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性的トラブルを生む構造 〜「接待」と「成果の測り方」の大問題

お疲れさまです。若宮です。

年末にまた文春砲が出ましたね。

SNSでは憶測も含めていろいろと飛び交っていますが、いつも思うのは、こういう問題があった時に、個別の問題や個人を叩いて終わりにするのではなく、社会全体として価値観や行動を見直して行く契機にしたいなということです。


被害が起こった会は仕組まれていた?

この記事の主旨として、特定個人の話をしたいわけではないですし、事実関係がまだ不明な中なので不用意な「煽り」になってもいけないのであまり書きたくはないのですが、といって何もないと記事の背景がわからないとおもうのでざっくりとだけ書きます。

文春の記事は、中居正広さんについてのもので、ある飲み会の後で「性的トラブル」があり、高額な示談金を支払っていたというものだそうです。被害にあった女性は未だに精神的にもダメージを追っており、「許せない」と文春の取材に答えています。

そしてさらにそこに、テレビ局の社員が関与していた、という疑惑があがっています。どういうことかというと、当該被害があったとされる日に、もともとはテレビ局側が中居さんを含む複数人での飲み会を設定していたのに当日になって関係者がドタキャン。急遽2人きりでの会になったことが性被害を生んだ原因かもしれません。


他の参加者の欠席が計画的・組織的なものだったのかは現状事実かはわかりません(局側は否定しています)。憶測で色々言っても仕方ないので、第三者機関できっちり調査してほしいと思います。


女性を消費する昭和的な「接待」

ただこの会自体がそうだったかはわからないにせよ、こうしたセッティングというのは割にあったことなんじゃないかなと思います。(報道の一部では「女子アナ接待」という言葉も使われています)

僕自身昭和の生まれなので、かつて周囲で見聞きした話や経験からも、そうした状況を想像するのは残念ながらそれほど難しくありません。

松本人志さんの疑惑でも後輩芸人が飲み会と称して閉鎖空間に女性を誘い込み、断れないような空気を作って性的な行為を迫る、ということがありました。後輩が先輩に対して、あるいは取引先に対して「接待」をするために、女性を利用する。

今回の事も含め、この記事で言いたいのは、周囲が加担する「接待構造」が問題だ、ということです。


僕はそもそも仕事の付き合いでの「接待」というのがあまり好きではありません。いわゆる「ずぶずぶ」と言われるような関係では、不当な利益供与などによって正常・公正な判断ができなくなってしまうからです。

とはいえ、現実には仕事というのは合理性だけで判断されないこともわかります。会社を超えて信頼し合ったり腹を割れる関係は仕事を付き合いから生まれるかもしれません。なので、「接待」自体が完全になくなればよいとも、なくなるとも思いません。

ただ、「接待」をしたいのであれば、あくまで自分自身が努力しておもてなしをすればいいと思うのです。懇意にしたい相手の趣味を調べて自分も休日にゴルフに勤しんだり、好きなものを調べてプレゼントしたり、気持ち良い応対を心がけたり、自らの努力ですることは(もちろん収賄や買収はいけませんが)「営業努力」の範囲でしょう。


しかし先輩や取引先に対して「女性を用意する」というのは、相手が好きな「モノ」をお中元に送るのとは違います。それは自分の努力などではなく、他者をいわば「接待の道具」として利用してるわけで、女性をモノのように扱う「消費」的な行為ですし、本人の意思を配慮せず、組織や権力などの非対称性によってなされるのであれば、「搾取」です。

かつての自分への反省

今回のような問題があった時、それは決して対岸の火事ではなく、自分たちが所属する組織や、業界、社会でもそれと通じる事象が身の回りに少なからずあるのではないでしょうか。

振り返ると、正直をいうと僕自身も過去にこうした「接待」的なことに関与した反省があります。

大企業で働いていた頃、事業部長や上役が参加する飲み会を幹事として仕切る機会がありました。そうした際に、席決めや席替えで「偉い人」の両隣に若い女性社員や派遣社員を配置するようにしたり、とかしたことがあります…

ジェンダーとかダイバーシティとか言っているくせに、なんてやつだ!と幻滅されることでしょう。今では心からそう思いますが、当時はそれが幹事としての気の回し方というか「デキる仕切り」みたいに思っていたのですから、最悪です。

飲み会の盛り上がりは席順で変わりますし、日頃話したことがない人同士コミュニケーションを活性化させることもできます。しかし、「若い女性を偉い人の近くに置く」というのは場を盛り上げるため、というよりも偉い人に機嫌よくなってもらい、自分の立場をよくしようといった打算もあったでしょう。

席順だけのこと、と思うかもしれませんがこれも女性を「モノ」のように扱っていたわけです。彼女たちの意思を尊重していなかったことを今は深く反省しています。

こうした「接待」の文化はまだ完全になくなっていないのではないかという気がします。みなさんの身近な社内の飲み会でもまだ結構あったりしませんか?


「成果」を見直すべき理由

ましてやこれが仕事の成否がかかっているクライアントとの飲み会の場だとしたらどうでしょう。それで仕事が取れるならその方がいいじゃないか。それも仕事。クライアントに喜んでもらうよう接待するのもスキル。そんな意見もでそうです。


しかしそんな風に「接待」が「仕事のため」と正当化される、そういうところから改めて考え直すべきではないかと思うのです。


先日、The UPDATEという番組に出た時に、「成果の測り方」を見直すのが大事、というお話をしました。


オードリー・タンさんとかもよくおっしゃっていますが、「トリプルボトムライン」という考え方があります。


経済的な利益だけでなく、社会的な影響や環境負荷を含めて業績を評価するという考え方です。

例えば、接待を通じて売上を上げて業績を伸ばせたとします。かつては結果が出ればそれだけで評価されていたでしょう。しかし、その成果を上げる過程で、弱い立場の人を搾取したり、社会や環境にマイナスの影響を与えたりしていた場合、それは本当にプラスの成果と言えるでしょうか。


昭和の時代や20世紀には、売上や成果といった「見える数字」が主な評価基準でした。でも、いくら高い売上や利益を上げていても、廃棄物を垂れ流したり、低賃金で海外の労働者を搾取したりすることで得た成果は、社会全体で考えるとマイナスです。こうした周囲への悪影響も含めて業績を評価しなければ、社会が持続的ではない。そういう事に気づいたからSDGsが言われているわけですよね。


先ほど述べたように、僕は「接待」自体が必ずしも悪いとまでは言いません。自らの気配りや努力である限りは、仕事への積極的な取り組みであったり、ある種のスキルだということもできるかもしれません。

しかしそのために周囲や環境を搾取した消費したりしているなら、成果のためと正当化されてはいけないのではないでしょうか。

「勝てば官軍」ではないですが、目に見える業績だけで評価される社会では、周囲へのマイナスを看過したり無視してしまいがちです。しかし成果のためとはいえ社会的・環境的なマイナスを撒き散らしているのであれば、トータルでは赤字かもしれません。


僕も含め、特に昭和の価値観を引きずった男性たちは、この「成果」の捉え方を考え直すべきだと思います。今回のことをきっかけにテレビ業界でも慣習をアップデートする機会にされたらいいと思いますし、社会全体としてこういう構造ももう一度見つめ直すタイミングになればと思います。

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