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日本でDXが進まないのは、普通の日本人が「優秀すぎる」から?

私は総務省の情報通信白書でアドバイザリー・ボード(編集委員)を長く務めていますが、毎年のように話題になるテーマとして「なぜ日本はデジタル化がうまく進まないのか」という問いがあります。AIなどの先端情報テクノロジーに対する産業界の取り組みも、電子マネーやシェアリングサービスなどに対する国民の姿勢も、かなり後ろ向き。白書が行っている各国との比較調査などでも明らかです。

なぜ日本は他国よりもデジタル化が遅れているのか

これに対する明快な結論は出ていないのですが、いくつかの要因は白書アドバイザリー・ボードの会議でも専門家たちから指摘されています。たとえば、日本人は1950〜60年代の高度経済成長での成功体験があまりにも強かったということ。この時代には公害など環境悪化も起き、「過度な経済成長は人間らしさを失わせる」というような論調がメディアで生まれ、これが低成長時代になっても引き継がれてしまいました。

またアメリカやイギリスは戦後の工業化が完了した以降の1970年代から80年代にかけて構造的な不況に陥り、そこから抜け出すためにITや金融などに力を入れました。これが90年代以降に経済を牽引するエンジンとなったのです(金融は過度になり、後にリーマンショックを引き起こしてしまうわけですが)。

しかし1980年代の日本は、他国にはなかったバブル経済が花開き、これが仇となって産業構造の転換をしないまま90年代以降の不況に突っ込んでいき、英米に遅れをとってしまった。

さらにもう一点の要因として、私はそもそも普通の日本人が「勤勉で優秀すぎる」という問題が内在しているのではないかと考えています。

『邦人奪還』伊藤祐靖さんが特殊部隊で見たもの

私は少し前、ベストセラーになった小説『邦人奪還 自衛隊特殊部隊が動くとき』(新潮社)の著者、伊藤祐靖さんと対談させていただく機会がありました。

伊藤さんは元海上自衛官で、海自特殊部隊の創設に実際に関わった(というかほぼ中心人物)すごい人です。この対談でも、日本人の素質についての話題が上りました。これについては伊藤さんの著書『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』(文春新書)に詳細に書かれているので、同書から引用して説明しましょう。

伊藤さんは海自の特殊部隊を作り上げていく中で、アメリカの特殊部隊の兵士たちとも交流を持ちます。そしてこんな感想を持つのです。

私は以前、アメリカの特殊部隊なのだから、すごいものなのだろうと思っていた。映画の影響か、本か、噂か、なんの影響か判らないが、勝手に世界最強部隊のようなイメージを描いていた。それが実際に米海軍特殊部隊を見た時、手にしている武器をはじめ装備品は高価で最新のものであったが、個人の技量は我が目を疑うほどの低レベルだった。

実はアメリカ軍の兵士は特殊部隊であっても「弱い」のだそうです。

特殊部隊というのは、少数精鋭であり、一人で何でもできる人間が集まっている。パラシュート降下から潜水、ジャングルでの行動、爆破、近接戦闘、その多彩な能力を駆使して、直接行動であったり、特殊偵察であったり、他部隊が行う作戦の支援をしたりする。それは、隊員の個人の能力に託すところが大きい。だから、米軍は苦手なのである。

しかし、実はこれこそが「米軍最強の秘密」だというのですね。

米軍の特徴は、兵員の業務を分割し、個人の負担を小さくして、それをシステマティックに動かすことで、強大な力を作りだす仕組みにある。それは、個人の能力に頼っていないので、交代要員を幾らでも量産できるシステムでもある。(中略)これが、米軍が最強でありえる大きな理由だ。要は、そこらにいるゴロツキ連中をかき集めてきて、短期間に少しだけ教育し、簡易な業務を確実に実施させて組織として力を発揮するのである。

つまりひとりひとりの能力が高くなくても、システムをうまく作れば全体の能力を高めることが可能という哲学だというのです。じゃあ日本はどうか。伊藤さんは書きます。

日本という国は、何に関してもトップのレベルに特出したものがない。ところが、どういうわけか、ボトムのレベルが他国に比べると非常に高い。優秀な人が多いのではなく、優秀じゃない人が極端に少ないのだ。日本人はモラルが高いと言われるが、それは、モラルの高い人が多いのではなくて、モラルのない人が殆どいないということである。

日本人の中卒者はスペインやイタリアの大卒より優秀

これはデータからも裏付けられています。たとえば2013年のOECDの調査では、「日本の25~34歳の中卒者は、スペインやイタリアの同年代の大卒者よりもはるかに高い読解力を持っている」という驚くべき結論が語られています。

この話はさらに「勤勉革命」に結びつけることもできるかもしれません。勤勉革命というのは経済学者の故速水融氏が1970年代に提唱した概念で、18世紀イギリスの産業革命が機械を活用して生産を向上させたのに対し、同時期の日本は人間の労働集約によって生産を向上させ、これによって日本人の勤勉さが培われたというものです。

労働者が優秀である日本は、産業や社会などさまざまな事柄をあえてシステム化しなくても、勤勉さによってじゅうぶん対応することができた。この考えが現在のITに適合していないのではないでしょうか。2000年代ぐらいまではコンピューティングもパソコンでオフィスアプリを使う程度で、文房具の延長線でしかなかった。しかし現在のITは、プラットフォームによるシステム化が核となっています。このシステム化に「勤勉日本」が反発しているのかもしれません。

DX人材の育成は必要。しかしそれだけでは…

さて、最近はデジタルトランスフォーメーション(DX)というプラットフォームとデータ、AIを軸とした新たなシステム化が提唱され、「DX人材の育成が必要だ」という話も出てきています。

もちろんDXの専門家を増やすことは大事ですが、日本の人材は底堅いので、環境さえ整えばDXを追求できる人はいくらでも出てくるでしょう。だから本当の問題はそこではない。

DXは既存のビジネスプロセスや戦略を単にデジタル的なもので置き換えればすむわけではありません。古い言葉ですが、そんなのは単なるOA(オフィスオートメーション)にすぎない。そうではなく、既存のビジネスをデータやAIを軸としたプラットフォーム的なシステムに置き換える必要があります。つまり構造転換が求められている。

そこに必要なのは、マインドセットの変更なのです。古い産業構造的な発想でDXを進めようとしても、それはどこまで行ってもDXにはなりません。だからいくら優秀な「DX人材」をかき集めたとしても、彼らを動かす経営者や管理職がDXの本質を理解できていなければ、宝の持ち腐れになる。

それはまさに、優秀な普通の日本人を使いこなせず、いたずらに消耗させてしまう現代のブラック企業や昔の大日本帝国軍部と同じ轍を踏むことになるのです。

だから大事なのは、育ってきた優秀なDX人材を使いこなし、DXというシステム的な概念をうまく企業に取り込むことのできる「DX経営者」や「DX管理職」の充実でしょう。

いくらDX人材が増えても、雇用する側が彼らを使いこなせずDXの本質を理解できなければ、人材はただ消耗していく。いや、消耗していくだけでなく、グローバルな時代にそうした人材は海外にどんどん流出していくことになるのでしょう。


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