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「ゲームは悪」の当たり前を壊せ!『ゲーム×教育』の可能性【日経COMEMOテーマ企画】

いま、目に前にある世の中の「当たり前」をどんな技術で、どのように変えたいですか。今をゼロとして、いかにして1を生み出しますか。新型コロナウイルスを契機に考えてみてください。

「日経未来面×COMEMO」の企画として、上記のようなお題で意見募集が行われている。たしかに、COVID-19によって、それまでの「当たり前」を問い直す良い機会になった。

それまでオフィスに来ることが「当たり前」だったのが、テレワークでも大丈夫だよねと気付きが生まれた。居酒屋で人間関係の距離を縮めるが「当たり前」だったのが、「オンライン飲み会」でも十分代替できることがわかった。学校に来ないと友達ができないが「当たり前」だったのが、Twitterで友達を作り、コミュニティを広げることができた。

「当たり前」の変化というと、先日、ある大学1年生からこんな話を聞いた。彼は、大学受験の相談にのっていた佐賀県の高校生なのだが、東京の大学に合格したものの、COVID-19で上京することが困難になっていた。そのとき、キャンパスライフを助けてくれたのはSNSで知り合った東京の大学生達だった。緊急事態宣言が明け、いよいよ上京するとなったとき、彼を空港にまで迎えに来てくれたのはSNSで繋がった友人たちだ。SNSによって、彼は最高の東京生活をスタートさせることができた。

COVID-19による「当たり前」の変化は、至る所で確認できる。しかし、思うように進んでいないものもある、教育のICT化だ。文科省は5月11日の『学校の情報環境整備に関する説明会』にて、世界最低レベルの日本の現状をどうにかしなくてはならないと警鐘を鳴らしている。

そのような世界における教育の「当たり前」と日本における教育の「当たり前」で最も大きなものは何だろうか。本稿では、教育におけるゲーム、しかも「ビデオゲーム」の活用について着目してみたい。


ゲームは「悪」か?

元来、教育とビデオゲームは不倶戴天の敵のように扱われてきた。親や教師はできるだけビデオゲームから子供たちを遠ざけたいと思い、「うちの子はゲームしないんですよ」は我が家の教育自慢のように語られる。ビデオゲームは子供を堕落させ、未来を摘む邪悪な存在のようにとらえられている。

香川県の「ゲーム条例」が良い例だろう。子供たちをゲーム依存から遠ざけ、教育に集中させるために、良かれと思っての条例だ。その活動には、賛否両論が渦巻いている。ゲームは、子供の教育にとっての絶対悪であるという「当たり前」が香川県の行政にはあるのだろう。

ビデオゲームと教育の関係性は、歴史的には非常に切ないものがある。言ってしまうと「教育と一緒になりたい片思いのビデオゲーム」と「絶対悪と毛嫌いする教育」という関係性だ。


ゲームの教育利用は古くからある夢

コンピューター技術が教育に変革をもたらすだろうという考え方自体は、新しいものではない。コンピューターという概念の黎明期である1940年代から、その可能性は模索されている。最初期の事例では、米軍によるフライトシミュレーターの研究だ。「何かの運転技術を身に着けるために、シミュレーターとしてゲームを使う」という用途は、社会的にも受け入れやすい。自動車免許試験場にも、「かもしれない運転」の訓練用にシミュレーターが広く普及している。

また、「現実の何かをシミュレーションする」というゲームは教育との相性が良い。マクシス社のリアルタイム都市経営シミュレーションゲームであるシムシティは、1989年に登場して以来、教育への活用が期待されている。1999年に発売された3作目のシムシティ3000には、教育者向けの「ティーチャーズ・ガイド」が公開されている。その反面、経営シミュレーションゲームは中毒性が高く、「シドマイヤーズ シヴィライゼーション」は電子ドラックだと揶揄されることもあった。

日本国内では、ビデオゲームの教育目的は任天堂を中心として挑戦が続けられてきた。その中でもエポック・メイキングとなったのは、「マリオペイント(1992年)」だろう。“マリオと楽しむアートスクール”がテーマの本作は、ビデオゲームによる教育の可能性を見せた。


大人向け教育ゲームの登場

ビデオゲームの教育利用は、主に知育玩具の延長線上であったり、子供向けのものがほとんどを占めていた。そのような中で、大人の教育にも使えるのではないかと新たな可能性を見せたのが『脳を鍛える大人のDSトレーニング』(任天堂、2005年)だ。

東北大学未来科学技術共同研究センター川島隆太教授監修と銘が打たれた、本作品は世界的な大ヒットを見せ、全世界で1901万本もの売上本数をみせた。2007年には、同様の脳神経科学の知見を活用したゲーム開発会社Lumosityが立ち上げられ、全世界で1億人を超えるユーザーを獲得するまでになっている。

しかし、脳科学のベースにした大人向けの教育ゲームは有効性に疑問が投げかけられている。複数の学術研究で、学習効果を確認することができなかったとして報告があげられている。


「ゲーム x 教育」の可能性が日本を周回遅れにする

それでは、ビデオゲームの教育利用は効果がないと断じてしまって良いのだろうか?

脳科学による認知能力の向上に関しては疑わしいという結果が出てしまっているが、ビデオゲームを利用することで様々な学びを得ることができると様々な可能性が模索されている。

例えば、スウェーデンにあるゲーム会社でマイクロソフトの子会社であるMojangは、全世界で2億本を超える売上本数を誇る『Minecraft』を活用した教育向けパッケージを展開している。

LEGOのようにブロックを組み合わせることで仮想空間に自由にモノを作ることができることから、論理的思考や創造的思考の訓練で効果があると期待されている。同時に、プログラミングや電子回路の要素も持つため、プログラミング思考のトレーニング効果も見込まれる。また、ほかの生徒と一緒に共同作業が可能であるため、協調性やチームワーク、コミュニケーション能力の訓練としても最適だと評価している教育機関もある。

また、理工系離れが長年の課題である日本の教育現場の救世主として、ビデオゲームは活躍できるかもしれない。メキシコのゲーム開発会社 Squad の販売する『Kerbal Space Program』は、本格的な宇宙開発シミュレーションゲームである。そのゲーム性は、一言で言ってしまうと、NASA や Space X の疑似体験だ。プレイヤーは、惑星の重力や衛星軌道を計算し、宇宙船や宇宙ロケットを設計・開発し、打ち上げと宇宙航行を行う。ガンダムやスターウォーズのような物理法則を無視した宇宙航行ではなく、しっかりと重力圏内の周回軌道を計算して飛行計画の立案を行ったうえで、宇宙空間を旅する硬派なゲームだ。

また、リーダーシップの訓練もビデオゲームが標準となる世界が来るかもしれない。世界的なエンターテイメント産業の調査会社であるRentrakのCIO(最高情報責任者)であるJeon Rezvani氏は、採用面接で「組織のリーダーとして相応しい能力をどうやって身に着けたのか」を聞かれた時、驚くべきことを語った。「私のリーダーシップは、MMORPGのギルドマスターで培われました」彼は、自分のリーダーシップはゲームから学んだと答えたのだ。彼は、ビデオゲームが如何にリーダーシップの醸成に効果的かを著書『Guild Leadership』にまとめている。

このようなゲーム×教育の可能性については、Teacher Gaming というフィンランドの教育ゲームに特化したゲーム開発会社が優れたリーダーシップを発揮している。スウェーデンやフィンランドなど、北欧諸国のstart upが次世代の教育を創造しようと果敢に挑戦しているのだ。

 

結語

テクノロジーの進歩と共に、これまでの「当たり前」は急速なスピードで変革が始まっている。「趣味は仕事にならない」「音楽で生きていくなんてできるわけがないだろう」と若者の夢を現実が否定するという図式も、Youtuber の登場によって大きく変わってしまった。今や、ネット上の人気者が一流大学卒のエリートよりも、多くの報酬を得、成功を収めている。

ゲーム業界の Youtuber 的な存在としては、『ROBLOX』が子供の起業教育を激変させている。『ROBLOX』は、ゲーム開発プラットフォームだ。ユーザーが独自のゲームを制作して、プラットフォームに公開できる。プラットフォームにアクセスすれば、他のユーザーが作成した多種多様なゲームをプレイして楽しめる。そして、ゲーム内ではアイテムを販売して、収入を得ることも可能だ。『ROBLOX』でゲームを開発し、公開している多くが子供たちだ。2017年には、約32億円がプラットフォーム内で流通している。

教育効果という面では、まだまだ疑問符がつくところも多いビデオゲームだが、そのポテンシャルは計り知れない。特に、これからの教育では暗記よりも創造性が重視されると言われており、ビデオゲームには創造性を活性化させる大切な要素が数多く詰め込まれている。

「ビデオゲームは教育にとって悪の存在だ」と断じているようでは、日本の教育は硬直化し、時代遅れの遺物として見向きもされなくなるだろう。なぜなら、ビデオゲームはただの「ツール」であって、悪魔になるか神になるかは使う教育者次第だからだ。「ツール」としてのビデオゲームは、非常に優秀なのだ。

優れたツールを使いこなすことができなければ、竹やりで戦車に突撃するような状態に日本の教育現場が陥るだろう。教育へのビデオゲームの活用は、日本の将来を左右する壊すべき「当たり前」なのだ。

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