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「支えあいが必要」という他人ごと感

1年前のちょうどこの時期、厚生労働省の記者クラブの門を叩いた。漠然と財政の取材をしてみたいと考えていた若手記者にとって、またとないチャンスだった。9カ月で現場を離れてしまったが、再び政策決定の舞台裏に立ち会えるなら幸せだと思う。

医療、年金、介護、保育――。厚労省の取材は、「ゆりかごから墓場まで」を個人的な体験の域を出て社会保障という制度の枠組みでとらえなおす作業だった。どういうことか、医療を例にとると、

高齢化や高額薬の普及などで医療費が増える

国の負担(社会保障給付費)が増える

社会保障制度を維持できない恐れがある

個人の負担と国の給付のバランス見直しを
制度に頼らない人を増やす「支え合い」が必要

ライフイベントから出発したはずが、最終的に、制度を維持するにはどうしたらいいかという切り口になる。当事者意識の薄さたるや。記事を書きながら、どこか他人ごとのようになってしまう筆力を何とかしたいと思っていた。

「給付と負担の見直しが必要」なのは政治側の話。もちろん報道機関の本分として訴え続けるが、「記事を読む人=社会保障を支え、社会保障に支えられている人」にとってどんな意味があるのか、そこまで十分に踏み込めていないという負い目があった。

社会保障を自分に近いテーマだと意識してもらうにはどうしたらいいのか。取材で抱えていた悩みへのヒントを得られたイベントがあった。

先日COMEMOが開催した、未来の働き方を考える対談。ここ数年、生まれる子どもの数は年100万人を下回る。増え続けてきた労働者もいずれ減るだろう。言い換えると、働けるシニアはますます求められる時代になる。イベントではスキルを生かして活躍するシニアの事例も紹介され、自らの働き方を顧みるよい契機になった。

特に印象的だった言葉がある。マッチングを研究している、東京大学講師の檜山敦さんが語った将来像だ。少ない現役世代で大勢のシニアを支えている社会保障の構造は、シニアの社会参加で変わるという。

檜山さん「シニアを労働市場に巻き込むことは、社会保障を持続させるうえで重要です。でもシニアの意識は別のところにあって、(社会保障の維持のためではなく)自分の生きがいのために働いている」

自助・共助・公助のバランス――。社会保障の改革に必要な視点として語られるフレーズだ。制度を持続させるには「公助」に頼りすぎず「共助」「自助」の比重を高めることがカギとされている。

はたして自助で生きる社会がゴールなのだろうか?大事なのは生きがいを実現できることではないか。生きがいのために働くと、少し生活の足しができ、結果的にセーフティーネットへの負荷が減る。「支え合いが必要」というそれっぽい言葉で制度を語る前に、「どう生きたいのか」を制度の枠組みで考える方がよほど当事者意識があるし、健全だと思う。

ちなみに、本日の日経MJに記事を書きました。日中にCOMEMOを投稿していればコンビニでお求めいただけたのに……と己の筆の遅さを悔いています。

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