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世代論を唱えるのは常におっさん。小さな全体主義の罠に気を付けよう。

ロシア軍が使用している「Z」の意味については諸説憶測が飛んでいたが、 ロシアの国営放送がその意味を明らかにしたようだ。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/04/z-5.php

しかし、そんなロシアのせいで思わぬ迷惑を被っている人が全世界にいるようで…。

スイスのチューリッヒ(Zurich)保険は、150年間使って来たロゴを当分は使用しないこととしたほか、サムスン電子は、欧州の一部地域で販売されている製品の名称を変更したそうだ。別に文字としてのZを禁止しようという話ではないと思うが…。

このニュースはツイッターでも「フェアレディZ」「ニコンのZシリーズ」「ももいろクローバーZ」「マジンガーZ」「ドラゴンボールZ」「Z会」もダメになるのかよと話題になった。その理屈でいえば、一部界隈が躍起になって使おうとしている「Z世代」も「ロシア侵略戦争世代」や将来の世界の歴史の教科書では「プーチン世代」的な意味合いで使われそうな気もして使用禁止になるのでは? 

他の商標やキャラクター名にとっては本当に迷惑な話だが、Z世代なんて言葉は別にこの世からなくなっても誰も困らないだろう。世代論なんてもので小銭を稼ごうとしている一部の界隈の人間を除いては。

そもそもZ世代とはなんぞや?というものに関しては、至る所に記事もあるし、書籍もたくさん出ているが、こちらのニューズピックスの記事がよくまとまっているので参照されたい。

デジタルネイティブで、いくつものアイデンティティを持ち、独自性を重視し、しかし現実的でもある。というのがZ世代の特徴らしい。

確かに、生まれた時からネットがあり、SNSでは裏垢と呼ばれる複数のアカウントを持ったりと、昭和の若者とは違う環境で生きてきたという土台は違うだろう。とはいえ、ネットがあろうとなかろうと、若者のアイデンティティなんてものは確立されていないのが普通で、だから昔は「盗んだバイクで走りだす」少年がいたり、「積み木を崩す」少女がいたりしたわけだ。

独自性を重視とかいうが、果たして本当にそうか?むしろLINEのグループ内で浮かないように、と集団にあわせる行動を余儀なくされる機会だって増えているとも解釈できる。

いつの時代も若者はリベラルであるとされている。しかし、本当の部分では、リベラルでありつつ、現実的で保守的という矛盾性を併せ持っているのが、いつの時代でも若者というものだ。

「Z世代はSDGsなど社会環境意識が強い」「社会のために役立ちたい意識が強い」などともいわれるが、そういう人もいるだけの話であって、全体の世代全員がそうかといえば決してそんなことはない。

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若者より50-60代の高齢者の意識の方が高い。これもいつの時代もそうだが、若者は社会のことより、自分の半径3メートル以内の方が大事です。見知らぬ社会で困っている人より、隣にいる友達の困りごとにしか目が届かない。しかし、若者はそれでいい。

むしろ半径3メートル以内の人間に手を差し伸べられない人間が地球なんてものを救えるわけがない。

同時に、大人になる(経験を積む)とは、半径3メートル以外に対しても(結果論としてそうなったことも含めて)手を差し伸べた経験をへて、その範囲を拡大していくということ。


Z世代に限らず、大体において、世代論のいい加減なところは、前の世代との違いを出すために、「そういう面もあるよね」という一部の特徴をさも全体の特徴であるかのように誤認させる定義をしているところだ。それこそ、新入社員を「○○型人間」と長らく規定してきたかつてのおっさん連中のやりかたそのもの。

だからといって若者とおっさんは一緒というつもりもない。一緒どころか違う。しかし、それは世代によって20代の違いがあるというより、いつの時代も20代と中年のおっさんとでは違うという方が正確である。

Z世代は、「会社や組織にしばられない自由で能動的で、転職も活発である」という論もある。

この記事の中にこんな記載がある。

1990年代半ば以降に生まれた「Z世代」は能動的にキャリアを選ぶ傾向があり、「石の上にも三年」という言葉は通じない。全国求人情報協会(東京・千代田)の調査では21年に入社した社員のうち約4割が半年時点で離職または転職志向を持つといい、19年入社から4.1ポイント上がった。

「Z世代だから転職をいとわない」とも聞こえるが、決してそんなことはない。若者が転職する割合はZ世代だろうと、新人類世代だろうとゆとり世代だろうとたいした違いはない。

グラフでわかる通り、25-34歳は2000年頃から転職率はほぼ一定であり、15-24歳の新卒組に関して言うならば、むしろ2004年をピークとして減少傾向にある。どちらの年代も2021年の実績は1990年代レベルと同等である。

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マクロ視点での転職率が影響を受けるのは、世代の価値観などではなく、その時の経済環境である。なんでもかんでも個人の価値観がさも世の中を変えていくような間違った論説はやめていただきたい。価値観が先にあるのではない。環境が先にあるのだ。

15-24歳の転職率が2005年頃までに上昇している時期は、ちょうど就職氷河期であり、新卒就活で希望通りの会社に入れなかった若者もたくさんいたからだ。彼らが初職に満足せず、転職行動をしたのはうなづける。まさに、就職氷河期という環境によって左右されたのである。価値観などではない。

若い人たちに言いたいのは、世代論というのは、いつの時代もおっさんたちが決めた枠組みである。「最近の若者はちっとも理解できない」と言いながら、古くは「太陽族」とか「新人類」とか大人が決めた枠組みに彼らを囲い込もうとしているものである。

不思議なもので言われ続けているうちに誰しも自分はそういうものなのだと定義に寄せていってしまう。血液型占いなどその最たるものだ。

「俺達はおっさんたちとは違うんだ!おっさんたちには俺達のことはわからない」と言いながら、 おっさんたちが定義した枠内にきれいに収まることで、自己を見いだそうとするのもまた、歴史上繰り返されてきた若者の姿でもある。

但し、勘違いしてはいけないのは、環境は変わる。それに応じた日度の行動は変わる。それは間違いない。パソコンがある時代と紙と鉛筆で仕事していた時代とは当然違う。みんなが農業やっていた時代と今とでも違うのは当たり前。しかし、どういうツールを使うのか、とか、どういう作業をするのか、という違いは環境変化の一要素に過ぎず、使う道具が変わったからといって抜本的に全部が変わるものではない。変わったとしても、それは一部の年代だけが変わるのではない。

何度もいっているが、結婚に対する意識も実は変わらない。未婚化、非婚化というが、そもそも皆婚時代が異常だった。明治民法以降たかだか100年の皆婚がデフォルトなわけではない。

満州事変がおきて以降、日本は軍国主義一色に染まったかのように思われるが、あの時代の空気感はコロナ禍における自粛警察とかヒステリックな行動制限とかとそれほど変わらない。

現代でもいつあの時のような全体主義がきてもおかしくはない。現に、一部の界隈ではポリコレ全体主義的な思想がまかり通ってもいる。自分達の正義しか認めず、それ以外を駆逐するというのはファシズムと一緒だ。

むしろ、世代論こそ「小さな全体主義」でもある。そうした論によって儲けたい一部の人達がいることも理解できるが、あまり乗せられないことである。世代によって人間は変わらない。経験と環境によって変わる。

言い換えれば、どんな若者もやがて、かつて自分が嫌っていた老害になる。




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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。