
漢字に込められた「しあわせ」の本当の意味は?
「しあわせ」とは、漢字で「幸せ」と書きますね?
では、「幸」という字はもともと何から発生しているか、ご存じですか?
「手かせ」つまり「手錠」の象形であると言われています。手錠でつながれて不自由な状態がしあわせというのは一体どういう意味なのでしょう?
この解祝については、諸説あり、確かなことはわからないそうですが、「手錠をはめられている状態から解放されると幸せだから」という説もあります。随分と乱暴なこじつけだと思います。
ところで、「幸」に「丸」と書くと「執」になります。「執」という漢字を使った熟語には、「執着」「固執」など、あまりいい意味は感じられません。
そもそも、この「丸」という漢字は、ひざまずいて両手を前に差し出す人の姿を現します。差し出した先が「幸」という手錠ですから、これはどう考えても、逃げられない不自由な状態にさせられた人間を表しているでしょう。どうも「幸」という字はあまりいい意味ではないようです。
しかし、ある意味では、幸せというものは、そうした一見「不自由な状態」に置かれてこそ見つけられるものという解釈もできます。
夏目漱石の言葉にあるように、人間は「自由を得ると不自由を感じる」という矛盾した生き物でもありますから。
とはいえ、実は「幸せ」という表記になったのは江戸時代以降の最近の話で、元々は「仕合せ」と表記していました。中島みゆきの「糸」で使われているのも、この「仕合せ」という漢字です。
「仕合せ」とは、さらに語源を辿れば「為し合わす」でした。
「為す」とは動詞「する」で、何か2つの動作などを「合わせる」こと、それが「しあわせ」だという意味です。そう考えると「幸」よりも随分いい意味だと思いませんか?つまりは、「複数人で何か行動を一緒にする」こと自体が「しあわせ」ということであり、元々は動詞であったことから、「しあわせ」とは状態ではなく「しあわせる」という行動そのものだったことがうかがえます。
結婚や就職、さらにはお金を所有しているという状態にしあわせはありません。結婚にしても、就職にしても、そこで誰と何をするのかがしあわせなのであり、お金や時間に関して言えば、そのお金と時間を使って誰と何をするのかがしあわせなんだろうと思います。いうまでもなく、その誰かとは異性に限らず、同性の友人であってもいいし、初対面の相手であってもいい。
つまりは、しあわせとは「人のつながり」であり、「つながった人と何をするのか」が問われているのです。
いいかえるならば、「状態にしあわせはない。行動してしあわせになる」ということです。
「Be happy」ではなく「Do happy」。
そんなことをお話したインタビュー記事が公開されました。
「所属するコミュニティから接続するコミュニティ」の話や「自分の中の多様性の話」など読み応えのある内容になっていると思います。
ぜひご一読ください。
また、この記事でご紹介した「しあわせについて」のより詳しい論考は、拙著「結婚滅亡」にも書いてあります。今までの「しあわせ論」とは違う、新たな視点を求める方はぜひお読みください。
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