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自分起点で社会を鳴らす、weと「共鳴」のマーケティング

お疲れさまです。uni'que若宮です。2日連続の日経COMEMO投稿です。

前回はこちらの記事で、

組織で働く時、「会社」を3人称ではなく1人称複数のweとして考えよう、という話を書きました。

今日はそれを更に拡張して、「共鳴のマーケティング」について書きたいと思います。


「会社」と「社会=They」の関係

前回の記事の最後に、「私」と「会社」が分離せず「私たちwe」という主語となり、「社会」に対して価値提供する、という図式を書きました。

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…のですが、実は僕はいまやこの図式も変化してきていると考えています。

どういうことかというと、上の図式では「会社=we」に対して「社会」が他者theyとして考えられています。「社会」というと漠然とするのであれば「顧客」と言い換えても構いません。少し前にさかんに「顧客を知れ」という言葉が使われましたが、こうした標語がわざわざ繰り返し喧伝される事自体が、会社にとって顧客や社会が(よく知らない)他者と思われてきたことの表れでしょう。

また「私たち」が「顧客」に価値やサービスを提供する、という時、「顧客」は「目的格」に置かれ、価値を受け取る受益者として「受動態」となる構造として想起されます。

マーケティングでよく顧客に対し、「ターゲティング」という言葉が使われますが、これは「的(まと)」という意味ですから、目「的」格を取ることと親近性のある言葉です。「ターゲティング」に限らず、マーケティングや企業の活動では「狩り」や「戦争」の比喩が多く使われますが(成果、獲得、戦略、戦術、成果、囲い込み、などなど)こうした比喩は、「会社」の側が「ねらい」を定めて罠を「仕掛け」、顧客を「獲得」するようなイメージが強くなります。

こうして、「ターゲティング」は、提供者側の都合や願望で一方的に考えられ、仕掛けられることがよくあります。(まったく要らないのに執拗に繰り返されるリタゲ広告や誤タップするように仕掛けられた広告はその末路です)


「社会=we」の関係

しかし、この関係は少しずつ変わってきています。

新しい図式は、下図のように「社会」を他者として捉えず、「私たちwe」として捉えるような図式です。

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この変化には大きく2つの流れが関わっています。

一つは、コミュニティやファンベースのような経済価値のあり方へのシフトです。弊社でも創業以来、B as communityという事業のかたちを実験していますが、そこでは従業員と顧客という境界が溶け、一緒になって事業や企業価値をつくるような関係になっていきます。

こちらの記事でも書きましたが、

AirbnbやInstagramの企業価値は、10年前の企業に比べて圧倒的に少ない従業員数から生み出されています。勿論、AIなどのテクノロジーによる効率化・自動化によって従業員生産性が高まったという部分もありますが、それだけではなく、従業員以外から企業価値が生まれているという側面があります。

そしてこの新たな価値の源泉こそが「顧客」です。しかも、消費者としての顧客ではなく、提供者としての顧客なのです。たとえばInstagramやYoutubeの企業価値の多くは、InstagrammerやYoutuberと呼ばれる、人気の高いスーパーユーザーによって生まれています。彼らは両社の従業員ではありませんし、旧来型の二分法からすれば「顧客」に当てはまります。しかし、彼らは受動的に価値を受け取るのではなく他の「顧客」に対して価値提供し、提供者として企業と共に事業の価値を高めているのです。

スーパーユーザーではなくとも、オンラインサロンなどコミュニティ型のビジネスでは「顧客」側が自発的にイベントの運営を買って出たり、宣伝したり、映画のチケットを売ったりします。こうしたコミュニティ型のビジネスは、すでに「提供者we/顧客they」という二分法では考えられなくなっているのです。


もう一つは、SDGsやエシカル需要の流れです。こちらは逆に「社会」側から「会社」に対しての影響力やコミットメントを高めつつあります。

20世紀には、企業は会社の利益を優先し消費拡大の事業運営をしていましたが、その結果として「社会」の資源を搾取したり毀損してしまってもいました。こうした経営のあり方では「社会全体として持続可能ではない」ということに社会が気づき、「会社」から受動的に価値提供を受けるだけではなく、より能動的にその価値について関わっていこうというモーメントが働いています。

「買いものは投票」という言葉のように、現在の顧客は「消費者」として一方的に価値を受け取るのではなく、民主主義的な主体として企業の価値を吟味し、応援もしくは反対します。アパレル企業のウイグル自治区に対する対応やcakesの炎上などでは「不買運動」が起こり、チョコレート業界におけるbean to barのムーヴメントのように、自社の利益だけではなく社会全体をよくしていく取り組みに対しては、より高い価値付けがなされます。「顧客」は受動的ではなく、いまや価値を共創する主体なのです。


マーケティングは「狩り」から「共鳴」へ

このように提供者と顧客の境界が溶け、会社と社会との関わりが再定義されつつある時代では、マーケティングのあり方も変わってきます。

それは会社がターゲットとして顧客を狙い、仕掛け、獲得する感覚ではありません。「狩り」よりはむしろ「仲間づくり」に近い感覚です。事業の拡大は、顧客を「飯の種」として捕まえ食べることによってではなく、「私たち」の成員が増えるによってなされます。

新しいマーケティングのメタファーは「共鳴」です。事業や企業の価値に共鳴した顧客が応援し、さらには自ら提供する側となってその価値を増大させ、その共鳴の波がさざなみのように広がっていきます。

企業のマーケティングを「共鳴」と考えると、以下の3点がポイントとなります。

1)まず自分たちが鳴っていること

共鳴は、中心となる音源が鳴っていないことには引き起こされません。アート思考で「自分起点」というのは、まず最初の音源が「鳴っている」かどうか、ということです。

無理に身の丈に合わないことをしたり、他社のコピーや競争に明け暮れているだけでは、その企業らしい音の鳴りは聞こえません。そしてそこからは「共鳴」は起こってこないのです。あなたの会社は十分に鳴っているでしょうか?


2)波長が合う人に共鳴する

共鳴は固有の振動数が近いものの間で起こります。振動数が近いということはその逆数である「波長が合う」ということです。人の波長はそれぞれ違いますから、近い人もそうでもない人もいます。企業のコアなファンや顧客というのは、サービスや事業の価値に共鳴する度合いが高い「波長の合う」人なのです。

企業が「顧客」を「獲物」のように考えている場合、とりあえずマスに網を大きな網をかけたり、お金などのエサで釣ってターゲットの行動を自分たちの「ねらい」に合わせて変えようとしがちですが、企業がいくらターゲットに「使わせよう」としても、本人の「波長」が合わなければ「共鳴」はおきません。

逆にいうと、「共鳴」が起こるのはそもそもその人が反応する振動数を持っている場合でしかないのです。ですから共鳴のマーケティングでは、こちら側から「ねらい」をつけるというよりも「共鳴」している人を耳を済ましてみつけていく感覚になります。また、波長がちがう人にはいくら無理に接触しても鳴りませんから押し付けのようなことはしません。

共鳴のマーケティングは新規のユーザーを「獲得」するよりも、今鳴っているユーザーの音に耳を澄まします。


3)共鳴を増幅する

では「共鳴」は自然に任せるだけで何もしないのか、というとそうではありません。共鳴を増幅する努力はちゃんとするのです。

より多くの共鳴が起こるように、少し振動数を変えるなどの「チューニング」も必要かもしれません。また共鳴がより大きく響くような工夫も大事です。

ピアノには響板があり、それによって弦の音がピアノ全体に共鳴し、大きな音が鳴ります。ここで大事なのは、共鳴を増幅できるのはやはり共鳴的に振動する媒体だけだということです。よく、企業で商品の宣伝に有名人やインフルエンサーを起用して瞬間風速だけは出ても一週間後には無風、みたいな失敗をすることがありますが、これは「共鳴」を増やすのではなく一時的な「拡声」をしているだけだからです。いくら音を拡大する力をもっていようと、そのインフルエンサー本人の波長が合い、共に鳴っていなければ「共鳴」は広がっていかないのです。


「会社」を、「社会」を鳴らそう

最初は一人から、そして数人のチームから鳴り出した音は、ユーザーの共鳴により大きな音になってホール全体を響かすような音になります。

「共鳴」的なイメージでマーケティングや事業を捉えると、ユーザーは他者や対象ではなく、「私たち」の延長だと思えてきます。

そして共鳴のイメージは、実は昨日の記事の「会社」で働くときについても同様です。

「私」と「会社」が乖離している時、「私」は私の意図を邪魔する他者としての「会社」を動かそうとしますが大事なのは会社を無理に動かすことではなくて、「一緒に鳴る」ことです。会社の中には色々な「波長」の人がいます。目の前の上司を無理に動かそうとしたり部下を思いのままにコントロールしようとしても、対立関係になってしまったり相手の意思を尊重できなくなってしまいます。それよりは、自分にちかい「波長」をもつひとと「共鳴」の輪を広げ、その音を徐々に広げていけばよいのではないでしょうか。

繰り返しになりますが、そのためにも大事なのはまず「自分が鳴っていること」。自分が鳴り、会社が鳴り、そして社会が鳴る。これからのビジネスやマーケティングではそのような「共鳴」の感覚がますます必要になってくるでしょう。

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