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COMEMOの意義を自分なりに考えてみた

今朝のソウルは雪模様。考えてみると、寒い時期にソウルに来たのは初めてかもしれない。

この1週間は、台北とソウルでいくつかの企業を訪問し、ミーティングを重ねている。全ての会社に共通しているのは、当然のことではあるけれど、ビジネスの機会を探し、それが日本にあるなら日本に出て行こうとするし、日本の事例が参考になると思えばそれを熱心に聞く、という姿勢。業種も企業規模も違うし、さらには台湾と韓国という違いもあるけれど、ビジネスに対する姿勢は変わらないと感じる。

もちろん、日本人とのミーティングを受け入れる時点でバイアスがかかっているわけだけれど、一般的に「親日」とか「嫌日」とかといった観点では対照的に見られることの多い台湾と韓国で、一日本人ビジネスパーソンとして自分が受ける印象にはそういう面での対照性はなく、国ごとの文化や気質の違い、そしてそれ以上に個人の性格や人となりの違いが大きい、と思う。

どうしても、一般論や抽象論として語られると、国家像にしても企業像にしてもステレオタイプなものになってしまい、そこに一定の真実はあるとしても、一個人が受け取る個別で具体的な体験とは大きく乖離することがある。ニュースで言えば、マスメディアが報道機関として伝えるニュースは一般論や抽象論的なものが多くなり、一方で個人が書くものは、このCOMEMOも含めて、具体的だけれど狭い範囲の一事例でしかないことが多いし、それは個人的な見解、誤解を恐れずに言えば、程度の差はあれ偏見に基づくものだとすら言える。少なくても自分が書いたものは、そういうものだと思っている。

かつて自分の本業であったマーケティングの世界では、調査手法として定性調査と定量調査の2つが組み合わせて活用されることが常だった。定性調査の少ないサンプルから仮説を導き、それを統計的に有意なサンプル数で定量調査を実施して検証する。厳密には同列に言えることではないけれど、多様な視点での仮説の提示をCOMEMOが、大きな流れの中にあるものを特定の視点に偏らずに正確に掴むことをNIKKEIの記事が、それぞれ役割分担しつつ一定の距離感を保ちながら共存する中で、一方通行ではないマスメディアのあり方が見出せて行くのだとしたら、その意義は小さくないのではないか、と思う。そして、ひょっとすると、フェイクニュースの問題にどう対処して行くか、ということの手がかりが見える可能性もあるのかもしれない。

今月のCOMEMOのリニューアルとともに、KOLとして定期的にCOMEMOに書かせて頂くことになった。それに当たって、自分なりのCOMEMOへの関わり方のスタンスを表明しておくとともに、後の自分が振り返るためにも、初心を書いておこうと思う。

きちんとしたメディア教育を受け、報道人としての矜持を持つ方々からすると、COMEMOが、それと明示された上ではあれ日経電子版などに掲載されることへの異論があることも承知しているが、私自身は、ここに書いた通りの意図を一つの仮説として持っており、それを検証するためにCOMEMOに書いていこうと思っている。


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