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150年前がまだ生きている「州」―合州国時代(上)

「大阪の人は近所から白い目で見られるので、帰らないほうがいいよ」と故郷の人に説得され、亡兄の初盆のためになんとしても故郷に帰りたいと考えていた母は断念して、オンライン帰省とすることにした。大阪府から兵庫県のかつての宿場町にある実家に移動することを諦めた。お盆休みの今週、このような都道府県の越境での確執・葛藤が日本中で起こっている。

「Go Toトラベルキャンペーン」で東京は対象外だということになったが「東京ディズニーランド」の浦安は対象という。「東京」と言っているのに、ディズニーランドの所在地は東京都以外だから対象だというのはどうなんだろうか。東京の通勤圏を考えたら、千葉、八王子、埼玉県大宮、神奈川大船あたりまでは、「東京」といえる。そこを対象にして、横に長い東京都は対象外というには分かりにくい。大阪でいうならば、神戸・明石くらいまで、京都、大津、奈良、名張、和歌山あたりまでが大阪の通勤圏となるが、都道府県を「越境」することになる。

コロナ感染に関する都道府県知事による記者会見をテレビで見ない日はない。コロナ禍で都道府県がクローズアップしているのは、コロナ禍対策が個別性があり、地域ごとに事情が違いすぎるので、一律対応が難しいことをあらわしている。感染対策は国が行うことと都道府県ですることがあるということ、そして自らがなすべきことを、この7か月で、みんな、認識しだしている。しかし都道府県単位の対策でも、どうもしっくりしないことがある。

天気予報で、馴染みのない「地名」をみる。
都道府県名でも市町村ではない、違った括り方でテレビでの天気予報をすることがある。たとえば鹿児島の天気予報では「薩摩」「大隅」と令制国で予報するが、令制国での予報のほうが実態がつかめたりする。それはそうだろう。そもそも平野や山や川、海、湖など地形のなかで、農業や手工業がうまれ市がたち、人々が集まり、住みつき、集落となり、人々が活動する範囲をもとに国境が定められて「令制国」が歴史的にできあがったのだろう。そこに住んでいる人々からすれば、令制国で言われた方がしっくりすることがある。

江戸時代は、「州」だった。
「藩」と呼び出したのは、明治以降である。江戸時代は「藩」とは言わず、令制国の由来の「国」と言ったり、「州」と言ったりした。遠州(遠江国)、武州(武蔵野国)、摂州(摂津国)、信州(信濃国)など「州」と言っていた。明治4(1871)年の廃藩置県は、この令制国名に代わりに府県名がつけられた。令制国は法令で廃止されたわけではないので、現在も「生きて」いる。日常における人々の行動パターンは実は令制国のなかが多い。150年前が人々の社会意識のなかでまだ生きている。

かつて令制国・州を自由に行き来ができなかった。
州の境を越えるには、「通行手形」が必要だった。たとえば青森。江戸時代の南部と津軽を明治になって青森県とした。県庁所在地はそのどちらでもない、漁村だった場所にして青森と呼んだ。150年後のいまでも、南部の八戸の人が津軽の弘前に行くことはほとんどない。津軽の弘前の人が南部の八戸に行くことはほとんどない。雪が多い津軽の弘前と雪がそんなに降らない南部の八戸では、産業も文化もそれぞれ違うが県は同じ対策をうたざるを得ないとなると、しっくりしない。群馬県の前橋と高崎も同じ文脈である。日本各地にこのようなケースが多い。場所には「必然」がある。その必然を外すと、うまくいかない。

静岡県もそう。遠江国と駿河国と相模国の3つの国が静岡県になった。富士市の人が浜松には日常的には行かない。浜松の人が富士市にはいかない。それぞれの場所の往来、交流はすくない。文化はそれぞれ違う。また浜松の人は用事がないと、静岡にはいかないが、三河・名古屋にはよく行く。遠州三河弁があるくらいだから、遠州の浜松の人が三河と文化的に近い。静岡県と愛知県と区分されるが、遠州三河という単位の方がまとまりがある。信濃の信州(長野県)や飛騨・美濃(岐阜県)とは違う、尾張(愛知県)とも違うと考えている。

都道府県単位の枠組みとはちがう。エリア以外の人には見えない「州境」がいまも存在している。そこに長く住む人にとっては、「150年前」はいまも残っていて、そのなかで行動している。令制国・州由来の祭りや花火などの行事があれば、人がさっと集まり、結束する。それらを通じて、多世代が交流して、地域文化が承継されていく。政治・経済・文化のなにもかもが「東京一極集中」というのではない。コロナ禍で再起動しつつあるというところもある。

道や水路を通じて、その令制国・州のなかで往来、交流があり、代々そこに住む人々の間で、物語、生活習慣、歴史、食、祭り、芸などが承継されてきた文化はいまも生きている。その蓄積された文化に、明治以降に形成された都市インフラ、交通インフラ、都市政策が重なって人々は行動するが、コロナ禍の移動制約のなか、住まいと近隣の場所をベースに、かつての令制国・州が人々にとって社会がより重要になろうとしている。

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コロナ禍のなか、集中を回避するために、都市から地方・郊外にシフトするという二項対立的な行動ではなく、デジタルトランスフォーメーションの情報インフラ、それを活用したオンラインショッピプ、テレワーク、オンライン講義、オンライン診療など拡充するなか、その人にとっての心地良さを求めて、代々そこで生活してきた令制国・州を核に、「分散しながら繋がる」動きがはじまっている。

これまでの「都市への集中」の限界性をコロナ禍の長期化で感じはじめ、令制国・州にまとまっていくほうが実態としてしっくりいくのではないかと動きだしつつある人があらわれている。コロナ禍後社会の人々、家族が生き生きと暮らしていく姿として、かつての令制国・州が分散的につながる「合州国」というカタチがいいのではないだろうかと、過去から現在・未来の時間軸で考えている。
次回は、古代、貴族時代、武家時代に続いて、徳川家光以来現在までつづいた「幕府」時代のこれからを考えていきたい。

COMEMOでコロナ禍後社会を多面的に考えているが、「コロナ禍後社会を考える」連続講座でCOMEMOを発展させ多面的に考えている。ご関心ある方はぜひご参加を。



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