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本当は、A面のあなたがいたので、私がA面を演じられたのです。

 2021年1月は、何か、新年のスタート感が薄いお正月でしたね。そして、私は、最初に就職した会社を辞めてから、5年が経過しました。

 最近は、私の同僚や、後輩が、メディアでマーケティングの話をしてくださっており、うれしい限りです。

 まずは、廣澤さん。私が、最後に一緒にお仕事をさせて頂いた、新入社員(当時)でした。私がWebやデジタル広告の世界に閉じていたのですが、廣澤さんは、花王のブランドの事業を牽引してくれいています。頼もしいです。

 そして、ほぼ同僚として、一緒に働かせて頂いてたのが、板橋さんです。本当に、いろいろとご迷惑をおかけしました。

 今回は、この「花王でインターネット一筋20年。時代の変化を無理なく楽しむ仕事観」ではあまり書かれていない、another story、昭和で言う、「B面」の記事を書いてみたいと思います。

 このB面の記事は、実は、わたしが日経COMEMOの記事で書いた内容の私的な事実になります。これからの内容を読んで頂ければ、私が「人からもらった時間」を返したい理由を、明確にできるのではないでしょうか?

当時の役員は、私たちのチームのために、中途採用活動を

 板橋さんの「花王でインターネット一筋20年。時代の変化を無理なく楽しむ仕事観」の記事で、

板橋: 花王への転職のきっかけは、求人誌でした。といっても、自分が転職しようと思っていたわけではなく、友人が海外に出向になり、帰国したら転職活動をしたいから「求人誌を買いだめしておいて」と頼まれたんです。求人誌を買って、最近の求人はどんな感じなのかなと思って読んでみたら、見開きで花王の求人広告がありました。

という部分があります。このお話の裏には、当時の上司、取締役の英断がありました。実は、花王のインターネットの最初のチームは3名と少数でした。当然、この人数では足りることはなく、取締役も会社の中を這いずり回り、人選してくれていました。まずは、本当にお忙しい役員が、そこまでしてくれていたことに、本当に感謝しています。

 そして、ある時この役員が「久しぶりに、中途採用しよう」と言ったのです。花王は非常に良い会社で、新卒で会社に入ったら、定年までいる。そして、定年まで成長させ続けてくれる会社でした。離職率はとても低く、結果、中途採用など、ほとんど当時はありませんでした。

 が、「新しい仕事は、その仕事を知っている人が必要」とおっしゃって、中途採用を人事部と相談して、進めてくれたのです。今、この歳になって考えると苦渋の判断だったのでしょう。中途採用ということは、別な見方をすると、会社の中の人材の問題を指摘することにもなり、ましてや従業員のことを信頼している役員であれば、悩まれたのではないでしょうか?

 そう、板橋さんのみた「求人誌」への掲載は、このような背景の結果なのです。

仕事をうまく分担したから、私は外部の活動ができた

板橋: 花王のインターネット活用を考えながら、実務を行うインターネット推進室という部署があり、室長が一人、メンバーが二人いました。メンバーの一人が本間充さんで、彼がシステムを担当していました。もう一人はコミュニケーションの担当で、それぞれの下に一人ずつ求人があったんです。私はコミュニケーション担当のほうになりました。

 板橋さんが、入社されてしばらくして、私たちの部屋は、上記のように、また3人の実働チームになりました。当時のインターネットは、コンテンツ・プランとデジタル技術の両方が必要でした。

 私は、時間があれば、Webサーバーを一人で、組み上げたり、HTMLを書いたり、社内のイントラネットを勝手にクローリングしたり、イントラネットの技術で遊んでいました。

 板橋さんは、どんなWebサイトが必要で、どんなコンテンツ、どんなっ広告が必要かを考えてくれていました。

 私と板橋さんは、仕事も違えば、仕事の相手も違いました。私は、文句を言わないコンピューター。板橋さんは、議論が白熱する社内の関係者。結果、私は隙間時間ができて、社外活動を行えました。板橋さんは、白熱する議論のために、社内に足止めです。

 そして、時間ができた私は、Web広告研究会の代表幹事など、外部から見ると「A面」で、板橋さんが「B面」に見えたかもしれないのですが、実際には社内の「A面」の仕事を板橋さんが行えていたので、私は社外活動ができたのです。

そして、私は、さらに...

 そして、さらに私は2015年9月に花王を退社。ずーっと長く一緒に仕事をした板橋さんと、はじめて2人で食事に行ったのは、実は退社する月でした。よく考えると、本当に忙しかったんですね。15年も同じチームにいたのですが。今でも、感謝の気持ちで一杯で、そしてたくさんお返しすることがあります。でも、感謝の気持ちは言い尽くせていないし、恩返しなんて到底足りません。

だから、時間を返したい

 本当は「A面」の仕事してくれた板橋さんがいたので、私は外部から「A面」に見えていた。そして、このことは返しきれない恩なのでうす。

 だから、私は「#やさしい時間は、私の経験や考えを知りたがっている若者に伝えることです」と書いたのです。

 

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本間 充 マーケティングサイエンスラボ所長/アビームコンサルティング顧問
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