視点で見ていく必要があると考えます

実はこうした日本経済と似たような道をユーロ圏も辿っています。2008年9月にリーマンショックを伴う金融危機を経験した約1年後、欧州債務危機も併発することになりました。金融市場で欧州債務危機が話題に上がらなくなった2013年頃まで、実に4年間、ユーロ圏の政治・経済・金融情勢は塗炭の苦しみを味わいました。この結果、2008年9月以降、ユーロ圏でも企業部門が貯蓄過剰主体に転じ、以後、それが常態化するようになってしまいました。「強いショックは企業行動を変えてしまう」という日本の経験はユーロ圏でも概ね実証された感があります。欧州債務危機自体は2013年に概ね収束しましたが、その後も域内の賃金・物価は低迷したままであり、2014年6月には本家である日本よりも先にマイナス金利導入に踏み切りました。2018~19年にかけては再び貯蓄不足主体へ回帰する兆候も見られたが、今回のショックで再び貯蓄過剰主体に引き戻されています。今のユーロ圏の雰囲気を見るにつけ、企業部門が景気のけん引役になるのは当分難しそうです。

米国企業は今回も踏ん張れるのか?
同じ道を米国も辿るのでしょうか。日欧と異なり、米国は現時点のインフレ期待も力強く、リーマンショック後も複数回の利上げを敢行できた国なので「民間部門の貯蓄過剰」を起点とする日本化現象とは縁遠い可能性はあります。そこで米国のISバランスに目をやると、サブプライムショックを境に家計部門が、リーマンショックを境に企業部門が貯蓄過剰主体に転じたことが分かります。その後、家計部門の貯蓄過剰は不変ですが、企業部門は均衡もしくは貯蓄不足主体として景気をけん引する動きを示してきました。企業部門は踏ん張れたので「日本化圧力を半分は乗り切った」という評価で良いかもしれません。しかし、2020年に入り、企業部門は再び貯蓄過剰主体に転じました。もちろん、2020年の動きは不可抗力ですが、今年、再び貯蓄不足主体に戻るような動きが見られるかは目先の状況を超えて、米国経済を中長期的に占う上で非常に重要なポイントと考えられるでしょう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?