「概念を売る」際の文化説明は、どうあるのが良いのか?
日本文化を外国人にどう伝えるか?ということに頭を悩ませている人は多いはずです。ぼくも、その1人です。
最近、日本の人といろいろと話していて気になることがありました。特に、以下のようなセリフを聞くと。
「ヨーロッパの人に言われたのですよ。日本の人が自分の文化の説明にそんなに躍起になる必要はない。そのままミステリアスで十分、とね。ああ、そうかと思いました」
ぼくはこういう台詞をはく欧州人を山ほど知っていますが、直接、日本人と取り引きをしないジャーナリストや観光客が語ることです。日本人と何らかのビジネスをする人が、「日本文化はミステリアスのままでいい」と話すはずがありません。買う立場であろうと売る立場であろうと。
だからビジネスをしている企業は、日本文化を知るための研修に多大な予算をとるのです。
一方、日本企業が売る立場になったとき、これは買う立場とはまったく違う熟練度が必要です。誤解を恐れずにいえば、買う立場の人が行う日本文化の説明は表面的であってもとりあえず何とかなります。が、ヨーロッパ人に何かを売ろうとする場合、難度はずっとあがります。
それも機能的商品の場合ならやや楽です。が、機能が重視されないもの、あるいはそもそもカタチにならないコンセプト、これらを売るにあたり、日本文化の説明を要することがあり、冒頭のぼくの悩みは、このレベルでの難しさを指しています。
ある考え方をベースに世界の人々に納得してもらうルール作りなどは、このレベルのさらに上を行くはずです。
さて、こういう議論がある他方で、新しい概念などにナショナルアイデンティとか要求されるか?との問いもでてくるでしょう。つまりは、主張の背景にあるローカルな考え方の説明は不要ではないか、と疑問に思う人もいます。
言うまでもなく、バックグランド文化を解説することが必ずしも期待されないこともありますが、個人の動機を知るのが概念の理解には役立つことを思い起こすと、相手が求めていなくても、自分が関わる文化の説明はことを優位にもっていくに貢献してくれることが多いです。
ことの概況をこう説明したうえで、言います。
建築構造的な文化の欧州的説明が「セクシーではない」としても、草木が揺れるような表情をもった日本文化の説明は、概念を売る立場にあるとき、少々信頼性を獲得しずらいです。心情的な親和性があったとしても、一歩踏み込んだ実践に至るステップで躓いてしまう。
よく西洋文化の衰退を前に東洋思想の再発見が語られます。後者に多くの智恵なりがあることは確かですが、ここをベースにしてグローバルなルールメイキングが実現できるか?と問われると、道遠しではないかと思います。
6月21日のポッドキャストは、このテーマについて話しています。