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「デザインの階段」に頭が侵されていないか?

最近、ソーシャルメディア上で、日経新聞の以下の記事に批判的な意見を多く見かけました。その意見とは「デザインはスタイリング以上のものなのに、何を古臭いことを言っているのだ?」というタイプです。

この記事にある「ブランドや製品の色・形にこれまで以上に気を配ろうという考え方です」というフレーズに、ひっかかる人が多いようです。

結論:デザイン経営はブランドや製品の色・形にこれまで以上に気を配ろうという考え方です。それは商品開発にとどまるものではありません。会社全体が消費者目線に立つという姿勢が求められています。変化の早い時代に対応するには、分かりやすく自社の強みや魅力をアピールすることが必要。デザイン経営は今の時代に合ったイノベーションを生み出すよう企業に求めているのです。

デザインは色・カタチを離れたコトに重心を移していて、モノに拘ったデザインは時代の潮流に遅れている、と言いたいようです。しかしながら、これはいくつかの点で勘違いをしていると思います。

まず1つ目として、「モノからコトへ」という表現のまやかしです。モノのないコトだけの世界などありえず、「モノとコト」という世界観がまともです。例えば、ミラノ工科大学にあるPSSD(Product Service System Design)というマスターコースは、こうした世界観に基づいたデザイン人材育成を行っており、各方面のトップ企業で活躍している卒業生が多いです。「モノに拘るのは古い」という批判を一掃してくれる勢いです。

2つ目に、審美性をとりあげるのがデザインを語る際に必須であると考えられるにも関わらず、どちらかとすると審美性を斬り捨てるのが最新のデザインであるとの思い込みが、批判的コメントには隠れています。ぼく自身も自分の本のなかでとりあげている考え方ですが、「デザインの階段」という指標があります。デンマークのデザインセンターが提案した指標です。

これによると、1)デザインを採用していない 2) デザインをスタイリングで採用している 3) デザインをプロセスとして採用している 4) デザインを戦略として採用している と4つのステップに区別し、4)の企業が一番デザインを取り入れている「エライ」ところだと(思わせる)構成になっています。

だが、そんなことはなく、これはあくまでも企業でのデザインの採用のレベル判断として便宜上分けているのであって、このようなデザインヒエラルキーがあると考えるのは、とても頭でっかちです。ぼくが多くの企業が目指すべきだと考えるのは、2) 3) 4) がお互いにすべて内包しあっている姿です。例えば、スタイリングには経営戦略が内包され、スタイリングと経営戦略に乖離がない。そういう姿です。

デザインの一律の定義はありませんが、1) デザインとはプロセスを可視化する  2) デザインとはモノ・コトに意味を与える  3) デザインは審美性の判断を必須とする の3つが適当だと考えており、この文脈からすると、「キレイだとか議論するの、古いんじゃない?」という意見は的外れになるのです。

特に、2)の意味を与えるとの項目は、五感・直感とリンクする審美性が深く関わっています。デザインの重要な役割である、意味を与えるとの側面において審美性は削除できない点になります。しかしながら、デザインのもう1つの役割である問題解決においては合理性が重視されることが多く、デザインとは問題解決のツールであるとの考え方では審美性を忘れがちになります。

以上の観点を含んだうえで、日経新聞の冒頭の記事を読み直すのが適当ではないかと思うのです。COMEMOに投稿するから、日経新聞の記事を擁護しているわけではないのは言うまでもないです。

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