嫉妬を構造化したら、だいぶ生きやすくなった。
僕には転機になった記事がいくつかある。
その1つがこちら。
この記事が「note編集部のおすすめ」になり「パワーポイント×ポリアモリー」というスタイルが定着。今では日経COMEMOでも連載もするようになった。
嫉妬はプライベートでも、ビジネスでも起こりうる感情だ。
そんな「嫉妬」という感情の構造化には、人を振り向かせる力があった。
そして最近、プライベートで「また別の角度から嫉妬を構造化してみたい」と思う機会に遭遇した。
今日はそんな話。
ポリアモリーとは、合意を得た上で複数の人と同時に恋人的な関係を持つ恋愛スタイル。これまでポリアモリーについて書いたシリーズはこちら。
■嫉妬の対義語、コンパージョンとは?
ポリアモリーと嫉妬は切っても切れない関係だ。
複数恋愛が前提なので「自分の嫉妬心と、どう向き合うか」は、ポリアモリーを実践する上で永遠のテーマだろう。
そんなポリアモリーの世界には「コンパージョン(Compersion)」と呼ばれる言葉がある。
コンパージョンは、嫉妬の対義語で「自分の恋人が自分以外のパートナーを愛していることを感じた時に生じるハッピーな感情」とされている。
僕はポリアモリーな生き方を実践して、だいぶ経つが、まだこの感情を抱いたことはない。嫉妬心はほぼ消えたが、コンパージョンの域には達していない。
正直、「そんな綺麗すぎる感情ある?」とも思っていた。
しかし、最近ポリアモリーに関するnoteをはじめたミヤコさんと話していた時、「あ、その構造ならわかるかも!」と思えたことがあった。
■恋人の恋人が、自分を解放してくれる
「自分以外にも恋人がいる彼氏」と付き合っているミヤコさん。
ミヤコさんはそんな「恋人の恋人」に対して「ありがとう」という感情を持つことがあるらしい。
その内訳を聞いてみると「(私じゃ満たしてあげられない部分を満たしてくれて)ありがとう」という気持ち、とのこと。
聞けばミヤコさん、ポリアモリーな生き方を実践するまでは「彼を満たせる完璧な自分にならなきゃ」という思いが強かったらしい。
しかし「私が苦手で、恋人の恋人の方が得意なことがあるなら、そっちに任せればいい。」
もう自分は、我慢しなくてもいい。
そう捉えると、ミヤコさんにとって恋人の恋人は自分をプレッシャーから解放してくれた存在だ。そんな気持ちが感謝に変わった。
なるほど。
これがコンパージョンの片鱗かもしれない。
■自己犠牲の精神から生まれる嫉妬
当たり前だが人は皆違う。
いくら気の合う恋人だって、「全部同じ」なんてありえないし、「全部同じ」だから好きになるわけじゃない。
食事の好み、映画の好み、小さな価値観から大きな価値観まで、少しずつズレていて当たり前だ。
しかし、ミヤコさんのように「彼を満たせる完璧な女性になる!」とまではいかなくても
「好きな人に合わせてあげたい」
「好きな人に喜んでほしい」
という気持ちは少なからず存在するだろう。
しかし、その気持ちが自分に無理をさせることもある。
小さな例えで言えば、本当は魚が好きじゃないけど、彼に合わせて少し無理して付き合ってみる。
微笑ましいエピソードに聞こえる。
でも考えてみてほしい。
好きな人のためなら我慢できる。
これが「好き」ってことなんだ。
この発想が嫉妬の素ではないないだろうか。
あくまで仮説の話をする。
恋人に合わせて苦手な魚を食べていた私。
それが「好き」って感情の一部だと信じていた私。
しかしある日、恋人から「Aさんと美味しい魚を食べてきた」と報告される。
おそらく「私」は複雑な気持ちになるだろう。
それまで「私」がしてきた我慢や自主規制が、恋人やAさんに対するネガティブな感情に変わる。
同時に、恋人はAさんと浮気しているのではないか?という嫉妬心も芽生える。
そこで提案。
もし、この「私」が普段から自己犠牲をしないで「魚を食べる時は他の人と行ってきていいよ」と恋人に告げていたらどうだろう?
少なくとも「Aさんと美味しい魚を食べてきた」と報告されて、怒り狂うことはないだろう。
そっちの方が、平穏に恋人と暮らせる気がする。
この提案に対して「そんなことを許可したら、浮気の口実をつくることになる。そのくらいなら、私が無理する」という選択をしている人は多いだろう。(彼には許可しない、でも私も無理しない、派も一定数いる気がする…)
しかしその場合、肝に命じておいた方がいいことが2つある。
1つは、その選択は嫉妬心をより増幅させるということ。
浮気をさせないための行為が、自分の嫉妬心を増幅させるという皮肉な結果を受け入れなければならない。
もう1つは、「自分が無理する」という選択は自分のためであって、相手のためではない、ということだ。自分が無理したことを「あなたのためを思って…」「あなたが好きだから…」と、すり替えてはいけない。
あなたの選択によって満たされたのは恋人ではなく、自分の独占欲なのだから。
■自分も相手も解放する愛情表現
と、偉そうに書いたが、僕にはそれができなった。
ポリアモリーを実践するまで、嫉妬ばかりしていた。
自分で選択した自己犠牲を、相手への愛情だとすり替えてばかりいた。
そして崩壊。
その後、ポリアモリーというライフスタイルに出会って、実践するようになって、ようやくあの頃の自分の感情を客観視できるようになった。
一生あなたを幸せにする。
とか、
あなたのことは全て受け入れる。
とか、そういうドラマや映画みたいなセリフが愛だと信じ込んでいた。
でもこれらのセリフ、その場での聞こえはいいからドラマや映画向きだが、実際に実践できる人は少ないだろう。
その結果、我慢が募って、嫉妬心に苛まれ、自分が潰れてしまっては意味がない。
これもまた、プライベートでもビジネスでも言われる話だ。
相手の全てを一人で受け止める愛もある。
逆に一人で受け止めずに、リスク分散をして、自分と相手を守る愛もある。
そう考えてポリアモリーという生き方を選んだのは、僕にとって必要な発想の転換だった。
結論。
だいぶ生きやすくなった。
ポリアモリーとは、合意を得た上で複数の人と同時に恋人的な関係を持つ恋愛スタイル。これまでポリアモリーについて書いたシリーズはこちら。
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