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「紙のチラシどこまで必要?」のこれから

紙のチラシとは、ここでは公演チラシのことを言っている。
チラシと聞いてまず思い浮かべるのが、レコードジャケットだろう。
2020年上半期アメリカで、レコードの売上がCDのそれを上回ったというニュースに溜飲を下げた人は多いに違いない。
いやCDに対抗意識や恨みがあるわけではない、むしろ仲間だ。
溜飲を下げる、を改めてググってみると、むかむかしていた気持ちがスッキリする様子、とある。
むかむかしていた気持ちがスッキリするのは、レコード盤のビニールの溝を引っ掻く感触とかDJのプレイとかノスタルジックな酸っぱい思い出とかあるのだろうが、やはり皆さんご指摘の通り、そのグラフィック性の回帰にあるだろう。パチパチ。

あの30センチ四方の美学。
ピンクフォロイド原子心母、キンググリムゾン、ビートルズサージェントペパーズ〜などその時代に産んでくれた母、その時代に現役で買っていた兄に感謝するしかない。
以前、沖野修也氏がイベントでプレイした側からEW&Fのアルバムをくれてしまうという、家に持ち帰りプレーヤーが無くとも、そのアルバムをどう扱って良いか困りながらも、しばし酔いしれる。それだけの存在感が、アルバムには、グラフィックスにはある。

さて、演劇のチラシには、その要素があろう。

チラシにはポスターがつきものだ。失礼、ポスターがあって、チラシが存在する。
この演劇のポスター、広告のポスター、それらがあったからグラフィックという概念、グラフィックデザイナーという職種、憧れの地位も存在した。
2017年、松本市美術館「堤清二 セゾン文化、という革命を起こした男」を観て感動した。当時の西武美術館の横尾忠則のポスターは、多色のシルク印刷を一枚いちまい手刷りし駅貼りしていたこと自身が信じられないし、1984年ウッディアレンのおいしい生活のポスターのキャプション

“この年池袋西部は日本一の売上を達成した“

を読んで私は本当にこっそり涙した。文化と経済が共にピークを迎えたということ。文化が経済を押し上げたということに。そこに、ポスターの、グラフィックの力も、あった。チラシは、その立派な斥候部隊であり、相手の懐、手の内に入り込む重要な懐柔部隊なのである。
ああ、そのチラシ。

一方、遠山Bがいる。

劇場に行くといつも椅子の上に束になっているチラシにむかつく。
というか、イラつく、同じか。
というか、疑問が湧く。

開演までそれをパラパラめくるのもいいし、良きデザインに出会うのもいいが、何枚かは引っ張り抜いてポケットに入れる、それも楽しいのだが、それにしてもこのデジタルの時代に、SDGsの時代に、さすがにこれはないよなと。これを配る人の労働、回収したりゴミとして処理する人の虚しさ。これはないよな、と劇場にいる87%(私的感覚値による)の方々がそう思っている。
もちろん遠山Aのグラフィックや紙に対する愛情との張力、鍔迫り合いなどあろうが、そうしたって、やはりこれはないよなに軍配だろう。

実際、トーパンのみ、という動きはありそうだ。
トーパンとは、当日パンフレット、と言っても冊子ではなく、あらすじなどに加えて、その日の配役などが刷ってあるチラシのこと。毎日役者がチェンジしたりするから。
しかし、むしろ、それこそデジタルの得意とする領域である。
そもそも、あの束のチラシはどうしてそうなのだろうか?
私には分からないが、経験値としては、演劇というのは一元化した情報や組織が少ないのかと考える。


ふっと空いた土曜日の午後、思い立って演劇でも観ようか、というときに、映画は一元的なサイトがあり、場所からでも作品からでも検索できる。
演劇はというと、ぴあなどもあるのだろうが、音楽、オペラ、劇団四季、ウィーン少年合唱隊、義経千本桜、前売券、売切れ、立見などなど、情報が広過ぎて、今からこの近くで観れる小劇場は、なんてことにはなかなか辿り着けない。映画と違って、即時性、場所性、一覧性が実に乏しい。
これは、きっと、館としての機能と、劇団としてのあり様と、立場や大小などによって情報の出どころや質が違ってくるからなのだろう。
さて、そんなことを踏まえて、ようやくデジタル化の出番である。

もう随分前書きが長くなってしまったのと、ここからは我々がやっているサービスの話を踏まえてなので、サラッとにしておく。
私はThe Chain MuseumというのをやりArtStickerというプラットフォームサービスを行なっている。

ArtStickerは、主にコンテンポラリーアートを中心にして、アーティストや作品が世界と直接結びつくプラットフォームとして2年前にスタートし、現在約l1000人のアーティスト、6000点の作品、35000人のアート好きなユーザーが登録している。
ユーザーはそこから作品と出会い、クリップしたり、気にいった作品に投げ銭をしたり、コメントをつけて、ひょっとしたらアーティストから返事が来たり、作品を購入したり、展覧会や演劇のチケッティング、音声ガイドなどおよそ大体のことを網羅し、互いにほぼタダで使える、誠に便利なプラットフォームである。

そして、ArtStickerは、まだまだ少ないが演劇情報も扱っている。チェルフィッチュ、平田オリザ(青年団)、庭劇団ペニノ、あごうさとし、などなど。


さて、いよいよ本題である。

劇場側、或いは劇団側からの依頼があれば、チケッティングができる。
そこではStickerという投げ銭やコメントを書くことができる。
劇団側も、随時情報を更新できる。

例えばある劇団がArt Stickerをタダでしっかり使用した場合はこんな感じだ。


・チラシはやめて、ArtSticker上であらすじやキャストを知らせ、デザインする。
・その情報は35000人のアート好きに配信される。
・練習風景を日々更新する。
・チケってイングをする。手数料はPeatixと同等か少し安いか。
・当日の受付は、出力したQRコードを用意するだけで良い。予約者の紙のリストと付け合わせるチェックして消し込んでいく必要はない。
・当日開演時間までの間に、演者や脚本家などからの音声ガイドが聞ける。トーパンも不要。
・観終わって、興奮冷めやらぬ帰りの電車からその感動と応援の気持ちを投げ銭(120円から)する。
・熱いコメントを送る。他の方のコメントも読めるので内容理解にもつながる。ファンの人が見終わった後下北沢の居酒屋○○で飲んでます。ファンの人は一緒にいかが?などと書いてあるので、行ってみる。
・劇団側は、お客さんのコメント一人ひとりに感謝の返事ができる。本人でもマネージャーでも。
・なので、会場でのアンケート用紙が不要になる。紙のアンケートだと、劇団員に回したり、劇場側や音響さんまで共有できなかったり、ずーっととっておくことができないが、これなら皆んなで共有できアーカイブ化される。
・当日の収録した映像を有料配信もできる。1ヶ月のみなど期限を設定しても良い。
・上記の流れが、順次ストックされていく。

なんて便利なのであろうか。
今なら、コロナ対策の文化庁の助成金申請も一緒に提案、お手伝いもします。
これ以上言うと、宣伝にしかならないのでやめておくが、客観的にもうやらない手はないと思う。

かくして、チラシの世界は、残念ながらなくなるであろう。
しかし、デジタル化してもデザインは重要である。
当日の劇場に貼るポスターは贅沢にB0で作るのも良い。
アーカイブ化としてチラシを数十枚だけプリントしてみるのも良いだろう。
デジタル化してもデザインの魅力は変わらない。

そうやって、いよいよ演劇の世界にもデジタル化の世界が広がってくる。
デジタルによって、メイキングやクロスメディアなど新たな表現手段も生まれるだろう。
突然空いた夕方の小劇場情報も、ステイホームで出れなくなった時のオンライン鑑賞も、選択肢が増えることは良いことだ。
溜飲を下げよう。
舞台裏のデジタル改革は、不可逆的にもう始まっている。

この記事を書いた人

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遠山正道(とおやま・まさみち)
スマイルズ代表取締役社長/スープストックトーキョー代表取締役会長

1962年東京都生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、85年三菱商事株式会社入社。2000年株式会社スマイルズを設立、代表取締役社長に就任。現在、「Soup Stock Tokyo」のほか、ネクタイ専門店「giraffe」、セレクトリサイクルショップ「PASS THE BATON」、ファミリーレストラン「100本のスプーン」、海苔弁専門店「刷毛じょうゆ 海苔弁山登り」を展開。「生活価値の拡充」を企業理念に掲げ、既成概念や業界の枠にとらわれず、現代の新しい生活の在り方を提案している。著書に『成功することを決めた』(新潮文庫)、『やりたいことをやるビジネスモデル-PASS THE BATONの軌跡』(弘文堂)。

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