おむすびとサンドイッチ
イタリアのミラノで、「MUSUBI」という店が人気。
「おむすび」が世界商品になった。それとともに、海苔の輸出が増えている。供給が追いつかないほど、日本海苔が売れている。海苔はもともと海藻。海苔は醤油をつけて、ごはんにのせて食べることもあるが、ごはんがばらばらにならないよう、海苔でごはんを巻く。
おむすびもそう、巻き寿司もそう。副食である海苔で、主食であるご飯をつつんで食べる。それがどうしたと思われるかもしれないが、日本の食を考えるうえで、「おむすび」こそ象徴的である。
東南アジアの食卓には、コメでつくった皮が並ぶ。コメでつくった皮で、野菜などの具をつつんで食べる。中国の餃子もそう、主食である小麦でつくった皮で、具をつつむ。中国などでは小麦でつくった皮で、タイやベトナムなどは米でつくった皮で、具をつつむ。
このスタイルは、メソポタミア文明で発明された。
人々がシルクロードを歩き、モノを作ったり交易したり住みついたりして、食スタイルも東に西にひろがった。小麦の粉を広げて生地をつくって、具をつつんで食べる。小麦粉は消化しにくいので、加熱したり焼いたりする。ヨーロッパもアジアも南アメリカもアフリカも、その食べ方である。世界では米や小麦という主食を原料にして皮をつくり、副食である具をつつんだりのせたりして、食べる。
近代に生まれ普及したサンドイッチ、ホットドック、ハンバーガーなどもその系譜にある。主食である小麦でつくったパンで、副食の具をつつんで食べる。そのスタイルが日本にも伝播する。明治に入って創意工夫されて普及した「お好み焼き」もこの系譜である。
しかし日本由来の食には、それがない。
餃子やサンドイッチやハンバーガーのような海外から入ってきたものを別として、日本では副食である菜(さい)で、主食であるコメ・ごはんをつつむ。日本人にはコメを原料にして何かをつくるという発想はなかった。ごはんはごはんだった。コメを粉にして食べるなんて、バチがあたる。コメは粒として食べるもの、コメは粗末にしてはいけないと日本人は教えられてきた。世界は主食の小麦でつくった皮で、副食の具をつつむに対して、日本はその逆である。日本と世界では主と副が逆になっている。これには意味がある。
日本人が「餃子定食」を食べている姿を、中国人は見て驚く。
中国では、餃子とご飯が一緒にでてくることなどなかった。中国の食卓には、餃子がいっぱい並ぶ。具材がたっぷり入った小麦の粉でつつまれた餃子がメインである。10年前ならば、どうして日本人はメインである餃子でご飯を食べるのだ?と思っていたが、中国人は最近いわなくなった。日本的な食スタイルが受け入れられだしている。
いろいろな食スタイルが日本で融合するものの、基本である主食と副食の構造はかわらない。おかずだけの弁当はない。主食であるごはんがないものはない。コンビニでも、「おむすび」「おにぎり」が最も売れる商品アイテムのひとつ。その「おむすび」が世界に広がり、受け入れられる。
食文化は、必要性があってうまれる。
日本の食で全国共通なのが主食である「おむすび」。おかずは副食、これは地域によってそれぞれ。平地や海には、おかずになるものがふんだんにある。平地には畑にあるもの、海ならば海で釣れたものをさばいたら、おかずとして食べることができた。だからおむすびだけをもっていって、仕事に出ることもできた。
しかし昔、山の仕事は山に入ると、何週間も家に帰ってこれないことがあった。おむすびだけを持っていっても、山には菜がない。山菜はあるが、あくを取らないと食べられない。山には人がそのまま食べられるものが少ない。仕事をする前に、ごはんと菜をまぜて五目ごはんをつくって、山に入った。五目ごはんは、山での食生活ではなく、山で働く人のための食である。五目ごはんは山でうまれた。
食は必要性があって生まれる。食だけではない。理由のないものはない。なにごとも意味がこめられている。それがないと、それがわからないと、ただの「モノ」になってしまう。