「自分がされて嫌なコトは、人にしちゃダメだよ」を、みんなが守ったらどうなるか。パワポで考えてみた。
・人のものを奪ったらダメだよ。
・人に嘘をついたらダメだよ。
・人に悪いことしたら謝りなさい。
親が子どもに伝える定番フレーズ。
・自分がされて嫌なコトは、人にしちゃダメだよ
もその1つだ。
もっともらしいこのフレーズを否定する人はいない。誰もが親から言われた経験のあるフレーズでもあるだろう。
でもなんだろう。このモヤモヤは。
少なくとも僕は今、自分の子どもにこのフレーズを言う気になれない。
そこで考えてみた。
みんながこのフレーズを守ったら、どうなるだろうか。
パワポで整理していたら、違和感の正体が掴めてきた。
今日はそんな話。
■自分がされて嫌なコト ≠ 他人がされて嫌なコト
自分がされて嫌なコトは、人にしちゃダメだよ
というフレーズには( )が隠れている。
自分がされて嫌なコトは(当然、他人にとっても嫌なコトなんだから)人にしちゃダメだよ
だ。
最初の違和感はこれだった。
・人のものを奪ったらダメだよ。→ 自分のものが奪われる
・人に嘘をついたらダメだよ。→ 嘘をつかれる
・人に悪いことしたら謝りなさい。→ 謝ってもらえない
冒頭に挙げた3つの定番フレーズは、された側になったら確かに嫌なコトだ。当然、他人にとっても嫌なコトである可能性が高い。
でも、可能性が高いだけで、100%ではない。
実は「自分にとって嫌なコト」は、人によって少しずつ違う。
たぶんこんな感じ。
もう少し具体的に考えてみよう。
私と佐藤さん(仮)の「されたら嫌なコト」は概ね同じだ。でも違う部分もある。図で言うと①。
①の行動は、私にとっては嫌だけど、佐藤さんにとっては嫌じゃない(気にならない)コトだ。
例えばこんなコト。
実際、佐藤さん自身もいつも10分くらいは遅刻してくる。自分はされても気にならないコトだから、自分の行動もそうなるだろう。私と佐藤さんとは親しくやっているが、「こういうところは感覚が違うんだよなぁ」とは感じている。
いくら親しい友人だからって、感覚が同じとは限らないし、感覚が同じだから親しいわけじゃない。
自分と相手が同じという前提で付き合ってしまうと、その差分がストレスに変わるだけだ。
だから僕はこんな風に解決した。
■自分と違う ≠ 仲良くなれない
登場人物を増やして、3人という社会の最小単位にしてみる。
先ほどは感覚が近い佐藤さんだったが、今度は感覚がかなり違う友人の鈴木さんだ。
例えば鈴木さんは、酔うと愚痴っぽくなる。それは鈴木さんにとっては嫌じゃないコトなので、私や佐藤さんと飲んでいる時にも、よく会社の愚痴を言う。
ただ私と佐藤さんは「なんだかんだで、会社のこと好きなクセにー」と受け流す。
そんな鈴木さんも、私と佐藤さんとの感覚の違いを感じている。
例えば、私は本名でSNSをやっているので、当然会社にはその存在がバレている。佐藤さんも似たようなものだ。
「その感覚だけはわからないわー」
と言いながら、鈴木さんはよく酒を飲んでいる。
3人は親しい。
違うことと、仲良くなれないことは、ちょっと違う。
■私たちを制限するフレーズ
この3人の社会で、例のフレーズを守るとどうなるだろう。
自分がされて嫌なコトは、人にしちゃダメ
なので、①〜③はどれもNGになる。
許される行動は「3人が共通で嫌じゃないコト」だけなので、例えばこんなコトだろうか。
3人とも酔っぱらうと涙もろくなる。
人によっては酔って泣かれるコトが嫌な人もいるが、幸い3人はそうでないので、この行動だけはOKということになる。
どうだろう。。
そんな飲み会、なんだか楽しくない。
例のフレーズを守ると、私たちの行動は大きく制限されることがわかった。
そんな社会はどうだろう。なんだか生きづらい気もする。
■寛容度を減らすフレーズ
自分がされて嫌なコトは、人にしちゃダメ
例のフレーズを守ると、私はこんな宣言を2人の友人にすることにもなる。
遅刻されるのが嫌だから、私も遅刻しない。
愚痴られるのが嫌だから、私も愚痴らない。
一見すると誠実な人間にも思えるが、正直私も遅刻することはあるし、愚痴りたい夜もある。
ただあのフレーズを守ると、それは許されない。
自分を律している分、ストレスも感じやすい。きっと私なら、佐藤さんの遅刻と、鈴木さんの愚痴にイライラしてしまうだろう。
自分を律するフレーズは、他者への寛容度を減らしてしまうフレーズかもしれない。
そんな世の中はどうだろう。やっぱり生きづらい気もする。
■これまでの定番と、これからの定番
今、世界には子どもたちに伝える新たな定番フレーズが生まれている。
それが「多様性を尊重しよう」というフレーズだ。子どもだけじゃない。社会にも企業にも、それが求められている。
しかしこの新たな定番フレーズ、実はこれまでの定番フレーズと矛盾する。
自分がされて嫌なコトは、人にしちゃダメだよ
は「自分がされて嫌なコト ≒ 他人にとっても嫌なコト」を前提とし、違いを前提としていない。また、自分を律した上で、他者にもそれを求めるフレーズだ。
類似性を重視し、似た者グループで集まって、お互いを制限し合う。
もしみんなが守ったら、そんな社会になるだろう。統治はし易そうだが、多様性は認められない。少なくともそれは、僕の求めている社会とは違う。
これが、僕の抱いていた違和感の正体だった。
たぶん僕は、これからも自分の子どもにこのフレーズは言わないだろう。