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メガブランド受難から再生へ

2000年代、ブランド・マーケティングには、キラキラ感があった。有名ブランドがどうやって消費者へ安心感を与えつつも、憧れを掻き立てるか?半歩先のベターライフ像が、供給側にマージンをもたらした。

ところが、20年も経たないいま、メガブランドやナショナルブランド(NB)は受難の時代と言われる。ヘアケアの量産品シェアは10年で8割から5割に下がった。メガブランドが寡占するビール業界では、NBがふるわず、国税庁の統計によると、全体消費量は2012-17のCAGR換算で毎年1%減っている。その代わり台頭するのは少量多品種のクラフトビールで、「水曜日のネコ」が堂々とスーパーの棚を占めている。飲料・食料品でも、既存のメガブランドは隣接カテゴリーへ派生することで手堅くしのぎ、新しい花形ブランドがなかなか生まれない。

しかし、消費者にとって、安心・憧れを求めることは、ほぼ本能的ではないのか?ならば、コストを抑える大量生産と精巧な販促に裏打ちされたメガブランドの魅力は、なぜ足元から崩れてしまったのだろう?

答は、消費者が手に入れる情報量が圧倒的に増え、さらにその質が変化したことに尽きると思う。憧れは情報量に反比例する。提供側の統制が効かない大量の情報は、優良ブランドの神話性を蒸発させてしまう。昭和の映画や娯楽の大スターが、平成以降は現れないのと同じ構造だ。さらに、マスメディアよりも、ごく親しい少数のソースからSNSを通じて情報を得る時代には、不特定多数の「みんな」が使っている安心感に価値が置かれなくなってしまった。

ならば、これからはメガブランド冬の時代だろうか?SNSマーケティングに長けた新興ニッチブランドに押されるままだろうか?

私は必ずしもそうとは思わない。消費者が得る情報の質と量が根本的に変わったことを前提に、作戦を練り直すときだ。神話に頼れないならなおさら、ブランドの存在意義を問い直し、個性を深く定義する必要がある。成熟した消費者は、スペックを超えた価値判断をする。ブランドの精神や哲学に共鳴してこそ価値を見出す。しかも、情報社会では、そのブランドアイデンティティは、すべての面で統一され、透明性がなければならない。例えば、エシカルを強調するブランドを提供する会社にブラック企業の噂が立てば、消費者はあっという間に離れてしまうだろう。

一貫したブランドメッセージを強力に打ち出す目的に照らすと、メガブランドは実はニッチブランドよりも分がある。例えば日用品ニッチブランドは、水平分業を前提とした委託少量生産で成り立つことが多いので、原料から最終製品までのサプライチェーン全体を見通すことが難しい。最近ファストリテイリングが主要なグループ取引先縫製工場のリストを公開したように、メガブランドはみずから透明性を高めることで消費者の信頼を得ることができる。また、NBを提供するような大企業ならば、求める人材をより良い条件で集めることも容易なはずだ。これらの人材が組織風土を作り、ブランドメッセージを支える重要なピースになる。

メガブランドが力を取り戻すために、最大のチャレンジは何か?それは、過去の成功から頭を切り替えることだろう。ブランド力の根源である安心と憧れが全否定されたわけではなく、その中身が変わっているのだ。すなわち、「安心」とは「みんなが使っている」安心よりも、「私の価値観と沿っている」安心であり、「憧れ」とは「キラキラ」よりも「私を分かったうえで、もう一歩先に連れていってくれる」という、信頼に基づいた期待に変容している。

NBだから知名度がある、昔からのお客さんは分かってくれる、と甘んじてはいけない。アイデンティティを見つめ直し、サプライチェーンから組織風土までを統一したうえ、積極的に情報発信することができれば、メガブランド再興の機会は十分にあると思う。

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