ニューではなくなりつつある「ニューノーマル」
「ニューノーマル」という言葉(日本では「新常態」という訳が充てられている)は、一般的にはコロナ後の様々な社会の変化について言われることが多いように感じるが、実はさほど新しい言葉ではない。 私自身も、この言葉を明確に意識したのはニューノーマルをテーマにした2015年の講演会にスピーカーとしてお呼び頂いた頃からであると記憶しているので、もう8年前のことだ。コロナだけでなく、コロナの前から世の中は大きく変化しつつあり、それを 「ニューノーマル」 という言葉でくくることはもうずいぶん前から始まっている。
ここに来て、日本ではこうした「ニューノーマル」の兆候(かもしれないもの)が、コロナとの関係のあるなしに関わらず、急速に顕在化してきていると感じる。
例えば、今年はクマの被害が多数報道されるようになっているが、これが単に 今年のどんぐりの不作による一過性のものなのか、それとも日本の人口が減り人間のプレゼンスが落ちていることによってクマが人の住む地域に浸出してきているという「ニューノーマル」なのか、現時点では判断ができないが、ひょっとするとこうした野生動物との接触が増えていくということは特に日本の地方にとってニューノーマルと呼べることになっていくのかもしれない。
また、人手不足と言われ、賃金を上げればよいといった考え方で求人しようとしている会社が多いのではないか、ということも以前指摘したが、実際には賃金を上げるだけでは、そもそもの日本の(生産年齢)人口減少に対する効果はない。むしろ、コロナを経て賃金が高いかどうかよりも自分がやりたい仕事であるか、あるいは自分らしく働けるかということにフォーカスを移し、そうでなければ最低限の仕事だけに留める「静かな退職」といった動きも出ている。
この点においても新しい考え方、「ニューノーマル」に基づいた人材確保戦略を考えなければ、求めるだけの人手が集まることはもはやないだろう。そしてその時には、外国人やオンラインの働き手、あるいは自動化(AIやロボット)による人手の代替といったところまで視野を広げて考えていく必要がある。以下の記事にあるような「眠る働き手」の活用だけでは、失業率が3%を切り完全雇用に近い状態である日本では、ニーズをカバーしきれないのではないか。いくら企業誘致に力を入れてみても、働き手が見つからないのでははじまらない。ここでも「ニューノーマル」と向き合う必要がある。
物価上昇やインフレも、日本にとっては「ニューノーマル」ということができるだろう。長くデフレと呼ばれる状態が続き、金利が0%ないしはマイナス といった状態に張り付いてきたことを考えると、日本の金利の上昇は急激と言って良いだろう。
そしてそれにつれて物価が上がってきており、現金を持っているだけではその価値はどんどん目減りしていくことになる。これも日本にとってニューノーマルな状況だろう。
どうしても私たちは現状維持バイアスとも呼ばれる、「そのうち元に戻るだろう」という必ずしも根拠があるとは限らない楽観的な感覚で、何も手を打たずに元に戻るのを待つという行動を取りがちである。 特に、高度成長期以降の社会の仕組みが安定的な状況が続いてきた日本においては、特にその傾向が強いように思う。
だが、残念ながらこうした「一過性の変化と見てやり過ごす」やり方が通用しなくなっているというのが「ニューノーマル」な状態である。そして冒頭に指摘した通り、実はもう既にこうしたことは「ニュー」と呼べる新しい状況ではないことになってきているものも多い。
様々な出来事が起こりその報道に接する時に、一過性のもの・単発の事象と考えるのではなく、これはニューノーマルなのかどうかという観点で判断し、 今後の新しい状態になる可能性があると思ったらそれに応じた対応を取っていかなければ、まさに文字通り「出遅れる」ことになってしまう。これはとりわけ国際競争という観点で痛感するところだ。
国内に限っても、5年前・10年前から同じゴールを目指して行われている事業や、あるいはそういったことを目指す各種の活動・運動といったものについて、果たして本当にそれがニューノーマルの時代にふさわしいものなのかということは、痛みを伴うかもしれないが、検証していく必要がある。高度成長の時代であれば、一定の社会の余裕がバッファとなって、そうした「余剰」を持つことができたかもしれないが、人が減り経済規模が縮小していく日本で、そうした社会な余裕というものは、すでになくなっていると考えるべきだろう。
一般にはあまり「ニューノーマル 」という言葉を目にしたり耳にしたりすることはないのかもしれないが、だからこそあえて、「ニューノーマル」かどうかという観点で身の回りで起きている出来事を見つめなおす必要性について改めて確認しておきたい。
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