「科学的」という言葉の使われ方に違和感があります。
「科学的」という言葉について言いたいことが実はあります。
「科学的な根拠が大事」ということがたびたび言われます。特に、このコロナに対する判断についても、「科学的であるべき」ということは沢山言われています。
ここで科学的とはどんな意味なのでしょうか。
多くの人にとって、科学的とは、
データで検証されたことを判断の基準にする
という意味ではないかと思います。
実は、これに私は強い違和感を覚えるのです。
なぜでしょう。
驚くかもしれません。
これは科学が実際に行っていることとは「真逆」なことだからです。
全く逆なのです。
よく考えてみて下さい。
科学をするというのは、未知のことに挑むことです。
未知のこととは、データで検証されていないことです。
データで検証されてないこと、まだよくわからないこと、まだ理解や見方が確立されたないことに、行動を起こし、より真実に近づくのが科学の本質なのです。
この時求められるのは、先が見えないのに何かあると考え、きっと道はみつかると信じて踏みだし、思うようにいかなくても逃げずに立ち向かうことです。
これこそが、科学の本質なのです。
従って、科学はデータで検証されたことを基準に判断したり行動することでは全くありません。
むしろ真逆で、よくわからない、理解もできない、未知のことに、根拠がなくとも行動に踏みだすことが科学の本質なのです。
もちろん、既にデータで検証された事実や法則は大事にします。しかし、それだけでは分からないことが世界には沢山あります。それにひるまず行動するのが科学の本質です。
先が見えないことに、根拠がないのに行動を起こす人を「科学的でない」批判する人がいます。その人は科学ということを分かっていない人だと思います。