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ビジネス課題は、すでにアカデミアが解決しているかもしれない(知らんけど)

 学問の世界には、ビジネスに有益な学知が多く眠っています。「眠っている」というのが、わたしの偽らざる感覚です。学問の世界とビジネスの世界はうまく接続されていません。ビジネスに有益な学知が使われないまま静かに佇(たたず)んでいます。もったいないなあと思っています。
 世の中に、「自分が直面する課題が人類初」ということは、まずありません。きわめて高確率で、過去に同じか類似した課題があり、先人たちが試行錯誤しています。
 学問はそれら過去の経験を整理して、理屈を体系化し、未来に使える道具として拵(こしら)えたものです。「車輪の再発明」で時間を無駄にしないためには、巨人の肩の上に立つ(standing on the shoulders of Giants)ことが賢明です。

ビジネスとは何か?と問われると、いまの私なら「課題を解決して、相手からお礼として対価(お金)を得ること」だと答えます。

したがって、向き合う課題の内容に応じて「業種」が決まりますし、解き方に応じて「自社の強み」が決まるのでしょう。

しかし、たまに…いや、しょっちゅう、業種も強みも決まっているけれど、課題がグレードアップし過ぎて「解き方が分からない」と頭を抱えることがあります。

そんな時は、自社内で「過去に解いたことがある人?」と聞くのが1番です。

自社内に居なかったとしても、外部の企業に協力を仰ぐ手段が残されています。専門家集団(いわゆるコンサルティング)は、特定領域の課題解決のプロフェッショナルです。

もし、それでも見つからなかったら。

実は「アカデミア領域の論文を読む」という手段がある、と最近気付きました。つまり、ビジネスにおける課題が、すでにアカデミアにとって解決している可能性があるのです。知らんけど。

…ということを、この書籍を読んでいて気付きました。ちなみに、書籍のタイトルが、この10年で1番好きかもしれない。

そもそも、アカデミアにおける研究とは、基礎研究、応用研究、開発研究にそれぞれ分かれます。それぞれの違いを文科省のドキュメントから引用してみます。

基礎研究とは、特別な応用、用途を直接に考慮することなく、仮説や理論を形成するため若しくは現象や観察可能な事実に関して新しい知識を得るために行われる理論的又は実験的研究をいう。
応用研究とは、基礎研究によって発見された知識等を利用して、特定の目標を定めて実用化の可能性を確かめる研究、および既に実用化されている方法に関して、新たな応用方法を探索する研究をいう。
開発研究とは、基礎研究、応用研究、および実際の経験から得た知識の利用であり、新しい材料、装置、製品、システム、工程等の導入または既存のこれらのものの改良をねらいとする研究開発をいう。

アカデミアにおける研究とは、多くの人が「基礎研究」をイメージしているかもしれません。しかし、企業内研究所があるように、それだけが「研究」とも言えません。いずれも大事です。

そして、ビジネスの現場と極めて距離が近いマーケティングや開発に関して言えば、各学会が発表を行い、深い知見を手に入れることができます。まさに私たちが悩んでいたビジネス課題が、アカデミアの世界で研究として解決に導いている可能性は大いにあるのです。

実際、比較的新しいマーケティング理論は、書籍になる前にまず論文として発表されているのだとようやく気付き、積極的に情報収集をするようになりました。

そこで今回は、アカデミアがすでに大方の結論を出していると思われる課題について、いくつかの共有をさせて下さい。


もっとも効果的なクーポンの提供方法は?

スマニューなどクーポンアプリを用いたプロモーションが一般的になるにつれ、その効果を確実に実感する小売・飲食店が増える一方で「もうちょっと科学的にやれんかしら?」と思われている方も多いようです。

確実に来店を促す「値引き系クーポン」ですが、すでに上得意になったヘビーユーザーの場合はクーポン不要のように見えます。なぜなら、財布の関係で「これ以上は買えない」から「ヘビーユーザー」なのです。

すなわちライトユーザーとミドルユーザーにだけクーポンを使って欲しい。もっと言えば、クーポンを使い続けることで、結果的にユーザーがヘビーユーザーになるのであれば良いけど、そうで無いなら「値引き系クーポン」とは別に、ロイヤリティ施策を実施しなければなりません。

さて、ではエビデンスは?

ここではLiu(2007)の「The Long-Term Impact of Loyalty Programs on Consumer Purchase Behavior and Loyalty」を参考にします。ちなみに、結論はAbstractを読めば一目瞭然です。(そのためのAbstractなのですが)

Using longitudinal data from a convenience store franchise, the study shows that consumers who were heavy buyers at the beginning of a loyalty program were most likely to claim their qualified rewards, but the program did not prompt them to change their purchase behavior. In contrast, consumers whose initial patronage levels were low or moderate gradually purchased more and became more loyal to the firm.

論文によれば、ポイントプログラム開始時点でヘビー、ミドル、ライトのグループに分けたのち、各月に観測された平均購入頻度を計測すると、ヘビーユーザーはほとんど増えず、ミドルユーザーやライトユーザーは徐々に購入量が増えた、とのことです。

ただし、一対比較テストを行った結果、2年経過後でもヘビーユーザーとライトユーザーの購入頻度には有意差があったようです。(ちなみにヘビーとミドル、ミドルとライト間には有意差が無かった)

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論文からグラフを引用

2つのことが言えます。

1つ目は、クーポンを使うことで購入頻度自体は高まるが、恐らくはそれだけでヘビーユーザーにはならない可能性が高いということです。もっと言えばヘビーユーザーには「安い」だけが訴求点にはならない、ということです。もちろん、必要ではあるのでしょう。だから小売・飲食店は自前のアプリを構築してクーポンの出し分け時期を管理しているわけです。

2つ目は、ヘビーユーザーいわゆる「ファン」であっても際限無く買ってくれるわけでは無いということです。購買の上限がある。「ファンマーケティング」とは、どちらかと言えば購買頻度を下げない、あるいはミドル・ライトユーザー向けの施策を目にした「ファン」に対して「あなた達だけ特別な対応をしますよ」と口説く施策のようにも思えます。

Liu(2007)を引用する論文は増えているので、その他にも目を通すと良いかもしれません。


「お得」は態度変容を促すか?

X回目の来店でY円値引いたり無償になったりする施策は、来店頻度を高めるのでしょうか。例えば「10杯目はコーヒー無料になります」と言われると、5杯目あたりから「どうせコーヒー飲むなら…」と考えは変わり、訪問頻度は1週間に1回から、4日に1回に変わるのでしょうか

以前にヤプリさんの企画で対談させて頂いた星野先生の「ポイントプログラムの長期効果:目標勾配仮説は成立するのか?」を参考にします。

ちなみに「目標勾配仮説」とは、目標に近付くと、モチベーションが急勾配で上昇することを指します。「さぁ、後もう少し!」ってやつです。

そもそも人間は「時間軸」で考え方や捉え方を大きく変わります。

遠い将来の利益の差分には鈍感でも、近い将来の利益の差分には敏感。同じ経験でも、時間軸が変われば、受け止め方が大きく変わります。これを行動経済学で「双曲割引(そうきょくわりびき)」と言います。

双曲割引は「今日と明日の違いは、1日違うだけの明日と明後日の違いより大きい」と説明できます。人間は「今すぐ」得られる利益を過大評価する傾向があり、「ちょっと待つ」ことでより大きな利益を得られたとしても、待てないのです。

例えば、今すぐ5%引きと1カ月後に10%引きなら「今すぐ」を選びますが、6カ月後に5%引きと7カ月後に10%引きなら「7カ月後」を選ぶでしょう。同じ「1カ月の差」でも、時間軸が違えば選択肢は変わります。

「目標勾配」とは、距離があり過ぎて「よく掴めなかった目標」が、間近になったことで「捉え方」が変わり、行動が変わるとも言えそうです。

では、「10杯購入すれば1杯無料となるクーポン」を使った施策でも「目標勾配」は起こるのでしょうか?

以下の図は、コーヒーが無料になる10杯目まで購入する活動を「サイクル」と表現した際、サイクル別にn回目とn+1〜9回目の購入間隔をグラフで表現しています。

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論文からグラフを引用

図1、図2、図3で、購入間隔(縦軸)は如実に違います

ただ、サイクルを1回でも完成させたユーザー全ての購買間隔で計算されているため、離脱を考慮に入れていません。1サイクルだけ完成させて2サイクル目の途中に離脱した人も、6サイクル以上達成した人も含まれています。

そこで、サイクルの達成でユーザーをセグメントし、それぞれ切り分けグラフにしたのが図2と図3です。サイクルが多いほどロイヤルユーザーと言えますし、平均購買間隔も短いと分かっています(図3)

さらに、0サイクル目に限って言えば、コーヒーを頼んだ回数が増えるほど購買間隔は狭まって見えます。もっとも、3サイクル完成させたユーザーも、6サイクル以上完成させたユーザーも、1サイクル完成以降は購入間隔が狭まったままです。

すなわち、一度ユーザーがサイクルを完成させると、それ以降は大半の場合において購買間隔は安定して狭まることを示しています。「目標勾配」は成立しませんでした。

一方で、星野先生の論文を読むと、過去の論文において、目標勾配が発生するとした場合もあったようですが「非常にロイヤルティが高い、極めて偏りのある”super-loyal”な顧客からのデータである可能性が考えられる」とコメントがありました。


理論と実践の両輪

マーケティングだけでも様々な理論やフレームワークが登場し、様々な実務で活用されています。抽象度の高い理論やフレームワークに具体的な現実を当てはめるからこそ、目の前で何か起きているのか把握できます。

だからこそ、論文はお勧めです。論文で描かれるのは先行研究、理論、具体的な研究成果であり、具体と抽象が行き来するからです。論文=事例にとどまらないのは、大半の場合において「理論」があるからです。

ある会社の事例の話をすると「それ、我が社には当てはまらないなあ」という鉄板返しが飛び交いますが、ある会社と我が社を紐付けるのが抽象化と理論であると考えます。

まさにアカデミアは「解き方が分からない課題」を解くヒントの宝庫だと私は思っています。

例えば、マーケターの間でまことしやかに「1人の新規顧客を獲得するためのコストは、既存顧客を維持する(再び獲得する)ためのコストの5倍」なんて言われていますが、果たして本当でしょうか。

例えばMinら(2016)の「Customer Acquisition and Retention Spending: An Analytical Model and Empirical Investigation in Wireless Telecommunications Markets」を読むと、どうやらそうらしいとわかります。

論文では、41か国の携帯電話会社のデータを用いて分析しています。

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論文からグラフを引用

図が示すように、競合が増えると新規顧客獲得コストはどんどん増えるようですが、既存顧客維持コストは安く、かつ競合が増えてもそれは変わらないようです。また、それは普及率別に見ても同様のようです。

こうした先行事例と、それを下支えする理論を知っていることが、私たちは「解くべき課題」に向き合えるのではないでしょうか。


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