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オンライン時代の、良い会議・悪い会議

新型コロナウイルスが世界的な流行となって丸2年が経った。そもそも「会議とは何か」と考えると、この2年でその意味合いがかなり大きく変わったように思う。

まず何より、それまでは一部の人だけのものだったオンライン会議が、ビジネスパーソンであれば誰でもが当たり前に使うものになったことは、この2年の大きな変化だ。

さらに言えば、これまでオンライン開催は特例的と言ってもよかった国家のトップ同士や国際機関のオンライン会談・会議が頻繁に行われるようになったことも、この2年に起きた大きな変化だろう。特にロシアによるウクライナ侵攻が起きてからは、各国首脳がオンラインで頻繁に協議している。つい先日の米中首脳会談もオンラインであり、バイデン大統領がいる部屋のディスプレイに習主席が映し出されている。

また、ウクライナのゼレンスキー大統領は、各国議会での演説も含めてオンラインでの会議を非常に多用していることが見て取れる。もともとコメディアンや俳優としてテレビに出ていた経歴があることも幸いしているのだろう、巧みな露出を行っていることを感じる。

こうした状況の中で、どのような会議が無駄であり、有効であるのかという議論も、会議室の中で対面で行われることが前提であった時とは、かなり判断基準も変わってきているように思う。

かつて、自分が会社勤めをしていた頃は、会議室の確保だけでもとても大変だったと記憶している。会議室が足りない、ということで増やせば増やしただけ会議の数が生まれるというくらいに、会議は自己増殖していくかのように増えていたと思う。

それが、この2年オンラインの会議が中心になってからは、会議室の問題を気にする必要がなくなった。自分が参加している会議の数自体はおそらく2年前よりも増えているように思うが、移動時間が不要で、前の会議が終わってすぐ次の会議に入れることも、会議の増加に拍車をかけているのだろう。

これには良い面と悪い面の両面がある。悪い面は、会議が立て込むと、移動時間や休憩や気分転換の時間もなく、次の会議が始まってしまう、それがヘタをすればいくつも連続するということが起きてしまうこと。これはオンライン会議の大きなデメリットだ。休憩時間として開けていたところに、急ぎの会議が入ってしまったりもする。オンラインなだけに、物理的移動の制約がないから、こうした予定を割り込ませやすいことも原因になっている。

一方、会議が立て込んでいると、定刻間際になったら「次の会議がありますので失礼します」と言って先に退出することがしやすくなった。これは、次の会議に遅刻しない、ということでもあり、対面の会議よりも遅刻してくる人の数が減っているように思う。これはオンライン会議の良い面だ。

また、こうしたオンライン会議が普及することで、海外とのオンライン会議も格段に増えた。これはやはり、先ほど述べた多くの人がオンライン会議に馴染んだということが大きいのだろう。時差の問題はあるものの、多少働く時間や睡眠時間の取り方を工夫すれば、時差の大きな場所でも会議がしやすいことも大きなメリットになっている。在宅・リモート勤務であれば、規定の労働時間をオーバーしないように気をつけつつ、深夜や早朝の会議に参加する負担も軽減される。

なにより私の場合は、この2年間で顔を合わせての会議は、数は少ないものの、住んでいる首都圏ではなく、国内でも地方や海外に出かけておこなったものが圧倒的に多くなっている 。

そもそも会議は何のためにあるのだろう。そう考えると、ひとくくりに語れない様々なバリエーションがあると思う。あるプロジェクトのキックオフであれば、お互いが顔が見える関係になり親密になることが目的ということもあるだろうし、定期的な会議をすることによってプロジェクトの進行を確実に進めるためのものもあるだろう。こうしたさまざまな会議の目的がある中で、一律にどのような会議が望ましいとか望ましくない、無駄だという判断は非常に難しい。

ただひとつ言えるのは、私たちはオンラインでもオフラインでも会議ができる、その自由と柔軟性をこの2年で手に入れたということ。この自由と柔軟性を最大限生かして開かれる会議が「良い会議」の条件のひとつなのだと思う。

例えばコロナ禍の前に、とても急ぎであると思われる案件に関する会議が開かれることになったが、私が出張中であったためにオンラインで参加することを申し出たところ、「川端さんが出張から帰ってくるまでお待ちします」と言われて大変心苦しい思いをしたことがある。

おそらく今であれば、「ではオンラインで参加してください」と言われて済むのだと思うが、ひょっとするとオンラインの会議が苦手な人がメンバーに混じっていると、今でも同じような事が起きているのかもしれない。そうであるとすれば、こうした理由で会議がタイミングを逃すということはよくない会議なのだと思う。

一方で、会議にオンラインで参加することが可能になったからこそ、(今はコロナで様々な制約はあるものの)対面でするべき会議にはどんどん出ていくべきなのだとも思う。そして、対面ですべき会議のメンバーは、普段顔を合わせることが比較的容易な同じ会社の人たちや、あるいは同じ街・エリアにいる人たちとではなく、遠くにいる人たちの所に行って対面の会議をすることが良い会議ということになるのではないだろうか。

「オンラインで会議が出来るのだから、わざわざ現地に出向く必要がない」ということで、遠隔地の人と会うチャンスを絶ってしまうのでは、せっかくのこの状況を活かせていないことになると思う。むろん、出張費をかけてペイするかどうかの判断は必要なのだが。日本ではまだごく一部だと思うが、世界には、必要とあればビジネスジェット(プライベートジェット)で意思決定者がすぐに飛んで行って会議をし、話をまとめてしまうことは珍しいことではない。下の記事は、脱炭素時代にビジネスジェットがふさわしいかという疑問を提起しているが、裏返せば、すでにそのくらい当たり前に使われている、ということだ。

実はこれはeメールが普及しはじめた90年代の後半にも同じことが起きたと記憶している。eメールで自由にやり取りができるのであるから相手の所に行かなくてもよいだろう、というような意見が、コスト削減という美名のもとに肯定的に捉えられたことを覚えている。

それと同じ失敗を繰り返してはいけないのではないか。もちろんやみくもに足を運べば良いというものではない。上の記事のように二酸化炭素排出の問題もある。メタバースが、こうした対面を代替する、という流れも作られようとしている。

私個人としては、メタバースが普及しても対面の価値が下がることはないことは、eメールやSNS、Facetimeなどが普及した結果を見ても思う。普段顔を合わせる機会が容易に作れる人との会議はオンラインやメタバースで済ませ、その時間を、なかなか顔を合わせる機会がない人との対面の会議に使うことを考えることも、これからの良い会議のあり方を議論するうえで引き続き考えておくべきポイントであるように思う。

#日経COMEMO #その会議必要ですか

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