コロナで変わる企業運営と社長の存在感~出社した社長が宅配便を受取る日~
「社長に出社して欲しいかどうか」というお題、 そもそも何でこのような問いが出てくるのだろうと、しばし考えてしまった。
「欲しい・欲しくない」という問い方をしているという時点で、下から、つまり社長にとっての部下が社長にどのような要望を持つか、ということが問われているのだろう。
「社長」にどのようなイメージを持つのかは、働いている会社や所属する部署などによって非常に大きな隔たりがあると思う。自分のことを考えてみると、今でこそ、スタートアップ企業と一緒に、あるいはその一員として働くことも非常に多いので、社長はとても身近な存在であるし、スタートアップのような企業であれば、社長が会社そのものを体現していると言っても良いので、社長の存在感は大変大きい。
一方で、自分が最初に就職をした会社は大きな会社であったので、社長と言っても、入社式のような式典の時に遠くの壇上に小さく自分の視界に入っている人という印象でしかなかった。実際に、その会社で私が社長の半径10m以内に同席し、話をしたことは、おそらく自分が管理職になった時の顔合わせだけで、会話もほんの数十秒だったと思うし、それがなければたぶん在籍中に社長と直接話をすることすらなかっただろうと思う。それは、秘書部門といった部署にでも配属されなければ、おそらく大企業に働く多くの一般社員にとってのリアルではないだろうか。
そのような状況であれば、社長が社内にいるかどうかすらよくわからないし、出社していようがいまいが自分の目先の仕事にとっては何の関係もなく感じられ、「出社して欲しい・欲しくない」という要望がそもそも生まれないだろう。
新型コロナウイルスの問題が起きる以前から、例えば出張などによって社長が不在になることは、どの会社でも特に珍しくなかったことだろう。では、我が国ではリモートワークが十分に普及していなかった昨年までの状況で、社長が出張不在の時には、どのように会社の業務が回っていたのだろう、と思う。
一方、コロナ禍のこの状況の中で、社員全員がリモートワークという中で、社長が一人オフィスに出社しているという状況もありうる。実際に、小さな会社で社長だけが出社している日がある会社を知っている。そういう状況であれば、例えばオフィスに物が届いたり誰かが訪ねてきた時に、社長が宅配便を受け取ってくれたり、来客に対応してくれるのであれば、それはそれで部下にとっては都合が良いので、「社長に出社してほしい」ということになるのではないか。
そのようなわけで、「社長に出社してほしいか」というのは、実際のところは社長と社員=部下との関係がどのようになっているかということ、さらには部下がリモートワークが可能な状況かどうかということによって、この問いへの答えは大きく変わるだろう。
耳にした話では、緊急事態宣言の間も、社長以下役員がリモートワークをせず毎日出社しており、その対応のために管理職だけは交代で出勤していた企業もあったそうだ。出社した管理職が多くなりすぎ、せっかく出社したのに役員を交えた会議の「密」を防ぐため、一部の管理職は自席からオンライン参加、という悪い冗談のようなこともあったらしい。こうした状況であれば、管理職からすると「社長に出社して欲しくない」。
一方、社長の側からすると、自分が責任を取らなければいけない状況においては、自分がいない方が都合がいい、ということもあるのかもしれない。もうずいぶん前のことだが、社長ではないものの、当時私の所属する部門のトップが「仕事がうまくいった時には呼んでくれ、でも問題が起きた時は関わりたくないので各自で解決してくれ」という趣旨の発言をしたことがあり、このときは、部下としてトラブルの時も「出社してくれ」と思ったこと覚えている。
もちろん、今はもはやそんな時代ではないので、社長が自ら会社の経営の舵取りをしていく上で、必要があれば出社し、そうでなければ出社以外にもリモートワークするなり出張するなり経営上最もプラスがある時間の使い方をするのは当たり前のことであって、出社が部下から歓迎されるかどうかということは、社長と部下の間の関係性によって異なってくるだけのことではないだろうか。
とりわけ、社長のカリスマ性やビジョナリーであることによって会社を経営していくことが多いスタートアップ企業に代表されるような組織の場合、社長がどのようにプレゼンスを保ち、そのカリスマ性やビジョナリーであることをメンバーに伝え続けていくかということは、とても大きな経営課題であり、それによって社長の出社の必要性が変わってくることになる。
一方で、大きな会社によく見られるように、いわゆるサラリーマン社長であり、少なくてもコロナ前であれば、前例にならい物事がつつがなく連続性をもって進んでいけば良いという考え方で運営されてきた組織であれば、むしろ社長がいなくても回る組織が言ってみれば理想であり、その意味で社長は出社しない方が良い、ということだったのかもしれない。
いずれにしても、このコロナの問題が起きる以前から、社長と部下の関係がどうなっているかによって、出社するしないの問題をどのように捉えるかは異なっていただろうし、また現在の状況下で、リモートワークを、社長を含めた全社で実施しているかどうかによっても、社長の出社の意味合いは大きく違ってくるだろう。
さらに、オフィスを持たない会社も出現しつつある中でいえば、そういう会社ではそもそも「出社」という概念がない。そういう会社では、社長が出社するかどうか、あるいは出社して欲しいかどうか、という問い自体に意味がないことになる。
これまでは、特に日本の大企業では、社長はいわば「雲の上の存在」であり一般の社員にとっては出社しているかどうかすらわからないような存在、別な言い方をすれば日常的には存在感のない人というケースが少なくなかったのではないだろうか。
今後、それが変わるのかどうかはまだよくわからないけれど、オフィスの存在が流動的になり出社という概念も曖昧になる一方、ビジネス空間としてのオンラインが存在感を増す中で、社長がどのように必要なプレゼンスを保っていくのか、ないしは、特に大企業において、今まで通り、上に述べたような社長の存在感がはっきりしないままでの組織運営が成り立っていくのか、ということは、今後の企業の組織運営を考える上で、非常に興味深いポイントであると思っている。