「結婚が滅亡する」オワ婚時代の到来
結婚が滅亡する。
そう言われると、どういう印象をお持ちになるでしょうか。
有史以来、人類が継続してきた「男女がペアとなり、子をなして、次世代に命をつなげる」という人類のデフォルト行動がなくなると危機感を募らせるでしょうか?
そうでなくても、昨今日本の未婚化・非婚化は進み、それとともに少子化や人口減少へとつながることで、このまま結婚が減少していけば「国が滅びる」と叫ぶ人たちもいます。
結婚自体はなくならないけれど、現行の結婚制度が時代に合っていないという指摘もあります。これに関しては、法律含めて早晩いろいろ変わっていくとは思います。
本書で扱う「結婚」とは、単に男女が婚姻関係を結ぶという形態だけのことではなく、結婚によって今まで作られてきた「社会的構造」「経済的構造」「人間的構造」という部分に着目したいと思います。たとえば、結婚や出産によって生まれる「家族」というコミュニティとは、社会的にも経済的にも人間的にも安心を提供する構造になっていました。ところが、今まさに揺らいでいるのが、この「所属による安心構造」なのです。
「結婚して子どもを産め。それが人間としての務めだ」という結婚派と、「結婚するもしないも個人の自由だ。古い価値観の押し付けは辞めろ」という独身派の対立は、今までの安心構造の揺らぎの表れで、互いの安心構造を守るための争いなのです。
そもそも、結婚する、しないで、家族とソロはなぜ対立しないといけないんでしょうか?
ところで、急に話は変わりますが、最近、テレビの旅番組などで、上空からの映像を良く見ます。ドローン撮影によるものです。かつて、撮影機材はカメラマンの手元にあるもので、大がかりな撮影の場合はクレーンなどを使うこともありましたが、大体の場合、目線は常に人間と同じでした。
ドローンによって撮影された映像は新鮮です。いつも見慣れた風景も真上から見ると違ったものに見えますし、気付かなかったことが発見できたりもします。それはグーグルアースの航空写真でも同様です。自分の実家をそれで見た人も多いと思いますが、よく見知っているはずの自宅の二階の屋根が「へえ、こうなっていたのか」なんて感想を抱いた方も多いのではないでしょうか。空から自宅を見たことなんてないわけですから、そう思うのも不思議はありません。庭や周りの道路なども同様です。直線だと思っていた道路が思いの他曲がってということもあるでしょう。
しかし、いずれにしても自宅や周りの風景が変わったわけではありません。単に視点が変わっただけです。
カマンベールというチーズがあります。
スーパーなどでは、丸い缶に入って売られたりしています。このカマンベールの缶を開けてお皿に出してみましょう。真上から見れば当然丸型です。しかし、真横から見れば、長方形です。食べるにあたって切って出されたとしたら、三角形にもなります。視点が違えばカタチは変わります。
同様なことが対人間関係でもあります。
あなたの上司が鈴木さんだったとしましょう。あなたは、鈴木さんに以下のような印象を持っていました。冷静沈着で、理論的で、ミスなく仕事をこなす頼りがいのある上司ですが、少し温かみに欠ける人だ、と。あなたにとって鈴木さんはそういう人ですが、鈴木さんの妻にしてみれば、鈴木さんは情熱的で喜怒哀楽が激しく、時々間抜けで、子どものお遊戯会でも感動して号泣してしまう人かもしれません。同じ人間でも視点が違えば、全く別人になってしまいます。
さて、そんなことをふまえながら、本書の本題である結婚についての話に戻ります。
結婚にまつわるいろいろな情報は世の中にあふれています。やれ未婚化だ、非婚化だ、若者の恋愛離れだ、草食化だ、少子化だ、人口減少だ、日本史上未曽有の危機だなどと。しかし、それは単に一面からしか見ていないものであって、俯瞰してみたら違ったカタチが浮き彫りになってきます。
たとえば、「恋愛離れ」や「草食化」などという若者の個人の価値観の変化を、未婚化、非婚化の原因としてあげる人たちがいます。「そもそも、イマドキの若い者はだらしがないんだ」と言う言葉を吐いたことがあるおじさん連中は大勢いるでしょう。
同じようなことはすべての世代のおじさんがやってきました。変わらないのです。いつの時代も、上の世代は下の世代を「だらしがない」「弱々しい」「苦労が足りない」と言うのです。何千年も続いた人類の伝統です。
脳科学者の中野信子さんとトークイベントをやった際に、彼女から「ステレオタイプ脅威」という言葉を教えていただきました。みなさんが一番わかりやすいのは、血液型占いです。血液型などで性格診断をしたりしますね。大抵の人は「当たってる」などと信じてしまいますが、人は、その診断結果で言われた性格に自分自身を寄せてしまう傾向があります。A型の人が几帳面だといわれれば、几帳面にしようと思い、O型の人がおおざっぱだと言われれば、そのようにふるまうようになってしまうのです。
同様に男脳・女脳というのもそうです。「女性は直感で選び、男性は理屈で選ぶ」などと言われていますし、実際にマーケティングの現場で正しい知識として流布されていたりもします。
確かに、男女では身体の構造も違いますし、男性ホルモンと女性ホルモンも違いますし、ジェンダーの差が有意な部分もあります。が、それは男女による性差の違いというより、あくまで個体差です。血液型占い同様「女性は数学に弱い」といわれていると、「数学はできてはいけない」と、自分で自分に呪いをかけるのが「ステレオタイプ脅威」です。男にも、「男は弱音を吐いてはいけない」などという男らしさの呪縛があります。
すべて大間違いです。性差よりも個体差のほうが大きいんです。
先ほどの「最近の若者は…」もそうですし、日本人は集団主義だという話もそうです。独身者に対しても「いい歳して結婚もできない男は、どこか人間的に問題がある」というのも同様です。
こうした先入観、偏見、思い込みというのは、本人がそれを正しいものと信じて疑わない場合が多く、くつがえすのは困難だったりします。それくらい、ステレオタイプの思考というのは、わかりやすいので、浸透しやすのです。
未婚化の話に戻すと、「若者はいつの時代もおじさんからみればだらしがない」という単に年代による視点の違いに過ぎません。若者の価値観が未婚化の原因なのであれば、いつの時代も未婚化になっていたはずなのです。
未婚化は価値観の変化などではありません。もちろん、人間の価値観が原始時代と同様何も変わらないとは言いません。経験値の違いや文明の進歩、テクノロジーの発展という環境の変化によって、変わる価値観はあります。
しかし、本編の中でも明らかにしていきますが、そもそも1980年代まで日本が皆婚社会だからといって、その当時までの若者が、みんな恋愛強者だったわけではありません。高度経済成長期を支えた「夫は外で仕事、妻は家で家事育児」という男女役割分担が太古の昔からそうだったわけではありません。そもそも、ずっと日本人が皆婚だったわけでもありません。
未婚化については、「バブル崩壊以降、若者が貧困化したからだ」という言説もあります。あながち間違いではありませんが、それだけが原因ではありません。
未婚化による結婚滅亡の時代が訪れるとするならば、それは、若者が恋愛しなくなったからでも、貧乏になったからでもなく、もっと本質的には、環境の構造上の問題が大きいのです。
2040年、人口の5割が独身という時代がやってきます。この5割の独身とは、未婚だけで作られるのではありません。未婚と離別死別による独身者合計です。つまり、「結婚が作られず」「結婚が壊される」ことによって生まれる独身5割の国、それが20年後の日本なのです。
そのソロ社会を「絶望の未来」とするのか、「希望の未来」とするのか、それは、結婚や家族や幸せというものを我々ひとりひとりのどういう視点でとらえ直すかによっても変わるのではないでしょうか。
本書では、「結婚が作られず」「結婚が壊される」という構造上の問題とは何か?について、今まで提示されてきたような近視眼的な視点ではなく、もっと大きな視点や違った角度からとらえ直してみたいと思います。視点の多重化です。いつもの風景も視点を変えれば、新しい発見があります。
結婚していてもいなくても、子がいてもいなくても、歳や性別も関係なく、すべての人がそれぞれ考えていかないとならない問題だと思います。本書が読者の皆様にとって、新たな視点を生み出し、あなたにとっての「接続するコミュニティ」のひとつとなっていただければ幸いです。
11/13発売の新刊「結婚滅亡」の"はじめに"全文を掲載しています。
ご興味ありましたらぜひお読みください。
「接続するコミュニティ」とは?についてはこちらの記事をご覧ください。
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。