時代が女性に追いつくとき
期待が大きいほど、成果が得られなかったときの落胆も大きい。安倍政権の目玉のひとつだった女性活躍政策が失速している。女性を対象にした調査によると、岸田政権の女性活躍推進に対して「あまり期待しない」と「全く期待しない」との回答を合わせると65%近い結果になった。
岸田政権がこのテーマに力を入れていないことと、「お上から言われる女性活躍」への辟易ムード蔓延とは、共振しているようだ。
安倍政権下のウーマノミクスは、掛け声こそ勇ましかったが、女性管理職を本気で増やすまでには至らなかった。景気に助けられて女性の労働参加率は上がったものの、非正規が多かったため、コロナ禍ですぐに下がってしまった。このような事情から、「もう、十分やったよね」という徒労感が残るのだろう。
しかし、では政策の追い風をなくした女性がすっかり元気をなくしているのか?と問われれば、コロナ禍が拍車をかけた社会変化の中で、実はその真逆—すなわち、女性がますます元気になる、という現象が起こるのではないか?
女性ならではのたくましさは、「期待されていない」自由に由来する。
例えば、最近お話しした60代の日本人女性は、多国籍企業のトップを複数経験する、華麗な経歴を持つ。商社マンの父のおかげで欧州育ちだが、自分が男だったら親がきっと教育のため、どこかで日本へ送り返していただろう。ところが、女ゆえにその圧力がなく、大学まで伸び伸びと英国で過ごせたため、英語がほぼ母国語となり、国際的なキャリア形成へドアが開いたという。
国内に目を向ければ、ひょんなことから、主婦から販売員、アルバイト、そうこうするうちに社長になったつわものもいる。
また、高齢者自立の研究者に伺ったところ、高齢男性は定年後も肩書にこだわりがちな一方、高齢女性は概してわだかまりなく、生き生き働く傾向があるということだ。
このように、「根強い男女差別によって、成長機会をことごとく奪われる(可哀そうな)日本女性」という構図と裏腹に、社会から、親から、ある種「期待されていない」女性だからこそ、決められたレールを無視して自分の道を切り開いていけるという肯定的な側面がある。
そして、この雑草力は、生き方、働き方の多様化が加速するポスト・コロナの時代に大きな武器になる。女性がますます元気になる所以だ。大企業のアンコンシャス・バイアスのせいで若い女性の実力が認められないならば、起業という道もある―そんな考え方が普通になってきた。
このような、女性が得意とする型にはまらない生き方は、敷かれたレールに疑問を持つ男性にも、ポジティブな影響を及ぼすに違いない。
もちろん、ジェンダー平等に関して日本は明らかに遅れており、これを正すことで女性にとって活躍の場所が広がることは間違いない。したがい、実効性のある政策により、社会の中枢へ、意識的に女性を送り込むことは必要だと考える。掛け声倒れに終わらないウーマノミクスは、政権にとって、終わらない宿題と捉えてほしい。調査が示す通り「期待できない」心情は理解するものの、私たちが有権者として、政治のアジェンダに載せ続けることが大切だ。
その一方で、これまで男性が歩むキャリアの王道とは一線を画し、「獣道」や「裏道」と揶揄されるような女性の自由な生き方を、私たちはもっと評価するべきだろう。メディアがこのような女性像に光を当てるようになってきたことは、好ましい。置き去りにされた女性が時代に追いつくのではなく、時代が女性に追いつくときがきた。
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