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ドル暴落説の妥当性

散見され始めたドル暴落説

全面高が長く続いているせいか、ドル暴落の可能性を懸念する言説が散見され始めているように感じます。英語報道では暫く前からそういったものが散見されていましたが、それに着目する日本語記事も見られ始めました:

確かに、ここにきて為替市場はドル全面高の色合いがかなり色濃くなっているように見えます。これは名目実効為替相場(NEER)ベースで見た英ポンドやユーロ、そして底堅さを維持していたカナダドルまでも崩れ始めていることからも読み取れます:

ちなみにNEERベースのドルは8月時点で年初来+9.1%上昇しており、それ自体はかなり急な動きではあるものの、図に示すように、水準自体は2002年10~12月期と同程度で歴史的に高過ぎるという印象はありません。

しかし、内外物価格差も映じた実質実効為替相場(REER)ベースで見ると年初来の上昇幅は+7%に達し、水準としても1985年前後以来の高水準にあります。理論的に収斂が期待される20年平均からの乖離率も+25%前後まで拡がっており、巷説でドル暴落説が囁かれ始めているのは根拠のない話ではないと言えます。「インフレの国の通貨はいつか下落する」という理論的に示唆される結末に対し、市場参加者が警戒感を覚え始めている状況です。
 
ドル高の痛みはどこに現れるのか?
ドル高が修正される展開を予想するにあたっては、ドル高の痛みがいつ、どこに現れるのかを想像する必要があります。

この点、様々なルートが考えられますが、大別すれば米国内への影響と米国外への影響の2つがありそうです。国際競争力の尺度としてREERが持ち出されることが多いことからも分かるように、現状が極まっていけば輸出競争力悪化などを通じた米経済への悪影響を懸念する局面に入ります。現在と比較される80年代前半の米国は財政赤字と経常赤字の「双子の赤字」が累積し、最終的には膨張した貿易赤字に音を上げる格好でプラザ合意に至りました。

要するに、米国経済が「ドル高で困っている」という状況に直面すれば、米国の通貨政策(財務省)や金融政策(FRB)としてドル相場の低め誘導を検討する言動が出てくる可能性があります。それがドル売りの号砲となる展開は否定できないでしょう。

もっとも、米政府・FRBともに問題意識はインフレ抑制で一致する中、ヘッドラインのインフレ指標(CPIやPCEデフレーターなど)が際立って低下してこない限り、「ドル高で困っている」よりも「ドル高で助かっている」という状況が続くことになります。とすれば、当分は米国が能動的にドル高を修正しようという動きには考えにくいように感じます。

もっとも、米国の政策当局がどう感じるかは別として、経常赤字の水準は今や金融バブルのピーク時(2006~07年)を超えており、需給面からドル暴落説を唱える向きは今後多くはなりそうです:

しかし、GDP比で見れば▲6%を超えていた2006~07年と異なり、現状ではその半分程度(▲3.0~3.5%)なので、今のところ過去に類例がない経常赤字とも言い切れないでしょう。裏を返せばGDP比で見ても既往ピークの赤字幅に差し掛かってきた場合、ドル高の反動は非常に大きいものとして警戒され始めると思います。
 
2023年、新興国は多額のドル建て債務借り換えに直面

ドル高の悪影響は恐らく米国よりも新興国に早く表れる可能性があります。過去の米利上げ局面を振り返れば、新興国からの資金流出が大きな混乱に至る可能性は定番の展開です。そのたびに「FRBは他国の情勢を踏まえながら金融政策を運営すべきか」が議論されてきました。

国際金融協会(IIF)のデータでは、新興国の抱えるドル建て債務(債券およびローン)に関し、2023年末に返済期限を迎える部分が6625億ドルと今後数年を見渡しても特に大きいものです:

米金利とドルの相互連関的な上昇が続く限り、ドル建て債務を抱える新興国に返済可能性の問題が浮上する懸念があります。その時点で当該国の通貨や国債は売られ、望まぬ金利上昇に悩まされるでしょう。

もちろん、ドル建て債務返済のために財政支出を厚くすることで、国内向けの支出が削られてもやはり実体経済は下押しされることになります。複数の新興国で同時多発的に混乱が起きれば、米政府・FRBも看過できない展開になる可能性はあります。それも今次ドル高局面が収束するタイミングとなるかもしれません。
  
果たしてどれほどの円高に戻るのか?
しかし、身も蓋もない話ですが、インフレ収束の兆しが見えなければ、米国の経常赤字拡大や新興国市場の混乱を米政府やFRBが問題視するとは思えません。昨年下期、「インフレは一時的」と言い続け失敗した以上、次にハト派転向する際は確実にインフレの芽が摘まれたことを確認したいはずです。

なお、「インフレの国の通貨はいつか下落する」と教科書で謳われている事実に依存し過ぎるのは危険です。既述の通り、1985年以降、ドル安に転じたのは高いインフレ率を受けた自動的な調整というよりも、プラザ合意という人為的な調整であり、言い換えれば力づくドルを下落させたに過ぎません。「インフレだからいつか自然に下落する」というわけではなく、やはり政策当局による相応のアクションが必要になるというのが教訓でした。

しかし、FRBのハト派化であれ、第二次プラザ合意的な国際協調であれ、それを契機としてどれほどの円高に戻るのかは議論の余地がある。例えば、1985年のプラザ合意時には「双子の赤字」の元凶として対日貿易赤字が指差され、日本は対米国以外でも巨額の貿易黒字を抱えていました。政策金利(公定歩合)も5%ありました。円の急騰には国際協調があったとはいえ、ファンダメンタルズとして通貨高に触れる素地があったことは留意すべきです。一方、今の日本は巨額の貿易赤字を抱える世界で唯一のマイナス金利採用国です。経済全体を達観しても、1980年代は日本の1人当たり名目GDPで米国に勝ることもありました。

需給・金利・成長率の日米比較を踏まえれば、当時とは条件が違い過ぎており、プラザ合意直後のような激烈な円高が起きるのかどうかは相当疑義はあります。それはFRBが利上げの手を止めた時にもある程度当て嵌まる疑義と言えるでしょう。ドル暴落説は緒に就いたばかりという印象であり、それ自体は根拠のない話でもないと筆者も感じます。しかし、あと半年程度の時間軸で起きる話とも考えにくく、また、仮にそうなったとしても円高がどれほど付いてくるのかは別問題にも思えます。「日本経済の現状ゆえの円安である」という売られる側の視点を欠き、「今の円安はドル高の裏返しだから」という安易な解説が目立ちますが、少なくとも今次円安が始まった今年3月、ドルのNEERは横ばい(厳密には▲0.02%の下落)でした。他責思考は脇に置いて、円相場の未来を考えたいところです。

日本円の現在位置

なお、今次円安を契機として「日本の現在位置」を知る努力は必要だと思います。実際のところ、国際収支統計を見る限り、過去10年の構造変化は一考の価値があると思います。春先時点でこうした考え方を「構造的な円安論など一時的だ(よって円安も早晩収まる)」と軽視する向きは多かったように思いますが、結果は周知の通りです。一時の雰囲気で強いことを言っても全体像を誤ると思いますので、「円相場の何が変わっていて、変わっていなそうなのか」を丁寧に見ていく必要があります。このあたりを以下の近刊にまとめさせていただきました。文庫サイズで適度な量と難易度でまとめさせていただいておりますので、ご関心のある方はご一読賜れれば幸いです:

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