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退職≒会社との離婚、と考えてみると

2人の友人の離婚話から入りたいと思います。

友人Aは、堅実な男で、仕事にも家庭にも生真面目に向き合うタイプです。その分奥様への期待値や「こうあるべき」という信念も非常に強く、彼女の家事や家計回しのやり方などについて、気に入らない点が多々ありました。この種のことを受容する・しないのモノサシは時間と共に解決されず、むしろ強化されることが多いのが世の常。彼も御多分に漏れず離婚を考え出しました。

私の感覚からは、彼の信念は多少極端に思われるところもあるのですが、一方で愛情や信頼といった家庭に必須の要素が、長年の論争を経てすでに消失している感じもみてとれ、夫婦双方の幸福の観点からは、離婚した方が良いのではないか、とも感じられました。

しかし、彼らは(少なくとも今のところ)離婚しませんでした。彼が拘った法的・慣例的な範囲の金銭的条件では奥様と折り合うことができなかったのです。そして経済的に別居するのも厳しい結果、一つ屋根の下で他人行儀な暮らしをしています。

友人Bは奔放な男で、婚外で恋愛をしてしまったことをきっかけに彼の意思で離婚しました。元奥様は当初反対したのですが、彼は当時持っていたかなり大きな現金をほぼそっくり元奥様に渡し、合意が成立したのです。

B氏がそれまでの生活で「宵越しのカネは持たない」とばかりに現金を使い果たしていたら、この合意は成立しなかったと思われ、道徳的・倫理的な問題はともかくとして、まとまったお金の力で、何人かの人が新しい人生を踏み出すことになった訳です。

ところで、B氏の話は、早期退職・退職勧奨などのプロセスで、退職金を条件に企業と社員が合意する様に相似していないでしょうか?

つまり退職金=給料の後払いのシステムである、と考えると、企業はまさにB氏のように、現金を(給与という形で)使い果たさずに取っておき、いざというときの「離婚交渉」に使う、という図式になる、という次第。

こう考えると、退職金制度は、法に規制されて柔軟・流動的な人員マネジメントが難しい日本の企業に与えられた数少ない武器の一つ、と言えるかもしれません。

(念のために申し添えますが、筆者は企業が解雇や人員整理を行うことを推奨しているのではありません。業績不振などにより、それに踏み切らなければ企業の存続自体が危ういようなケースを想定して申し上げています)

一方で退職金は、通常は長く勤めるほど算定のレートが有利になるように設計されています。これは、社員が一つの会社に長く勤めるインセンティブになりますので、人による企業カルチャーの伝承や、トレーニング費用の低減などの観点から長期雇用を推進したい企業にとって合目的的な仕組みであるとも言えます。

こう考えると、退職金は企業にとって(1)いざという時に人員整理をするための数少ない武器(2)長期雇用を促進する、という一見相反するような2つの、重要な役割を担い得ると思われます。

以上の観点から、経済の右肩上がりを前提としない環境下では、運用に難しさもありそうですが、退職金は企業にとっては合理的な仕組みである、と筆者は考えます。

次に、従業員からしてみると。

退職金は

(1)定年(=給与という定期的な収入がなくなりそうなタイミング)時にまとまったお金がもらえるので生活設計上合理的である

(2)もらえるお金は前倒しでもらった方が、使い方の自由度が大きく、人生のオートノミー総量は増加する

という2つの見方があると思います。どちらも一理ありますが、私は圧倒的に(2)のポジションを支持します。

ちなみに、私のこのような考え方をサポートする形で、退職金を毎月の給与に加算して支払う企業が出てきたら、その企業は初任給やXX歳時年収といった数値が高くなります。そして人には未来のベネフィット・リスクを過小に、直近のそれを過大に評価してしまうバイアスがありますので、その賃金体系は魅力的に映ります。

これにより、人々がそういう賃金体系の企業で働くことを選好するようになると、右に倣えで多くの企業がその仕組みを採用し始め、そちらがマジョリティになっていくのではないか、と感じられます。つまりロングタームでは、退職金制度は廃れていくのではないかと思う、ということです。

というわけで、今回もコメモのお題に乗っかって、退職金について考えてみていました。

まとめると(1)退職金は企業にとっては合理的である(2)従業員にとっては、どちらかと言えば非合理的である(3)ロングタームでは廃れていく、という3ポイントが、私の考えです。

読者の皆さんは、どのように考えられるでしょうか?



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