
占いを信じる人が生き残った。活動量を増やし異なる視点を得る
これだけ科学技術が発展している現代においても「インドの大財閥は何か行動を起こす前にまず有能な占星術師に相談する」という驚きの事実がこの記事で解説されています。
香港や台湾では、実測できない気の流れに基づいた風水で都市が設計されています。思っている以上に、反証できない論拠に基づいて我々は活動を行っているようです。
実際、普段生活している中でも、思った以上に占いなど反証のできない理論を信じている人に出会います。
私は信心が全くないわけではなく神社仏閣に行けば襟を正しますが、どうしても重要な決定を天に任せるようなことはしたくないと考えてしまいます。
ランダム性が生存確率を高める
不確かなものを信じて活動する人が、なぜこんなに多いのか不思議に思っていたところ、ある文章に出会い少し合点がいきました。
ヒト特有の認識のクセがしばしば問題になる。なぜなら、生存のための最適戦略を採るためには、自分の行動をランダム化しなくてはならない場合もあるからだ。ところが私たちは、ありもしないパターンを見てしまう認識のクセをなかなか改めることができない。
インドネシアのボルネオ島に住んでいるカントゥ族は鳥占いで耕作地を決めている。
人類学者のマイケル・ダヴによると、農民自身が耕作地を選ぶ場合には、二つのリスクがあるという。まず一つは、ギャンブラーの誤謬に陥りがちなこと。つまり、一度大洪水に見舞われた場所にはもう洪水は来ないはずだと思いがちなのだ。もう一つは、他人の成功に注目して、豊作だった世帯の選択をまねようとすることだ。その結果、ある年にある場所で村人のだれかが高い収量を挙げると、その翌年には大勢がその場所に作付けしたがるようになる。
占いで何かを決定するというのは珍しいことではない。
一つの成功や失敗を多大に評価して固執する我々の性質を弱めるために、根拠がなくとも行動の幅を広げる占いは、生存率を高めることにつながってきたようです。
物事は多面的であることを知る
儒教で重視される中国古典、四書五経の中核をなす「易経」は、漢代では占いに用いられていました。この書の本質は、さまざまな事象の捉え方や心構えを示すことにあるそうです。
辛く苦しい日々に絶望していも「未来に対して準備をする大切な日々である」と捉えることもできます。易経は、近視眼に陥りがちな日常を大きな視点で捉えなおすことを促し、充実した人生を実現するための知恵として機能するのです。
自分自身の考え方に固執して視野を狭めて選択肢を少なくしてしまっているとしたら、占いに頼るのも悪くなさそうですよね。
ただし、我々は不完全であるがゆえに不確かさを取り込んでいることを理解して、占いや占い師を妄信することには気を付けたいです。
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