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矛盾を恐れていると何も発信できなくなる

SNSでなにか投稿しようとして、「これ、前に投稿した内容と矛盾してるかも?」と気づくときがあります。
このとき、いったいどうするのが正解なのでしょうか。

僕でいうと、昔であれば投稿を取りやめたり、過去の内容と矛盾しないようになんとか取り繕って… とやっておりました。

しかし、今では違います。前に言ってたことと多少違っていようと、整合性が取れてなかろうと、だいたいそのまま投稿してしまいます。

開き直りだといわれるかもしれませんね。その通り、まあ開き直りだと思います。しかしながら昨今、このような姿勢こそ、とても大事だと思うようになったのです。


そもそも「以前の投稿」と、今取り掛かっている投稿では、背景や前提に違うところがあるはずです。別に、まったく同じ条件で「黒だ」と言ってたものを「白だ」と主張しているわけではありません。

たとえば過去に、
「仕事には慎重さが必要。適当にやっていると、細部のモレが致命傷になることがある。なぜなら神は細部に宿るから」
みたいな投稿をしていたとします。実際に、X(Twitter)とかではよくある内容です。

それに対し、今日、
「仕事はスピードが大切だと思う。100%の完成を目指すのではなく、ある程度整ったらまずは実行してみる。その繰り返しが大事」
という投稿をしたくなったとします。

この2の投稿をそのまま比べただけでは、意味的に矛盾しているように見えます。しかし、そうではありません。(投稿者の頭の中で)この2つにおいて想定しているのは別のケースですし、状況も細部も違うものです。


そして言いたいのは、要は「どっちの考えも大事」だということです。一方を取ったら一方はまったく0になる、そういうことではないのです。

しかしながら、過去との整合性にあまりにこだわりすぎてしまうと、思ったことを自由に書けなくなってしまう。その結果、自分の身を縛ってしまう。この流れが怖いと思うわけです。

文章を書くとき、ChatGPTのような生成AIを使ってネタ出しをするようなケースも増えていると思います。AIを使うメリットは、今のところは「自分では発想できなかったような考え方やヒントを得られる」ということだと捉えています。

しかしながら、せっかく面白いネタに出会えたのに、過去の自分の投稿内容に反していると、「この発想は封じたほうがいい」という判断になりかねません。これでは、新しい機会を自らつぶしてしまうことになりかねないとも思います。


あと大事なのは、「人の考えは変わる」ということだと思っています。

それは言い換えると、人間としての成長だともいえます。過去に言ったこととの整合性に囚われすぎるのは、アンラーニングができない、変化や成長ができない、そういう悪い兆候かもしれないのです。


自分の人生におけるすべての発言や、SNSにおけるすべての発信に完璧な整合性を求めるのはどう考えても無理な話です。

そう割り切って、いま感じたことを、素直にそのまま表現する。それこそが人間らしい内容になるし、みんなも、本当に読みたいと思っているものだと思います。

過去よりも、「いま思うこと」に重きをおくべき。そういうSNSでいいのではないでしょうか。

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