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一回りしてきた「機械」と「人間」

今週、ヴェネツィア本島にあるモザイクの工房を訪問する機会がありました。この工房のサイトをみると、世界中の教会や王宮などの重要な建物に同社のモザイクが使われており、19世紀末、ガウディも気に入ってサグラダファミリアに採用を決めたとのエピソードが紹介されています。

カラーライブラリーには3500色以上の色見本があり、棚に並んだ姿は壮観です。板状のものをカットし、そこから小さな一片まで金づちのようなもので切断していく工程をみながら、このサイズが必ずしも均一にならないところが、モザイクとしての味なんだということがよく分かります。

手でやることを良い、と書くと、「何をいまさら」「機械でやれるところは機械でやるべきなんだよ」というもうずっと昔から言われ続けてきたことが、即、もうスピードで返ってきそうです。

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「人間はもっと創造的な仕事をすべきなんだ!!」というわけです。機械にできることは機械にやってもらい、頭を使え!と。付加価値の高い仕事でこそ稼げるとか、もよく言われます。

なんとなく通りのよいセリフなんですが、さて、人間ってそんなに頭ばっかり使うのが好きなんでしょうか?いや、だいたい、こういう職人仕事でこそ高いブランドが構築できて、機械による大量生産ではとても得られない利益をとっているわけです。だからもっと頭を使うのではなく、手に戻る道もあるんだ、ってことですよ。

実は、このヴェネツィアの工房にも、世界の大企業の幹部がワークショップに来るのです。1週間くらい、夢中になって金づちをふるったり、ジグゾーパズルのようなモザイクのはめ込み作業に我を忘れるわけです。散々、規模だ、スケールアウトだ、戦略だ、と騒いでおいて、もっと違う稼ぎ方をしている人たちのもとで学習させてもらっているのです。「ああ、ラグジュアリーとは、こういうことを言うのか」とか。

多分、この反対のパターンはあんまりないでしょう。小さな工房の職人が1週間、大企業のオフィスに行っても学習することは僅かでしょう。「こうやっているから、つまらないモノしかできないのか」くらいのことは学べるかもしれませんが(失礼!)。いや、それほど、このことについては考えることが多いのです。

かつては、小さい商売でも好きなら、みたいな言い方で落ち着いた議論だったのですが、こちらの方に、つまりは意味あるモノがよくて、それには大枚を払うに厭わないという世界にあって、そしてそれをバカにしていた人たちが、だんだんとすり寄ってきている。

この風景をなんと説明すれば、いいのでしょうか。

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