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データが導く「正解」を信じますか?


 データを使うということは、とり組んでいる課題に、科学的な態度で向き合うというである。
 このデータをどのように科学的に捉えるかについては、長い歴史がある。だから、自己流や個人の主観的な方法をとらないことが重要である。
 ここで思い出すのが、科学哲学者カール・ポパーの立場である。将来のデータによって反証可能な命題こそが科学的な仮説であるという見方である。データができるのは反証だけだというのである。しかも、反証不可能な仮説は、科学ではない(宗教や信念などになる)。
 大事なのは有限なデータによって、仮説を検証することは原理的に不可能で、あくまでも、データの範囲で反証されなかった有望な仮説だというのである。将来、反証されて、間違っていることが示されるかもしれない仮説なのである。
 従って、絶対に間違いのない検証は、原理的にあり得ないのである。逆に、そのような絶対に間違っていない検証を求めることが、そもそも科学的な態度ではない、ということである。
 「正解」という言葉には、この絶対的な検証を求めるニュアンスがある。それは、実は、科学的でない態度なのである。
 データや経験から得られる結論とは、常に仮説であり、絶対的な検証はありえず、だからこそ、前向きに常に仮説を更新する営みが重要なわけである。
 我々の人生も社会も、この常に新たに仮説を前進させる営みと捉えることが重要だ。そして、それが科学的な態度だと思う。

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