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グローバリゼーションは内から崩壊するのか?

戦後75年以上という時がたった今、日本社会の中枢にいる大人にとって、グローバリゼーションの進化は、まるで時の流れのように不可逆なものと捉えられてきたはずだ。輸送技術とコミュニケーション技術が進化し続ける結果、世界はよりフラットに、より平和になる・・・はずだった。
 
ところが、パンデミックとロシアのウクライナ情勢を機に、私たちは急に「グローバリゼーションの逆回転」に直面している。自由貿易を通じたサプライチェーンの最適化よりも自国や同盟国の中でチェーンを終始することが重視され、政治的には民主主義国家が相対的に力を失い、権威主義国家の敵対があらわになっている。

2020年以降に起こった未曾有(みぞう)の出来事があまりにも突然だったため、グローバリゼーションの終わりがあくまで外的な要因でもたらされたように感じられるのは無理もない。

しかし、より本質的には、グローバリゼーションの終焉(しゅうえん)は主に二つの理由から、グローバリゼーション自身の帰結として起こっていることに注意したい。このからくりを理解することが、より建設的に今後のグローバリゼーション揺り戻しを設計することに直結する。
 
まず、グローバリゼーションを世界平和へつなげる補助線と思われた、国の間の相互依存に注目しよう。交易を通じて相互依存すればするほど、相手を痛めることが自分の不利益となり、戦争を起こす動機がなくなるという理屈はもっともに思われる。しかし、実際の貿易では、相互依存の公式はもっと複雑だ。
 
自国は相手国から戦略的物資を輸入しているのに、輸出しているのは低付加価値物資ばかりかもしれない。80年代の日米貿易戦争や、EU諸国の不和を生む原因のひとつであるドイツの輸出過剰が表すように、グローバリゼーションがもたらす相互依存は、一概に国々の友好を助けるとは限らず、反対に国家間の摩擦を増す可能性がある。
 
さらに、グローバリゼーションには格差拡大という大きな負の副作用が伴った。戦後、世界全体を見れば確かに貧困が減り、生活水準は改善している。しかしその一方で、国家間また国内での貧富格差は縮まっていない。
 
これは、グローバリゼーションがコスト効率追求を果てしなく助けたのと同時に、技術の進歩が規模の経済と知識経済を後押しした帰結である。少数の勝者が果実のすべてを取った結果、成熟国においても発展途上国においても国内政情は不安定さを増し、米国においてさえ、2016年ポピュリスト政権誕生につながった。
 
このように考えれば、グローバリゼーション自体に、その反作用を作る力が潜んでいることが分かる。決して、パンデミックや時代錯誤な他国侵攻だけが、グローバリゼーションの針を戻したわけではない。
 
これから、グローバリゼーションは完全に過去のメガトレンドとなるのだろうか? 物資に限らず、ひと、知恵、金融といったソフトな資産が国境を越えて動き回ることは、人類を豊かにする。故に、グローバリゼーションを過度に抑えることは間違いであり、今の「逆回転」が、いずれ、ほどけるものと予想する。
 
しかし、私たちは今生きている歴史に学び、グローバリゼーションをそれ自身の敵としないような設計を施すことが必要だ。摩擦をもたらす相互依存の解消には、機能不全が指摘されるWTOのような国際機関の復活が必要であり、格差拡大を抑えるために国家の役割を再定義し、富が社会に還元される仕組みを埋め込まなければいけない。
 
人類の歴史を振り返れば、現代ほど戦争の少ない時期はむしろまれな存在だ。戦後のグローバリゼーション拡大期の終焉によりカオスの時代へ逆戻りしないよう、今こそ新しい規律を考える責任を感じる。




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