意志を伴う「キャリア漂流」のすすめ
6月も半ば―4月入社の新入社員がそろそろ落ち着く頃だろうか? 実態は、落ち着く人もいれば、ミスマッチを感じる人も少なからずいる。実際、2021年の調査によると、入社後約半年で転職志向を持つ、あるいは離職したと回答した人が4割にものぼったそうだ。
終身雇用がほぼ崩れた今、普通に頑張れば会社が一生キャリアの面倒を見てくれるだろうという甘い期待は持たない方が良い。一方、雇用の流動性が増したので、何度か転職することも十分に可能だ。しかし、選択肢が広がるだけ、キャリアパスは果たしてどこに向かっているのか、不安になることはないだろうか?
ここで、「キャリア漂流(ドリフト)」という概念を紹介したい。大きな工程表がなくても、常に次の一歩を最善にするように尽くせば、正解に近づけるという考え方だ。
キャリア漂流は、私自身のケースにも当てはまる。20代のうちにキャリアのグランドデザインが決してあったわけではない。目の前の一歩だけを見て、何度か転職や同じ業界での転籍を繰り返しながら、長い時間をかけて自分の仕事の輪郭が浮かんだという思いがある。
ここで、自分の仕事とは、好きなこと、得意なこと、世の中に役に立つことの交差点だ。これが「天職」として最初から分かっていれば苦労はないが、私を含め多くの人の場合、いろいろな仕事をしながら探り当てていくものではないか?
これが私なりに解釈していた「キャリア漂流」だが、最近、あるインタビューを通じて異なる見方があることを学んだ。インタビュー相手は、アート界で名の知れた女性。彼女のキャリアもさまざまな転機を経て展開している。しかし、「キャリア漂流」に対する態度は、手探りで自分の仕事を形作るという私のアプローチとは、真逆のものだった。
「キャリアパスなんて、計画性をもって考えたこともない」と言い放つ彼女は、その一方で、アートを通じて人の意識を変え、社会をより良くしたいという一貫したミッションを持つ。その上で、都度出会う仕事に最高のパフォーマンスを出すことを自分に課してきたという。「私は何かを成し遂げるために生まれてきた」という強烈な意識は、父上は聖職者という背景と無関係ではないだろう。
見かけは同じように「ドリフト」していても、キャリア漂流には、私のような「手探り」派と、彼女のような「使命ありき」派がある。ただし、共通して言えるのは、あてもなく流され流れるのが「ドリフト」ではないということだ。ドリフトの背後には、意思—何かをつかみ取る、または何かを使命とする―がある。
世の中の変化は速く、何が自分にあった環境なのか、ひとつに決めることは難しい。したがって、その時に応じて柔軟性をもって次の立ち位置を選ぼうという「キャリア漂流」は、今からの時代にあった生き方と言える。きっちりとロードマップを作って臨んでも、今日の地図が明日は塗り替わってしまうリスクがあるからだ。
さて、あなたはどんな態度でキャリア漂流に臨むのか? 漂流しながら探すのか、北極星を見つめながらドリフトするのか? どちらのアプローチにせよ、自分の中で選択をはっきりしておくことが、キャリア漂流の成功確率を高めると考える。
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