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帰属で縛るのではなく、利他で結びつくのが、理想の家族である

先日珍しくTVを見ていたら、生まれた直後取り違えられた子供の親権をめぐり、産みの親と育ての親が係争を起こし、まだ10代半ばの本人が選択する、といういたたまれないドキュメンタリーがありました。

親権をめぐる争い、というのはつまり、「この子は正式にはどちらの夫婦の家族なのか」という議論です。子供の立場に立てば、血の繋がった両親はたとえ10数年音信不通だったとしても無視できないでしょうし、赤ん坊の頃から1つ屋根の下で育ててくれた両親が今更実の親でなかった、と言われても全く実感とはつながらないでしょう。訳知り顔で「産みより育て」などと嘯いて片付く話ではありません。

筆者は、この番組を見ていて、家族という概念を厳密に運用することは、幸福を減ずることなのかもしれない、と考えてしまいました。

というわけで、今回もCOMEMOの話題に乗っかって、考えてみたいと思います。

前述の産み・育て論争は、子供がどちらの両親に帰属するのか、という争いであり、その前提に、子供は一組の両親に紐付かなければならない、という前提を感じます。しかしそれは絶対的な決まりでしょうか?

家族をもっとゆるく捉え、産みも育ても、どちらも両親であると認定し、子供は気分に合わせてどちらに行ってもよく、産み・育て同士は協調して子供と向き合う、というのが、最も全体の幸福が大きいのではないかと思います。なぜそういう議論にならないのでしょうか?

考えてみると「帰属」という概念は、子供:親の関係のみならず、いろいろなところに顔を出します。物の所有(物が持ち主に帰属する)、雇用(従業員が雇い主たる企業などに帰属する)、結婚(夫婦が相互帰属する)など。これらについても子供:親の関係と同じように、帰属を緩めてステークホルダー全体を主語にして考えた方が、幸福が増加し、合理的になりそうです。

物の所有であれば、どんな物品であれ、シェアリングエコノミーの考え方を進めて社会全体で共有した方が効率が良さそうですし、雇用であれば、副業により本業も含めて生産性が上がるという議論は、以前のコラムで指摘したところです。

こう考えると、なぜ何かにつけて我々は「帰属」を決めたがるのか、ということが気になってきますね。

筆者がまず挙げたいのは、人間は所有する感覚が生来的に好きなのではないか、ということです。物にしろ、人にしろ、権利や関係を特定してしまい、それにより将来を安定的に保ちたい、という欲求があるのではないか、ということです。自分のものにした不動産は登記したいし、雇用主は少なくとも勤務時間中は従業員を拘束したくなる。

しかし権利という考え方は、既得権にこだわるという態度の源になり、それを失うことへの恐れや、失うことを回避する防御的な反応を励起するので、幸せを減じることがままあります。

夫婦や恋愛関係においては、嫉妬という別の感情が関連し、その苦しみにパートナーを陥れることは全体(パートナー双方)の幸福を減じます。ので、権利というか一度決めた決め事を遵守し、将来を拘束することにも一定の合理性があるように思われます。

しかし、例えばポリアモリー(同時に複数の人を愛することができ、かつ嫉妬も感じない)同士のカップルが、別のポリアモリーと関係をシェアするのであれば、夫婦・恋愛関係においても帰属の必然性は下がりそうな気がします。また、人は時間の経過により成長、変化するので、かつて愛情の対象だったパートナーが、片方・双方の変化によりそうでなくなることは残念ながらあり得ます。このような時、その時々の価値観を尊重するか、一度決めた帰属を尊重するかで比較すれば、私は価値観をとる方が幸福なのではないかと思います。つまり帰属関係がある間はそれに準じるけれども、その永続性は担保しない方が幸福につながることもある、ということですね。

もう1つ別の論点を提示します。

社会生活で帰属が重要なのは、行政の都合による側面が大きいのではないか、と思います。つまり徴税や相続などは人やものの関係が一義になっていないと、無限に係争がや取りっぱぐれが起きてしまうので、そこに楔を打ち込むための帰属概念の導入、というわけです。

いささか釈然としないところはありますが、これらは生活基盤を維持するためのコストとして、市民としては甘受すべきところかもしれません。

長くなってきたので、帰属についての考察をまとめると、

・人は放っておくと帰属を求める

・しかし、自身のその性質を理解し、帰属を重視するスタンスから距離をとった方が、えてして幸福は増大する

・帰属を重視する場合も、それを未来永劫の関係だと考えず、経時変化に対応する柔軟性を持っておいた方が、幸福度は上がる

・一方、帰属は徴税など社会システム維持のためには必要な概念である

こう考えると、帰属は社会システムのための概念として維持し、その他の局面については、別の規範を導入した方が人や社会は幸福になれそうです。

別の規範のアイデアとして、筆者は「利他」を挙げたいと思います。

従来・本来帰属を伴う関係ほど、相手に佳きことを施しあう。これにより施した方も、施された方も、幸福が増大し、相互感謝やポジティブな感情が高まります。結果帰属という権利の行使により相手との関係を構築するよりも、遥に良い関係が出来上がるのではないでしょうか?

利他により自分も幸福になる、ということが腹落ちしない方は、電車の中でお年寄りに席を譲ったり、街角で募金したりしたときの、すがすがしい気持ちを考えてみてください。利他が巡り巡って自分の幸せに通じる、ということにもご納得いただけるのではないか、と思います。

そしてこれを「理想の家族」というお題に援用すると。

理想の家族とは

・家族とは誰かが得したら別の誰かが損するような、ゼロサムの関係ではない

・また、戸籍に記された事実により、相手に何かを要求したりするものでものない

・最も近くにいる人が最も幸せであれば、自分も幸せになる、という利他の原則が行動原理になっている

というものかと思います。

今回は、いささか理屈っぽくなってしまいました。理想の家族について、読者の皆さんはどう思われますか?


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