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勉強もスポーツも恋愛も結婚も「お金がなければできない」時代

甲子園では慶應義塾高校の躍進が大きな話題である。

髪型の件が取りざたされたりしているが、慶應の子たちの自由な髪型はそれはそれで結構なことだと思うが、だからといって昔ながらの「丸刈り」の球児たちを「昭和」だとか「時代遅れ」呼ばわりするのは違うだろうと思う。誰かを否定しないと気が済まない界隈というのが相変わらずいるもんだ。どっちも頑張れでいいじゃねえかと思うよ。

決勝に進んだ両校には頑張ってもらいたいものだが、甲子園出場校49校のうち公立はわずか9校だそうだ。公立はたった18%しかいない。

昭和の話をして恐縮だが、かつて野球といえば、金田正一にしろ稲尾和久にしろ川上哲治にしろ野村克也にしろ江夏豊にしろ幼少期の実家はド貧乏から、野球の腕だけでのしあがったという話が多かったが(それこそ長嶋茂雄も王貞治も決して裕福な家の子ではない)、時代が違うといえばそれまでだが、むしろ裕福な家の子じゃなければ、学業だけではなくスポーツすら開眼できない時代になったのだなと思わざるを得ない。

今の若い子は江夏豊という名前すら知らないかもしれないが、彼は三人兄弟だが、兄弟全員父親が違うという家庭環境で育ち、実の父親は失踪している。当然、家は貧乏で粗末な道具で野球していたが、はじめて買ってもらったグローブが左利き用だったため、右投げだったのに仕方なく左投げにして、結果あそこまでの奪三振王になったというエピソードがまた凄い。

知らないついでに昭和の話を重ねるとあの漫画「巨人の星」の主人公星飛雄馬もライバルの左門豊作も貧乏から野球でのしあがった。

「巨人の星」といえば、父親星一徹のちゃぶ台返しが有名だが、貧乏なのに食べ物を粗末にして余裕があるななどとは思っちゃいけません。しかも、貧乏長屋暮らしという設定のわりに、部屋は意外に広いと思ってもいけません。

さらに、同漫画ではライバルキャラとして金持ちの花形満という選手がいたが、花形は子どものくせにコンパーチブルの車を持っているのだが、9人乗りという違法行為をした上で「ふっふっふ」と笑っている奴である。バカ息子じゃねえか。

まあ、現代は、飛雄馬の経済環境では甲子園に行くことは不可能で、甲子園に行くためにも親の経済力が必須ということなんだろう。

スポーツだけではなく、東大に行くにも親の経済力がないといけない時代である。東大の学生のうち、親の年収が950万円以上の学生の割合が61%を占める。この61%は、日本における所得上位14%の家庭の出身ということになる。

勉強もスポーツも金がなければできない時代なのである。

いつも言っているが、それこそ勉強やスポーツだけではない。恋愛も結婚も出産も金がなければできなくなっている。貧乏子沢山なんていつの時代ですか?って話なのだ。

年収別児童のいる世帯の分布を2000年と2022年とで比較すればそれは明らか。

世帯収入900万円以上の場合、児童のいる世帯数は22年前とほぼ変わらない。一方で世帯収入900万未満はすべてマイナスで、特に、中間層である500-700万の世帯と、本来初婚夫婦が多いとされる300-400万世帯の減少が大きい。つまり、かつて中間層として子どもを産み育てていた年収ではそれができなくなっているということである。

ホント、「なんでも金かよ」と思ってしまいたくなるが、その通りで、こんな時代はかつて大正時代にもあったなという気がする。

https://www.youtube.com/watch?v=gtH6vexA68I


そうして、成功者はその成功を決して運や偶然のおかげにはしたくなく、自分の努力のおかけだと言いたがる。別にそれは人間の素直な認知だからいいのだが、勢いあまって「成功できないのは努力が足りないからだ」という無意識の自己責任論を展開するので面白い。

この御仁も、炎上したあとでなんだかんだ言い訳連投するのもダサいことこの上ない。

努力できる環境そのものもまた恩恵なのであって、どんなに才能があっても努力できる資質があっても、それを発揮できる環境がなければ何もならない。その環境を運や偶然という。

野球の話でいえば、戦前巨人に沢村英治という天才ピッチャーがいた。1934年の日米野球で来日したベーブルースやルー・ゲーリックらを手玉に取ったほか、二度の渡米遠征で活躍するなどアメリカでもその名を馳せた。今なら大谷翔平並みに活躍し、ファンを熱狂させたことだろう。

しかし、彼には野球のできる環境がなかった、太平洋戦争があったからだ。野球のボールを手りゅう弾に変えて、1944年に戦死した。

彼が戦死してしまったのは彼の努力が足りなかったせいなのだろうか?

彼だけではない。まだ名もなき多くの若者が、その才能を開花させず、そもそも努力すらさせてもらえず、陸上で玉砕し、海上で特攻して果てていった。

戦争中という非常時と今は違うというかもしれない。果たしてそうだろうか。20代の若者の可処分所得の中央値は235万円以下という状況である。別に怠けているわけではない。非正規やバイトでやっているわけではない。正社員だとしてもそれくらいの手取りしかない状況で、自分ひとり生活していくのが精一杯の若者が50%を占めるという状況こそ非常時だろう。

「努力しろ」とうぜえ説教たれる前に、若者からすれば「努力すらできないような環境を作ったお前らはなんだ?ベストな環境を用意しろとまではいわないが、せめて邪魔しないでくれ」と言いたいだろう。


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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。