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連帯せず、連携する組織へ 〜ムカデ競争をやめて、サッカーしよう


お疲れさまです!っていうかあけましておめでとうございます!uni'que若宮2020(トゥウェニィトゥウェニィ)です。

新年にこんな記事を目にしました。

大企業で働いたことがある人は心当たりがありすぎるやーつです。これほんとマジヤバmother-fu*kin'大型「あるある」すぎてやばかったのでこれを読んで思ったことを書きたいとおもいます。


セキュリティを低下させるセキュリティ対策

日本企業には実効性がないセキュリティ対策が本当にたくさんあります。

・外部のイケてるクラウドサービスやグループウェアを使うことを禁じて、自社のアップデートされない伝統的UIの自社管理ツールをつくりそれを使うことを強制したり、
・外部サイトやSNSに接続しようとすると検出されて赤い画面が出たり、
・組織外のアドレスに送ろうとすると毎回チェックurlが送られてきたり、
・4シート100項目くらいある「セキュリティチェックリスト.xls」(xls!!!)の提出を求められたり、

これらのルールは著しく業務効率を落とすわりにセキュリティをほとんど上げないばかりか、むしろ下げてしまいすらします

ひとは注意の総量に限界があるため、項目が多すぎると重要度が分散してしまい、それぞれへの注意が低下するからです。些末なことが多すぎると本当に重要なことも抜けてしまいます。

しかし、優秀な善意のひとたちが集まっているのに、どうしてこんなに実効性のないルールが増えていくのでしょう?


長すぎる利用規約とかもそうですが、こういった肥大化のひとつの原因は保身です。相手のことを慮った本質的な予防のためよりは、「ここに書いてあるんです」とか、「うちの部署はちゃんとチェックするよう指導してるんで」というように自分の責任を回避する”アリバイづくり”のセキュリティ対策になってしまっていることが多いのです。

いくらルールを沢山つくったとしても、それを守ることに実効性がなかったり、それどころか本当に重要なことへの注意を落としてしまうのであれば、まったく意味がありません。チェックリストを用意したのだから、それをチェックして提出する責任は事業担当者にあるのかもしれませんが、未然の予防に効果がない、事故が起きたときの責任逃れのためのルールであれば、本末転倒です。


生産性を低下させる会議

同じような事象に「社内会議」があります。大企業では日勤帯にものすごく多くの会議が行われています。以前、こちらのCOMEMOでも書きましたが、

そのほとんどは生産的なものではありません。出る必要のない会議も、会議に出る必要のない人も沢山いるのです。

日本の大企業の会議では、なにかが生み出される会議の割合は著しく低いように思います。ほとんどの会議で、会議をする前と会議をしたあとで結論が変わらないのです(むしろ結論は、会議を開始する前の「根回し」の段階で出ています)。では、なんのためにやるか、というと、会議をしたことで「ちゃんと聞きましたよね?あとでやいやい言わないでくださいね?」という合意を確認する、"既成事実づくり"の会議なのです。


「連帯」と「ムカデ競争」

さて、このように書くと、そういうことしてる管理部門担当者がバカなんじゃないの、とお思いになるかもしれませんが、僕が企業にいたときも実態としてはそのようなことを多く経験しましたし、自身もその論理に巻き込まれてしまっていました。

で、自分も中にいた身としてなんでこんなことになってしまうか、というのを考えてみたのですが、担当者の問題ではなくマネジメントの問題であり、その根っこには「連帯」という日本的な考え方があるように思うのです。

「連帯責任」や「連帯保証人」というのがありますが、日本では何かあった時はお前らみんなに責任を負わせるぞ、という(脅迫的な)考え方が根強くあります。これが企業における、実効性のない閉塞的ルールを生むのではないでしょうか。

連帯して責任を負う、といわれた場合、他のひとの”せい”で自分に罪がおよんではたまりませんから、なるべくお互いに監視し合い、他のひとがミスしないようにルールで縛り合います。囚人のジレンマのようにお互い疑心暗鬼になって制約し合うものですから、チームはがんじがらめになります。

連帯の「帯」というのは縛りあうことです。イメージでいうと「ムカデ競争」のように、足をつなぎ合ってお互いに行動を制約し合っているような状態です。

ムカデ競争をしたことがある方は分かると思いますが、この競技は一人で走るよりも明らかにスピードが落ちます。それでも自発的にムカデ競争をするのなら「息を合わせて進む」ことを楽しめるかもしれません。

しかし、「押し付けられたムカデ競争」の場合、そうもならないのです。そこで実際に起こることは何か?

それはうまくいかなかったり負けたときの責任の押し付け合いや、犯人探しです。「お前が遅いからだろ!」「最初に転んだのお前だろ!」

「おれのせいじゃないし!」


「連携」と「サッカー」

「連帯」のように縛り合うのとは違う前向きな協働のあり方が「連携」です。それは喩えるならたとえば「サッカー」のような。

サッカーではみんな一緒に動くのではなくて、ディフェンスが堅い人、ドリブルが上手い人、足が早い人、シュートが上手い人、とそれぞれがそれぞれの異なる良さを発揮して、ボールを前に進めます(ボールを持たない人すら、連携して行動します)。

そして、ムカデ競争とは対照的に、ひとりで進むよりも圧倒的に速く前に進むのです。

また、失敗した時の責任のあり方も「連帯」のそれとはちがいます。サッカーの責任は言わば「分有」されているのです。それぞれの仕事はそれぞれが責任をもって行いますが、全体としての結果は誰かひとりだけのせいではなく、みんなの責任です。

少しややこしいですが、僕は「連携」は単なる「連係」ともちがうと思っています。「連係」はもう少し単線的で、役割分担的です。やはりスポーツに例えるなら、それは「リレー」のようなものだと言えるかも知れません。バトンは「連係」されますが、みんな区間の距離は一定で、それぞれが「足の速い人」の競争です。ここではやはり「足の速さ」だけが評価軸であり、コケたり、抜かれたりすれば、その人に責任が集中しがちです。

一方、サッカーの連携は、個々がちがう能力を発揮するためにより一層責任が分有されるのです。仮にDFが少しミスしてそれが失点につながったとしても、チームではその人が一番ディフェンスが巧いのだからベストの結果であり、ポジションを変わっても事態は一層悪くなるだけです。逆にFWが点をとったとしても、それはFWだけのお手柄でもありません。


イノベーションのジレンマとは「連帯」かもしれない

念の為言っておくと、もちろんここで言いたいのはスポーツに優劣があるということではありません。それぞれゲームがちがうのであって、それぞれの楽しさ、良さがあります。

ただ、スピードが速く、局面の変化が大きい時代においては、「連帯」よりも「連係」のマネジメントがますます必要になってきている気がするのです。責任を負わされるために縛り合うのではなく、個がそれぞれちがう力を発揮し、だからこそ全体として責任を分有できる組織

(この時、既存のルールや組織のあり方についても責任を分有していることを忘れてはいけません。それをただ他人事のように否定するだけだと、自分もまた同じ間違いを犯します。批判とは、自己を含んだ批判であるべきではないでしょうか)

そしてそれは組織だけではなく、社会全体としてもそうなはずです。

年長者が偉いのでも、年収が高い人が偉いのでも、子供を産む人が偉いのでも、沢山働くひとが偉いのでも、ソーシャルグッドな人が偉いのでもありません。それぞれはちがうプレイヤーであって、それぞれがパスをつなぎ、少しでもボールを前にすすめるしかないのです。(いうまでもなくつなぎたいのはBallであってBombではありません)


もしあなたがいま仕事でまだ「ムカデ競争」をしているとしたら。

もっと「サッカー」をしたいのだとしたら。


そんなあなたに年明け早々とてもおすすめのイベントがあるんですってよ奥さん!(急な宣伝)

僕もサッカーそれほど詳しくないので、がくちょこと仲山進也さんにいろいろ聞きまくりたいとおもいます。お時間ある方ぜひどうぞ!

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