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赤ちゃんはみんな泣いて生まれてくる。笑顔にするのは大人たちの仕事だ

生後間もない女児を殺害し、その遺体を公園に埋めたという痛ましい事件があった。警視庁は2日までに、母親で衣料品販売員の北井小由里容疑者(23)=神戸市=を死体遺棄容疑で逮捕した。容疑を認めているという。

こちらのニュースでは、「赤ちゃんがいると、わたしの夢がかなわないと思った」と供述していることなどが伝えられている。

この母親に対する非難の声も当然多い。決して、その所業を擁護する気持ちなど微塵もないが、しかし、ここに至るまでには本人にとってもいろいろな事情と葛藤があったのかもしれないとも思います。


NHKドラマ「透明なゆりかご」の第2話「母性ってなに」というお話があります。(以下、ネタバレ含みます)

妊娠してしまった高校生。彼女は悩み、家族にも誰にも言えず、さりとておろすこともできず、悩んでいるうちにお腹の子はどんどん成長してしまう。

そして、結局誰にも相談できず、一人で自宅の風呂場で出産します。すぐさま、出血した状態で、ふらふらになりながら、彼女は赤ちゃんを連れて自転車で走りだします。その子を彼女はわざわざ遠くの産科の医院の前に捨てるのです。

赤ちゃんは、病院の人にすぐ発見され、無事に保護されました。

しかし、出産したことが親にバレ、結局赤ちゃんは彼女の親が引き取ることになる。彼女は、無言ながら非難の目で見つめる主人公の看護師に対して「あんたは関係ないでしょ」と悪態をつく。「こんな子、いらない。だから捨てたのよ」と。

主人公の看護師は彼女の気持ちが理解できない。「自分の子でしょ?どうしてそんなふうに言えるの?」と。「なんて人間なの、母親になる資格なんてない」と思うわけです。


でも、なぜ彼女は、わざわざ産婦人科の前に赤ちゃんを捨てたんだろう?

病院の前に捨てたのは、絶対に誰かかがすぐ気づいて、赤ちゃんを助けてくれるという思いがあったのかもしれない。そもそも、彼女はおろすことを躊躇してそうなったのではなく、赤ちゃんを産むと決めて、覚悟の出産をしたのではないか。

産むんだ、この子は絶対に産むんだ。

彼女は、桜の木の下でそう決心したのだと思う。


だから…だから…、彼女は、必死の思いで赤ちゃんを産婦人科の前に捨てた。いや違う。託したのだ。

どうか、この子を助けてください。私の代わりに育ててください。お願いします。

彼女はそういう思いだったろう。


この高校生とは別の妊婦が主人公の看護師にこう話しかける。

「自分の身体なのに自分じゃないものが入ってる。なにこれ?って。赤ちゃんのこと、大事に思うときもあるし、思えないときもある。思えないと、私、大丈夫かなって不安になる」

出産とはなんだろう、母とはなんだろう、不安な時、相談できる相手って誰なんだろう。そんなことを考えさせられたドラマだった。

母親になった人は、誰もがこんな気持ちの揺らぎを感じているかもしれない。男には、すみません、わからないことですが。


今回の事件の容疑者が、どういう経緯で妊娠したのかはわからない。もしかして望まない形だったのかもしれない。どうして中絶せずに産んだのかもわかりません。そして、どんな気持ちで空港のトイレで出産し、殺害してしまったのか。何もわかりません。でも、ずっと何か月も自分のお腹の中で育ててきたことだけは確か。

せめて誰かにどこかのタイミングで「助けて」と言ってほしかったと思います。自分で産んだ子だから自分で育てないといけないと決めつけなくてもいいと思います。同時に、それを言えやすい社会であること、何かしらの制度や仕組みが周知されますように希望します。

赤ちゃんは泣いて生まれてきます。そして、生まれてきた赤ちゃんは当分泣いてばかりです。でも、必ず、そのうち笑うようになります。赤ちゃんが笑えるように、親だけの、家族だけの自己責任にするのではなく、社会の大人たちがなにかしら手を差し伸べて(直接的である必要はなく、間接的にでも)、赤ちゃんの笑顔を見られるようできるといいと思います。

「あなた、母親でしょ!母親なのに子をいとおしく思えないなんて!」と道徳ふりかざして激怒し非難しても、赤ちゃんは笑顔になるでしょうか?


このお話、ネタバレでもご覧になると心が動くと思います。主役の清原果耶含め、演技も演出も主題歌も素晴らしいです。オンデマンドで見れます。


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