表面的な「スキル」より、基礎体力が大切
私が物理学専攻の修士課程に在籍した二十数年前、シミュレーションを行うプログラムはFORTRANという言語で書かれていた。仕方なくFORTRANの基礎を学んだわけだが、もちろんその後、直接的に私にとってはまったく役立たない「スキル」となった。履歴書に記すこともない。しかし、プログラムを組む基本的なロジックや作法をなんとなく体得したおかげで、もしいま新しく学ぶとしたら、「付け焼き刃」アプローチで応用が利くと期待する。
このように、個別のスキル自体が古くなっても、その背後にある考え方さえ身に着ければ、個々のスキルは必要に応じて更新することができる。この更新こそがリスキリングだが、骨となる基礎力がなければ、空しい努力に終わる。時代の変化が速いからこそ、旬のスキルを追い続けるよりも、普遍的なものの見方を身に着けることが大切ではないか。
では、いまの日本人に必要な基礎力とは何か? まず、時間軸、空間軸で俯瞰(ふかん)する力を挙げたい。安倍元首相が唱えた「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」は重要な視点だ。
日本から世界を眺めると、日本の常識をあてはめた世界像しか見えてこない。視線を反転し、世界の中の日本と位置付ければ、日本の普遍性と特殊性が両方浮かび上がる。一見、日本固有と思われる社会課題に対する処方箋について、外の世界からヒントを得ることができる。
民主主義が守勢に立ち、米中の二大大国がそれぞれ大きな問題を抱える現在、私たちは歴史の大きな転換点に立つ。歴史観にもとづいて非連続的な世界の将来像を想定し、必要な手を打つことが、政治家や経営者に求められる。
次に、インパクトの最大化を念頭に行動を起こす力も、日本人の苦手分野だ。日本という国内市場が中途半端に大きいせいか、世界を塗り替えるようなイノベーションが志向されづらい。
このせいで、特に距離を超越するソフトウエアの世界において、日本企業は大きく米中に後れを取ってしまった。現在、気候変動を含む環境問題は世界の課題であり、日本発の技術を応用する余地は大きい。そのスコープは世界規模で考えたい。
では、このような基礎力を強化するために、政府や企業は何ができるだろうか? 政府の一番の仕事は、教育だ。正解重視で画一的な日本の教育が批判されて久しいわりに、変化は遅いように感じる。歴史を勉強するということは、ドライな記憶を頭に詰め込むことではなく、大局の流れと地域的な発展の相関を理解することと考える。
企業経営にとって、大局を俯瞰(ふかん)し、最良の道を選ぶためには、取締役会でのクオリティー高い議論が欠かせない。コーポレートガバナンス(企業統治)改革の結果、社外取締役が劇的に増えているが、多様な視点を生かして実のある議論ができているか、外国人取締役が人数合わせのお飾りになっていないか、常に自らを振り返る必要があるだろう。
これらの基礎力を身に着け、生かすために欠かせないのが、語学だ。特に共通言語として、英語の覇権はゆるぎない。英語のままメディアや文献に接し、外国人と対等に意見交換ができることは、基礎力の前提でもあり、必要不可欠な「スキル」でもある。私自身、教育を振り返ると、プログラミングを含め理系寄りの考え方を学んだことは貴重な一方、それ以上に英語のおかげでキャリアを形作れたという思いがある。
たしかに自動翻訳の質は飛躍的に向上し、これからは語学を学ばなくても大丈夫、という楽観論も聞かれる。しかし、言語にはそれぞれの文化やものの見方が色濃く反映される。したがって、自動翻訳に頼ることは、便利さと引き換えに異文化理解の機会を失うことになると考える。
今日の日本、そして世界が直面する課題は、人類存続を脅かすほど深刻だ。だからこそ、表面的なリスキリングに追われるよりも、根本的な力のアップグレードこそが求められている。