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40代は「ランキング」という発想を捨てる期間なのかもしれない。

歌手、竹内まりやの特集が組まれていた。

テレビ朝日系列の「ワイドスクランブル」という番組だ。竹内まりやは1対1をベースとした婚姻関係に対する疑問や生きづらさについて、時代を先取って表現していた。

そんな内容だった。

「どこかで聞いた話だな」と思って眺めていたら、聞き馴染みのあるワードが飛び込んできた。

「アメリカではポリアモリーという考え方が広く認知されていて〜」

そう語っていたのは、奇しくも母校の大学教授。番組では「複数の相手を同時に互いに合意の上で恋愛関係にあること」と、懇切丁寧にポリアモリーのことが紹介されていた。

思わず自宅のテレビを撮影してしまった

私が6年前からnoteに書き始めたポリアモリーというライフスタイルについて、これまでテレビで紹介される時はキワモノ扱いであることが多かった。

それが平日の真昼間の情報番組で、さらっと取り上げられていた。

時代も変わったな。


そう感じながらX(Twitter)の検索窓に「ポリアモリー」と入れてみたら、案の定世間は荒れていた。

「竹内まりやとポリアモリーを無理やりつなげるな」

と、ポリアモリー否定派の声はもちろん、

「竹内まりやの『けんかをやめて』は2人を弄んでるから誠実なポリアモリーじゃない」

とポリアモリー当事者からの批判もあった。

こうした声は制作サイドもある程度予想していただろうし、私としてもポリアモリーの認知が広がるに越したことはないと思っている。

少なくとも今、「恋愛関係を1対1に限定する考え方」に綻び(ほころび)が生まれていることには間違いない。

そんな中、先日「ポリーラウンジ」と呼ばれるポリアモリーに関する座談会を主催した。名古屋での開催希望があり、観光がてら幹事として参加してきた。

会場には20代から50代の男女が十数名集まって、自らの恋愛体験や考え方について対話形式で語り合っていた。参加者の中には私のようなポリアモリー実践者もいれば「実践はしていないが興味があって来た」という参加者もいた。

そんな非実践者から、私を含む実践者にこんな質問が飛んだ。

「ポリアモリーの人って、好きな順番やランキングってあるんですか?」

なかなか答えにくい質問だった。

複数と恋愛関係にあるわけだから「順位は当然あります」とも言えるし、「全員が1番です」と体よく答えることもできる。ただ私はこの質問に「ある or ない」で答えるのは少し違うなと思って、お茶を濁した。

そんなわけだから消化不良になって、改めてその疑問に関してパワポで整理しながら考えてみた。

今日はそんな話。

◾️ランキング思考は意思決定からの逃避欲求

「ランキングってあるんですか?」との声からもわかる通り、「日本人はランキングが好き」だと言われている。

日本ではどんなジャンルでも「⚪︎⚪︎ランキング」が存在する。もちろん世界にも⚪︎⚪︎ランキングは存在するが、日本人は諸外国に比べてランキングを気にする傾向がある。ただ「ランキングが好き」というよりも、「ランキングに依存している」と表現した方が正しいだろう。

なぜ日本でランキングが重宝されるのか。それは意思決定の簡略化ツールとして便利だからだ。何かを選ぶ時「1位だから」という理由があれば、それは意思決定の後押しになる。この数十年、日本人は「決める」ことが苦手だ。

しかし本来、ランキングとは「この指標で順位づけしてみた場合はこうなります」という参考データに過ぎない。それに従って意思決定をしなければいけないわけではない。だから意思決定は難しい。

それでも何かを決めなければいけない時、人は「もう機械的に決めてほしい」と思ってしまう。ランキング上位のものを選んでおきたいと思ってしまう。そんな「失敗したくない」という欲求が日本人のランキング好きには見え隠れしている。

◾️ランキング1位しか「好きな人」と呼べない世界

恋人(候補)をランキングで捉えようとする傾向にも、同じことが言える。

恋人が複数いることを前提とするポリアモリーにとって(いや、これはポリアモリーでなくてもそうだと思うが)「好きな人のランキング」と言われても、正直しっくりこない。

無理やりTOP5の表彰台をつくったとしても、そこに想起される時点で好きな人ではあることは前提な気がする。

ただ「恋人は1対1を前提とする世界(モノアモリー)」はそうはいかない。ランキング1位だけが「好きな人」と呼べることになるからだ。本当は5人全員が「好きな人」でも、そう呼んではいけないという暗黙なルールがある。

だからモノアモリーの世界にいると、ランキングは避けて通れない。何かしらの指標を設けて、ランキング1位を生成する必要がある。

そんなランキングの作り方には大きく2つあって、1つは単独ランキング型。これは「好き」の定義を1つに絞るやり方で、自分のとっての「好き」を定める必要がある。

・一緒にいると落ち着く人
・見た目がタイプな人
・自分を大事にしてくれる人

など独自の指標を定めて、その定義に基づいて1位を生み出す


正確に言えば、それは「好きな人」ではなく「⚪︎⚪︎な人」のランキングでしかないのだが「私にとって好きな人とは⚪︎⚪︎な人」と思い込ませてしまえば成立はする。

このやり方でしっくり来なければ、自分の「好き」を分解する「総合ランキング型の好き」もある。

自分の好きの要素を分解して、1位=5pt、2位=4ptなどポイント制にして「総合ランキング1位」で好きな人を決める。これはこれで合理的なやり方かもしれない。


ただこれも多くのランキングで上位に入った人が「好きな人」なのか、と問われると少し違う気がする。

やはりランキングは、ランキングでしかない。

そう考えると、かつて蓮舫氏が放った「2位じゃダメなんですか?」という言葉が脳裏をよぎる。

彼女があのセリフを放ったのは、今から14年前の2009年のこと。当時は「1位じゃなきゃ意味ないだろ(何言ってるんだコイツ)」と嘲笑される空気が世間にはあった。

確かに1位であることに意味はある。

しかしそれは「1位である」という意味でしかない。だから2位や3位であることが「意味がないこと」にはならない。それはどこか、ランキング1位しか「好きな人」と呼べない疑問や生きづらさにも通じる気がする。

「好きな人」とは何か。

そんなことは41歳にもなって考えることではないのかもしれない。しかし蓮舫氏があのセリフを放った時もまた41歳だった。冒頭の竹内まりやが一世風靡した時代もまた、彼女が40代の頃だ。

もしかしたら40代とは「ランキング」という固定観念と向き合い、その枷(かせ)を丁寧に外していくタイミングなのかもしれない。

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小島 雄一郎
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