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”超”属人化社会がやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!

お疲れ様です。uni'que若宮です。

早いものでもう年の瀬ですね。師走、というだけあって、っていうか師でもないのにばったばたです。


さて年末なのもあるので、ここ一年ほど働き方や組織について思い、実行してきたことを踏まえてちょっとこのへんで思っていることを書いてみようかなと思います。

それはこれから仕事は”超”属人化する、ということです。


仕事が”超”属人化する?

企業で働いた事がある人は、「仕事を属人化するな」と言われた事があるかと思います。というかそうずっと言われてきたと思います。仕事を人に帰属させると、その人が抜けたり倒れたりした時に取り返しがつかないので、人に依存せず組織的に回るようにせよ、ということです。

このための最たるツールが「マニュアル」です。誰がやっても同じく仕事が回る、たとえ誰かが抜けても、新人でもそのマニュアルを読めば仕事ができるようになる。こうしておけばリソース面でのリスクはない。属人で仕事するな。


しかし、僕はこういう「属人化させない」という働き方は、徐々にワークしなくなってきていると考えています。


あたらしい組織はむしろ「属人」である。

1.「複業経営」「バンド経営」における属人

例えば弊社uni'queでは「全員複業」そして「バンドスタイル」という組織の運営にチャレンジしています。

(先日、この取組を評価いただいてWork Story Awardのイノベーション賞というのを受賞させていただきました。光栄!)

1年ちょっとこの働き方をやってきて、本当に骨身にしみて思うことは、「メンバーそれぞれの活躍」によってこそうちの会社は回っている、ということ。「バンドスタイル」でやっているということと表裏ですが、誰かのメンバーが抜けたら今と同じ事業の進め方は出来ないと思います。後に述べますがこのような仕方にはデメリットもあります。けれどそれぞれのメンバーが個々に活躍してくれて、しかもシナジーをもってきてくれるので、たとえ短時間の業務でも僕の出来ないことを、そしてそれぞれが他メンバーが出来ないことをしています。

そしてそれぞれのメンバーは、uni'queという一企業の枠に収まらない活躍をしています。個はすでにつねに組織をはみ出しており、「人」の方がむしろ事業の成長を牽引しています。


2.「スマート経営」における属人

また僕はいま、ランサーズというクラウドソーシングの会社で「タレント社員」という形で複業をしており、全国各地の企業コミュニティの立ち上げをやっていますが、各地でクラウドソーシングを活用している企業の事例をたくさん聞いていくうちに、

クラウドソーシングをものすごく活用している企業は、実は『人』をものすごく活用している

という事に気づきました。

どういうことかというと、たとえばこれまでデザインや開発を企業に対し「外注」していた会社がクラウドソーシングを使ってスキルのある個人とつながることができるととても上手く仕事が回る、ということなのですよね。

僕自身も大企業時代にSIerや代理店などに「外注」をしたことが沢山あるのですが、どんなに名のしれた大手に仕事を依頼しても、そのクオリティは”担当に誰がアサインされるか”によって大きく異なります。

インハウスでデザイナーやプログラマーとちゃんと仕事をしたことがある方ならわかるように、仕事のクオリティというのはなにをどうやったって人によります。あまつさえ、「外注」はその企業内の人材にとどまらず、「再委託」という形で子請け、孫請けへと流されます。だとすると「企業に外注する」というのは誰がその中でアサインされるかよくわからない、ガチャを回すようなリスクのあることだったりするのです。(「この担当者信頼できるなー」と思って契約したら翌月の1日には「異動しました!」とか「退職しました!」とかきいて、「おお・・・・」っていう経験、ありませんか・・・?)

それに気づき始めた経営者が、企業への外注ではなく、スキルのある個人に直接仕事をお願いするようになるのは当前の流れかもしれません。しかも(中抜きがない分)安い。さらに、個人をちゃんと探すと、「とてもニッチな領域のスキルがある」「夜中でも作業してくれる」「都心や海外で活躍する高スキルな人にエリアを超えてお願いできる」など、自社のニーズによりフィットした人と仕事することができる。

このように必要なスキルの「人」に発注することで、地方の中小企業でもスキルのある人に仕事をお願いできたり、人件費を変動費化したり、季節変動や突発に引きずられずにコア事業に集中できたり、そういう事例が沢山あることを見てきて、それって、オンプレでサーバ立てるよりクラウドサーバ使う、とか、smartHRみたいなSaaSをつかう、みたいな(ぜい肉のない)スマートさがあるなーとおもって最近「スマート経営」と言っています。(「#スマート経営」盛り上げたい!)


3.「ひとり経営」における属人

先日、Tokyo Work Design Weekという働き方の祭典で「ひとり経営」について登壇してきまして、

ベストセラー『会社は1人で経営しなさい』の著者山本先生と、TWDWの首謀者であり名プロデューサー横石崇さんと語ってきたのですが、ここで話されていたことにも共通するところがありました。

少子化で確実にGDPがさがっていく日本で、「成長」「拡大」をデフォルトとすることはいずれ破綻するし、無理がある。それよりも個々人が自分のバリューややりたいことを大事にして「成長」や「規模」を前提としない働き方をしていくべきではないか

そんなことについて語り合ったのですが、「ひとり経営」っていうのはもうものすごく「属人」ですよね。ひとりだし。

また同じくTWDWでは元WIRED編集長の若林恵さんの独演会というのがあったのですが、これもとても示唆的な講演でした。

未来は過去に学べる。「江戸時代にはものすごい沢山の種類の職業があって、物乞いだけで22種類あって」

みたいな、日本ってもともと産業で組織化される前は「しごと=個」だったんですよね。インターネットもしくはポストインターネットの分散型世界において、そこに戻りつつある、と。


「属人」のデメリットはないのか?

この3タイプの働き方もしくは経営は「属人」を志向していますが、「属人」があれだけ組織では忌避されてきたのにも理由があるはず。「属人」にはデメリットがあるからそういわれてきたはずです。


そう、結論から言うと、デメリットはあります。

たとえばuni'queでも、属人で、しかも複業で事業をしていると、たとえば誰かメンバーに不測の事態が起こったときなど、プロジェクトが止まってしまったり、その回復に時間がかかってしまうことはやっぱりあるのです。

でも、段々、そういう属人のデメリットを属人のメリットが超えつつある、そう考えています。

そもそもマニュアルをつくったりして、いくら「属人ではない」仕事のしようとしたとしても、仕事は人がするものである以上、究極的には属人であることを免れません。それでも製造業の時代には、非属人を志向する方が属人であるメリットを上回っていた。

部品も従業員もなるべく均質で、取替可能なほうが効率は良かったし、それを積み上げれば規模を大きくしていけた。「歯車」「モーレツ社員」がたしかにJapan as No.1をつくった。

しかし、↑の記事にも見るように、仕事はパラダイムシフトに直面していると思います。

僕自身は最近よく、「工場から芸術家へ」という言い方をしているのですが、成熟しモノが溢れ、ニーズも多様化し、「VUCA」といわれる時代にあっては、個の良さを消して非属人になるよりも、個のユニークさを活かすほうがバリューが高い組織なのではないでしょうか。組織というのが積み上げられたピラミッドではなく個の星を結んだ星座になる。そしてそういう組織の方が変化の時代においてはレジリエントなのではと思うのです。「ちがい」がある方が恒常性が高く、同質性が高い方が脆弱である。

モノが不足し、作れば売れた時代はおわり、「コト消費」や「ストーリー消費」ということが言われます。他と違いがないものは「コモディティ化」し選ぶ理由が希薄になります。

同じものを同じく、より沢山つくればコストがさがる。平準化して不良品率を下げ、「働く」を歯車化する。そういう作り方は確かに「工場」のパラダイムではとても有効でしたが、いまとなっては「箱ティッシュ」のように選ばれる理由がない、日本の産業構造や教育はそういう事態を引き起こしてしまったのではないか。

そして、成熟しただけでなく、ムーアの法則にはじまりシンギュラリティがいわれるように、僕らは1年先をも見通せない時代にいます。こういう時代には、個の力を活かす、「管理」より「活用」型のマネジメントがよりバリューを発揮するのではないでしょうか?


「All in one」の罠

ただ、「属人」は時にブラックな働き方を生んできたことも事実です。その意味で「悪しき属人」というのはある。それはだれか一人が「何もかも背負っている」という状態です。

「個を活かす属人」で重要なのは、「個のユニークバリュー」です。その人”ならでは”のバリューというのは、そこだからこそ、そこでのみ大きな成果を発揮します。逆に「個を殺す属人」といいますか、窒息し脆弱になってしまう組織の問題はすべてを一人の人に負わせる、ということにあるのではと思っています。

よく大企業や組織でみるのは、”できる人”にすべての仕事がのしかかっている、という状態です。なまじ能力がある人には仕事が沢山集まってきますし、それが本人にとってもある種承認欲求的な快感なので「おれがいないと仕事が回らない」という状態を好んで引き起こすこともあります。

この状態ではその人が倒れてしまうとすべての仕事がスタックします。少なくともスタックしそうにみえます。そしてその重みを背負って時にスキルがある人材ほど潰れてしまったり、本来の価値を出せないままに消費されてしまったりします。

けれど、よく分解してみると「その人しかできない」「その人が一番バリューを発揮できる」仕事ではない仕事をしているケースがとても多い。実は僕自身、以前は同じ風に考え、そんな矜持を持っていました。「おれは仕事ができるから仕事が集まってくるし、これはおれしかできない」。そう思いながらピリピリと仕事を続けた走りまくった結果、視野狭窄となり、ひとに任せることができずに、プロジェクトを崩壊させて3日位無断欠勤したことがあったのですが、恐る恐る出社してみると意外と仕事は回っていて、ほっとしたような寂しいような気持ちに襲われたものです。


「”超”属人」というのは、誰か一人に仕事をすべて負わせることではありません。むしろその逆です。

そうではなく、本当に「その人しかできない」バリューを大事にします。その人じゃなくても出来ることは他にまかせ、個がもっともバリューを発揮できる仕事に集中する。組織がすべきことは、個が個のバリューに集中できる環境を作ることではないでしょうか。おそらく、個が個の力でしなくてもよい部分は、いずれAIでかなり効率化もされていくでしょうし、ただの効率化では企業同士の差異は減っていき、コモディティ的な差異のないものになり、今以上に平準化されていくでしょう。

だからこそ、個が個の「らしさ」を発揮して活躍できる、属人の仕事をどれだけ増やせるか。そんな風になっていくことがこれからの働き方であり、そのような組織をつくることがこれからの経営では無いかと思っています。




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