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「たったひとりのマンション」と「みんなで暮らすシェアハウス」のあいだ

プライバシーの感覚は世代によってかなり違う。たとえば「あなたはシェアハウスに住めますか?」という質問を投げると、けっこう世代間で意見が分かれるようです。シェアハウスが盛りあがって来た2010年代なかばごろ、いろんな人にこの質問をしてみたら、わたしの観測範囲内では1980年以降に生まれたミレニアム世代の人は「住めます」、それ以前のロスジェネやバブル世代だと「うーん、ちょっと無理。プライバシーがほしい」と答える人が多かったようです。

中世まではプライバシーなんてなかった


 そもそもプライバシーという概念自体が、近代に生まれたものです。それ以前は「自分だけの空間」という感覚そのものが乏しかった。たとえば米国の著名な地理学者イーフー・トゥアンは、16世紀ごろのイギリスの富裕な商人の住宅についてこう書いています。

「多くの家はひと部屋分の幅しかなかった。すべての部屋が面する独立した廊下がないということは、縦方向に家の中を移動する際に人のいる寝室を横切らなければならないということを意味していた。一ダース以上の部屋がある大きな建物であっても、真のプライバシーを享受していたのはひとつかふたつの主寝室だけだったのだ」(『個人空間の誕生』ちくま学芸文庫)

 プライバシーの感覚は時代や世代によってかなり変化するということなのでしょう。そしてその変化は必ずしも不可逆的とは言えません。たとえば、インターネット上で自分の名前や顔写真をさらすのかどうか。ネット黎明期は「顔写真を出すなんて危険だ、とんでもない」という意見が多かったのですが、2000年代ぐらいになるとインスタグラムなどで普通に顔をさらす若者が増え、しかし最近は「顔隠し」の自撮りが流行っていたりします。

 ヨーロッパ中世の農家では、祖父母から息子夫婦、孫たちまで家族全員がひとつの大きなベッドに足を突っ込んで眠り、家庭内ではプライバシーはほとんどありませんでした。息子夫婦が二人きりになれるのは昼間、麦畑で農作業をしているときだけ…なんて話も。

シェアハウスはノー・プライバシーに進化するのか?

 現代のシェアハウスも最終的には「ノー・プライバシー」の方向に進むのかどうか。プライバシーの感覚が時代や世代によって揺れがあることを考慮すれば、必ずしもそういう極端な進化に進むとはわたしは考えていません。そうではなく、多様なプライバシー感覚が共存する方向に進むのではないでしょうか。


 たとえば「コレクティブハウス」という取り組みがあります。これは世帯ごとに独立したキッチンやバストイレがあり、同時にみんなで共有できるキッチンやリビングもあるという、シェアハウスと集合住宅のハイブリッド型です。

 この記事に出てくる「コレクティブハウス聖蹟」はわたしも何年か前に取材にうかがったことがあります。この時の話が面白かったのでちょっと紹介しましょう。

「今日は肉じゃがの日」

 ここでは日々の食事を交替で作る「コモンミール」という仕組みがあります。共有のキッチンは大型の業務用コンロと業務用オーブンなどが備えられていて、料理好きにはたまらない本格的な設備です。

 コモンミールの料金は、大人ひとり400円。子ども200円。壁には手書きのスケジュール表が大きな紙に書かれて貼ってあり、自分が料理をできる日を記入するというしくみ。このコレクティブハウスには大人が30人ぐらいは住んでいるので、順調にまわせばだいたい月に1度ぐらいは回ってくる計算。

 気になったのは、「料理ができない人は肩身が狭いのでは?」ということ。それを住人のかたに聞いてみると、こんな返事が返ってきました。

 「誰でも一品ぐらいはつくれますよね。ここにも肉じゃがしか作らない人がいますよ。だからその人の名前がスケジュールにあると、『ああ、今日は肉じゃがなんだな』ってわかるんです(笑)」

 建物内を見学していて「これも面白いなあ」と感じたのは、各家庭のドアが鉄のドアではなく、うっすらと中が透けてみえる磨りガラスのドアになっていること。またドアの上部はスライドして開くようにもなっており、家庭内のプライバシーとコレクティブハウスの共有部分がシームレスにつながっていることでした。

 「室内が丸見えというわけじゃないけれど、照明をつけていれば灯りぐらいは見える。そういう感じがいいよね」

自分にとっての「ほど良い距離感」が大事

 住人のかたはそんな風に話していました。「皆で暮らすシェアハウス」ほどの密着した距離感ではないけれども、鉄の扉で完全に独立し住人どうしの交流も少ない「たったひとりのワンルームマンション」ほどの遠さではない。

 他人との距離がどのぐらいだと気持ちよく感じるのか、というのは人によってさまざまだし、先ほども書いたように世代や時代によって変わります。だからシェアハウスだけでなくコレクティブハウスのようなさまざまな距離感の共同住宅が今後も多種多様に登場してくれば、人は自分の心地よさを自分なりに追い求めることができるようになっていくことでしょう。

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