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新型肺炎に対する措置について考えざるをえない環境で何を考えるか?

いやあ、あまりにタイミング悪すぎます!だって、先月末に上梓した拙著『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?:世界を魅了する<意味>の戦略的デザイン』とイタリアでの新型肺炎の感染の広がり発覚がほぼ同時期。その後、イタリアの感染者数は世界で中国に次いで2番目になり、今週、イタリア全土が封鎖するに至り、世界のさまざまなメディアが連日のようにイタリアの状況を報じています。日本も例外なく!

それらの報道内容の多くは、イタリアの政策や医療措置に対してネガティブなニュアンスを含んでいます。批判的なところがあって当然良いのですが、かなり的外れな記事も多く、現場の一部をクローズアップしてイタリア全体の医療の質を語るという類が目につきます。とすると、次のようなエピソードに接することになります。

いま、リビングに本を置いて、イタリアのニュースを見ていたら、娘からいまこのタイトルはねえ、と突っ込まれました 笑

東京にいる知人がぼくの本を買ってくれ、それを読もうと自宅のリビングルームのテーブルの上に置いていたら、タイトルが悪いと娘さんに指摘されたというわけです。いや、タイトルが今の空気というか気分にフィットしない、ということですね。

それはそうなんだけど、まいったな 笑。

前述したように、英語にせよ日本語にせよイタリア国外メディアの報道には一次情報に触れていないことが窺え、さらに言えば、イタリア語の情報にもフェイクニュースじゃないかと疑われる節が多々あります。冷静に考えれば分かるように、爆発的に増える感染者と医療現場で向き合っている人たちは、鳥瞰的な視点も入れたリアルな発信を個人的にする暇などまったくないはずです。そうすると、医療現場の一シーンを垣間見たか、仕事に疲れた医師のボヤキに接した人の声が拡大して「フェイク」のごとくに伝わることになります(たとえ本人はフェイクと自覚せずとも、です)。

だから政府や自治体の公式レポートか、それに基づいて書いているイタリアの新聞記事を丁寧に追うのがマシかな(無駄なことに余計な時間を使うことを回避できる)、と感じています(例えば、集中治療室や呼吸器を年齢の若い患者に優先的に提供しているとのエピソードが、「イタリア医療崩壊か?」の突っ込みを入れる文脈で、この数日間出回っていますが、「それらはフェイクである。若い患者がそんなにいるわけないじゃないか」と、ミラノの大病院の専門医がフェイクニュースに振り回されるなと注意を呼び掛けています。イタリア語ですが、引用元としてリンクを貼っておきます)。

・・・・ということで、ここで感染や医療に関してまったくの素人のぼくが言えることは何かを考えるわけです。いや、正直言えば、気がめいるのであまり考えたくはないのですが。

今週から封鎖地域の外にはおいそれと出られなくなっただけでなく(だいたい、飛行機がほとんど飛んでいない!)、自宅からの「不要な外出」も禁止され、(ある特定分野以外のスマートワーキングが可能な)オフィス、レストラン、バールは閉まり、食料品と薬品の店しか開いていないのです。そして他人とは1メートル以上の距離をとるようにと政令で定められているので、スーパーは混雑しないように入店の人数制限がかかり、入店を待つ行列もお互い1メートルの間をあけないといけません。だから長い行列ができ、小さい個人商店の場合、店のなかは1人だけ、あとは店の外で数人が黙って待っている。なにか旧共産圏の風景を思い起こします。ここに写真なんて貼りたくないです。

もちろん外の空気に触れるための散歩や軽い運動くらいはできますが、基本、自宅にいないといけません。多くの人(少なくとも、ぼくの自宅の周辺の人)は忠実にそれを守り、街はガラガラです。だから、余計なことなどあまり考えたくないけど考えざるをえないのです。で、考えました 結局 笑。

現状の政府の措置をどう文化的に解釈できるかあたりが、「メイド・イン・イタリー」をテーマにした本を書いた人間としてできることでしょう。2つのことが言えると思います。

1、「人々」を三角形の頂点におく

政府が経済的な犠牲を払うことを覚悟しながら(経済的打撃を国民に覚悟してくれということと、その一部を政府が補助すること。税控除もその一つの方策)、「国民の生命(健康)を第一優先にする」と封鎖の理由を明言しています。これは当たり前の政策と思いがちですが、「経済安定なきところで健康を守れるのか?」と問う人たちを首肯させるには、あるフレームが合意されていないといけません。そのフレームとは何か?です。

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この三角形は、ぼくの本でも「意味のイノベーション」の提唱者として紹介している現在、ストックホルム経済大学でイノベーションリーダーシップを教える経営学者のロベルト・ベルガンティが、ミラノ工科大学を中心とした研究グループ Design Thinking for Business のメンバーたちと一緒に作成した図です。

左はビジネスとテクノロジーを目標にして人々が奉仕する図です。そうすると、例えば、製品開発にあたり「人間中心設計」というアプローチを採用したとしても、それは人を目標としていない限りにおいて、人間中心とは言えない、という批判が成立します。他方、右はビジネスとテクロジーは人々に奉仕するものである、という考え方です。日本でもよく言われる表現「何か人が喜ぶことをすれば、お金はあとでついてくる」が、この考え方です。

ベルガンティは、このフレームを左側は20世紀的な考え方、右側が今世紀の考え方と説明しています。あるいは建築的デザイン言語に依拠してきた欧州は、右側の文化傾向が強い(建築は人が住む空間ですから人を中心に発想します)、という言い方もします。「売れるためのデザイン」の色彩が強かった米国のデザインは、左側に位置されることが多い、との説明を加えることもあります。

彼は欧州委員会のイノベーション政策の審議会の委員でもありますが、イノベーションの方向は明らかに変わりつつあり、右側の三角形のフレームを使うようになってきていると説明します。1兆円以上の予算を2020年から7年間でさまざまな案件に振り当てていきますが、ターゲットは「ゲームのルールを変えられる人」が表舞台に出てくること。女性や環境問題がフォーカスされるわけですが、その表現として下記のようなイメージが使われています。かつてこういう写真には眼鏡をかけた科学者やエンジニアの顔があったのが、女性とストリート系ともいえる顔がイノベーションの主役として登場してきているのです。

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即ち、「人々」をトップにおいたフレームは欧州の文化に根強くありますが(例えば、自動車の仕様に関する新しい国際基準をつくる際に、「この提案で人の命が救えるのか?あるいは「人の命を危険にさらすことはないのか?」との問いを最初に発するのが欧州の委員とのエピソード)、その文化をより意識しはじめ、その点を欧州のこれからのイノベーションの強みとしようとしているのです。

もちろんイタリアの国民の健康を第一とする明言した緊急措置は、上記のイノベーション政策と直接は関係ないですが、「人々」をトップにおくとの思想の反映であるのは明白でしょう。これが次の点にも関係していきます。

2、欧州の「感染先行国」としての位置の捉え方

2月20日以降、イタリアが欧州で感染先行国となったとの背景は、いろいろとメディアで推測が書かれています。イタリアに中国人が多いからとの見解もその一つです。だが、英国とフランスの方がイタリアよりも多いのですから、合理的な推測とは言えないでしょう。中国人あるいは中国系の人数ははっきりと最新データが入手しにくいですが、参考にウィキペディアをみても、フランスは70万人、英国47万人、イタリアは32万人です(実数よりも、イタリア以外の方が多い、という傾向に注目してください)。一方で遺伝子を分析した結果によると、欧州ではドイツが最初だったとの説もあり、確かなことは何も言えない状況と理解します。

「イタリアの政策のミスだったのでは?」「おしゃべり好きやキスなどの行動パターンが原因?」とああだこうだと議論しているうちに、欧州各国に続々と感染が確認されはじめ、2月28日、スイスではジュネーブモーターショーの3日前に中止がきまり、3月12日の昨日、英国では「封じ込めから感染スピードの鈍化に課題に移行しつつある」との政府の見解がだされ、フランスでは来週から学校が閉鎖されることになり、且つ高齢者は自宅に留まるような要請がありました。感染の広がり方について、1週間から1か月の差がイタリアと各国の間にはありそうなので、いろいろな国がイタリアのケースを研究しています。

一昨日、イタリアの元首相である(2014年、39歳のときに最年少で首相になった)マッテオ・レンツィがCNNで「他国はイタリアの過ちを繰り返すな」と語りました。この政治家の発言に「1人でパーフォーマンスしている」などさまざまな意見がありますが、「感染の初期にリスクを過少評価したことで、感染を広げてしまった。欧州の他国は何日かの差でイタリアと同じ状況になるはずなので、イタリアのミスを繰りかえさないよう、我々の経験を参考にしてください」と強調している姿勢は注目すべきで、これは現政権への批判を含むとしても否定する理由がありません。どこの国の措置が良いか悪いかと僅かなデータで表面的に論じ合うのではなく、さらなる「詳細なデータ」や「ナレッジ」の共有で助け合おうとの空気が作られつつあるとみるのが妥当です。

その結実の一つと見えるのが、昨日の欧州委員会の委員長であるウルズラ・ゲルトルート・フォン・デア・ライエンのメッセージです。ドイツの保健大臣もつとめた彼女は、イタリア語と英語で「あなたたちは孤独ではない。我々はすべてイタリア人である」と連帯を強調しています。「我々はイタリアに医療のスタッフと必要資材を早急に提供し、かつ中小企業や観光や飲食業などの経済損失を埋めるべく援助する」と語る一方、「我々は苦しんでいるイタリアから学んでいる」と話すのです。経済を視野に入れながらも、前の項目で述べた「人々をトップに位置付ける」思想が表明されています。

また、イタリアは中国にも支援を求め、中国の赤十字のオーガナイズで医師や呼吸器などを積んだ飛行機が3月12日、昨夜遅くにローマの空港に到着しました。感染で大いなる犠牲を払い苦しみながらも、やや落ち着きをみせてきた国の最新データ(治療方法を含む)をイタリアに持ち込んできた、とあります。つまりウィルス発生国であり、感染先行国としての務めを「我が国が苦しんだ時にまっさきに助けてくれた友人」に対して果たそう、というのです。

感染の先行ケースと不幸にもというか不運にしてなってしまった国は、先行ケースを他国は失敗例も含め積極的に参考にしてくれ、と申し出る。当然ながら、その先行ケースには痛みや苦しみがたくさんあるわけですが、これをヒューマニズムという特別のジャンルに「祭り上げる」のではなく、当たり前のように「人々」を三角形のトップにおき、そこでソーシャルイノベーションをスタートさせていこうとの機運がある、という流れで現在起きている事態を読んでいったらよいと思うのです(そして、ビジネスはあとからついてくる)。ギリギリの綱渡りながら、なるべく全体像の把握できるデータをとりながら感染の時間的分散を図り、医療制度の維持を目指す。リーダーシップをとりたくてなったわけではなく、しかし結果的にリスクを負いながら先頭集団をいくことになったとき、何をすべきなのかを今回の事態は教えてくれます。

それにしても、先週の土曜日、以下のコラムを書いたとき、このような展開になるとは想像していませんでした。

その他の州でもほぼ同時期に感染者がみつかり、事態の深刻さが一気に表面化したのですが、前述の数字で分かるように、ロンバルディア州の感染数が突出しています。新聞報道によれば、今日か明日には、ベルガモをレッドゾーンに入れるかどうか、クレモナの監視体制をより厳しくするかなどの決定がされる予定です。地図で各県の位置を見れば分かるように、ミラノはかろうじて、まだ最悪の状況を回避している、あるいはなんとか持ちこたえている。そしてミラノが最大の人口を抱え、かつイタリア経済の中心であることからも、ミラノがレッドゾーン化とならないことが大きな課題になっています

思い起こせば、2月22日に自治体のトップが「今回、一部の自治体の封鎖や学校の閉鎖を2週間実施し、その時点で状況に改善が見込まれないときは、さらにドラスティックな対策を提示する」と記者会見で話していたとき、ドラスティックのレベルは市民が想像していた以上のものだったことになります。

最後に。ちょっとした光明もあります。3月11日の新聞報道によれば、ロンバルディアの最初の「震源地」であったローディ県で3日間、新しい感染者数が減少しゼロの日が到来したのです。つまり2週間半くらいで封鎖作戦が効果を出したということです。このくらいのニュースはなくちゃあね!






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