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「うまくまとめられた情報」が全てではない、ということ

世の中には情報やニュースがあふれています。しかし、何かを「知る」ことだけで満足し、それで十分だと思い込まないようには気をつけたいものです。人がまとめた情報を短時間で仕入れただけで、「自分はなんでも知っている」と勘違いしてしまうのは、かなり怖いことだと思っています。

実際、何かの記事を読んだけで、その世界のことをすっかり理解した気になってしまう人はいます。これでは、いわゆる評論家タイプになりかねません。現場における実際の難しさを理解せず、単に自分が知っていることだけを引用して、何でも上から目線で批判することは避けたいものです。

確かに、ものごとを「大枠で捉えておく」ことはとても重要だと思います。しかしそれだけで十分だと考えていると、いずれ大きな失敗を引き起こしてしまう可能性があると思うのです。


あの東日本大震災から、もう11年が経ちました。筆者は、東南アジアで防災系NGOの活動に関わっていたこともあり、「どのように災害を防ぐか、そして起こった災害からの被害を減じるか」については、今でも仕事や生活の中で常に考え続けています。

そこで戒めなければいけないのは、例えば災害に関する記事などを読んで、「それがすべて」だと思い込んでしまうような姿勢だと思います。震災や復興現場での経験も十分でないのに、本やレポートを読んだということで、「自分はかなり詳しい」と過信してしまうようなこと。

実際、防災NGOの一員として、これまで国内やアジアで開かれた多くの研究会やシンポジウムに参加してきましたし、防災に関する書籍なども多く読みました。もちろん、いくつかの現場にも支援に行きました。しかしながら、大きな災害というのはずっと起こり続けているわけでもないので、実際の現場に駆けつける機会はそれほど多くはありません。

だから、現場に行くたびに、書籍で読んだ情報や知識だけでは全然足りないと実感します。そして勉強し、経験すればするほど、それをますます強く感じることになるのです。


読んだり勉強しただけのことと、実際にやってみることに大きなギャップが生じるのはなぜでしょうか? それは、「文章としてまとめられた情報には、現場で発生したありとあらゆる細かい事象が削ぎ落とされてしまっている」からです。

たとえば、100ページもある災害復興の報告書はかなりのボリュームに思えます。しかし、仮に復興現場で起こったことを「すべて」文字に起こそうと思った場合、本当は100ページなどではまったく分量が足りないのです。


文字情報というのは、細かい部分をかなり削り、かなり話を絞った「読ませるストーリー」として編集しなければ、読んでも理解が難しくなります。だから、具体的な部分の多くは削ぎ落とされ、一部のみをクローズアップしたものが、最終的に文字に残された内容になるのです。

しかし、ついそのことを忘れ、「書かれていることがすべて」との勘違いは起こしやすいものです。「無知の知」はとても重要な考え方ですが、残念ながら、人間はすぐに自分を過信してしまう存在です。

文字で読んだことだけをもって、「すべての事実」を理解したという気持ちになりがちですが、実のところ、文字に残されるのは、全事象のうちのごく一部にしか過ぎないことが多いのです。


「現場を知る」ことの大切さ

だからこそ、ある分野のことを実際に詳しく知る必要がある場合は、なんらかの形で「自分も実際にやってみる」ことが大切だと思います。いざやってみると、文字には残されていなかったような、「想定外」のことに大量に出てきます。

しかしながら、それらの想定外の細かい課題や対処法こそが、実際にやったことのある人だけが知る貴重なノウハウや知見になるのです。これらは、本や文章に残すには些末すぎることが多く、なかなか文字には残りません。しかし、「具体的なこと・細かいこと」を知っていることこそが、現場を知る人の本当の強みだといえるでしょう。


あらためて自戒を込めてですが、「この分野についてはまとめを読んだから自分は詳しい」とは思わないようにしたいと思います。そして、現場でさまざまな困難に向き合う人々を、軽々しく批判しないようにしたいと思います。

そのような意識を強く持つことにより、人々の間により多くの尊敬と互いに尊重する心が生まれ、社会の課題の改善も、よりスムーズに進むようになると思うのです。

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