30歳前後の女性を想定読者にすえた理由 ー 人文系不要論に疑問あり
科学や技術が人類に貢献してきたことを否定する人は殆どいないと思います。それにも関わらず、基礎科学に対して、次のような見方が広がっています。
上記を継いで「基礎科学が何の役に立つのかわからないなどといわれることもあるが、インターネットも新型コロナウイルスワクチンも基礎科学なしには生まれなかった。長い目で見れば、基礎研究は必ず人類の役に立つ」と野尻教授は語っています。
数年前、「人文学は役に立たないから不要」とのテーマが論議を呼びました。しかし、基礎科学も同じ憂き目にあっているのです。
基礎科学か人文系?と分野の有益性が問われているのではなく、一見誰にもよく分かりにくい ー 実際的には短期的にビジネス利益を生むかどうかは即断できない ー ことが極めて不遇をかこつのが現代であるとの傾向が示されていることになります。
そこで今回は、テクノロジー優勢の世の中で人文系を学んだがゆえに、何となしに後ろめたい、または弱者のような思いをしている人たちに向けた文章を書きます。自分がやってきたことに自信を持って良い、と。特に、30歳前後の女性を視野の真ん中においています。
誤解を避けたいので前提を記しておきますが、テクノロジー不要論を唱えたいのではありません。逆です。
人文系を学んだ30歳前後の女性に向けた本
見出しに書いたように、30歳前後の女性を第一の想定読者としてすえた本を、服飾史研究家の中野香織さんと書きました。この3月末に上梓しました。下記、日経新聞の書評にも取り上げていただきましたが、なぜ、我々は30歳前後の女性に読んでいただきたいと思ったのでしょうか?
まず、この世代はこれからのビジネス人生をどう生きるか、「量をメインとするのか、質を優先するのか」、この選択肢が迫ってくるタイミングだと思うからです。ぼく自身を振り返っても、そうだったのです。生き方、そのものと接近してくるテーマです。新しいコンセプトを生むことに生きがいを感じると自覚したぼくは質を選び、働く場所もそれに相応しいヨーロッパに移りました。
第二に、自分が学んできたことを「持て余している」女性を多く見てきたからです。現実は、「持て余している」のではなく、そのような状況にならざるを得ない環境があるのですが、この人たちが多くの選択肢に気づいていないとの背景もあります。
前述の基礎科学の記事にあるように、科学の職場(具体的には大学の教員)においてジェンダーギャップが著しい。これを是正していくにあらゆる方策を施すのが良いと思います。が、同時に、「データ処理などのスキルも添えて」との条件は加わりますが、さまざまな理由で人文系を学んできた多くの女性が、自信をもって歩めることも望ましいです。
しかも、女性がフェアに働きやすいとされる米国系戦略コンサルタント企業などに、道が必ずしも絞られているのではないにもかかわらず、「そこが妥当」と思いやすい。外国語も使え、異文化にも造詣があり、大きな情勢を大局的に掴む人文系の素養がある女性は少なくない。だから、もっと幅広い活躍ができるはずなのにそうなっていない。
このような狙いをもって、新ラグジュアリー領域は、質を選ぶに至るキャリアを積み、ある程度の成熟した感性を身に着けつつある30前後の女性に相応しい場であると伝えたかったのです。
新しいラグジュアリーを探検しているのは30代の女性たち
さて、前世紀末以降、フランスのコングロマリットに代表される企業は、ラグジュアリーにグローバル・マスマーケティング的な手法を用いることで自己撞着に陥っているように見えます。
この流れに反して、ローカルを起点に人らしさや環境を意識しながら、(長いサプライチェーンは無責任な体制になりやすいので)短いサプライチェーンでビジネスをつくっていこうとの動きがあります。どこか特定の国にある現象ではなく、動きの大小こそあれ、世界のどこにでもあるものです。2015年あたりから顕著になってきています。
従来の量に傾いたラグジュアリーを旧型とした場合、質の重視に目がいっているラグジュアリーは新型になります。
そして、米国や欧州において、新しい現象のど真ん中にいるのが30代の女性であり、この変化に敏感に気づきそれをリサーチしているのも30代の女性に多い、とぼくは気づいたのです。しかも、多くは人文系をメインに学んだ人だったのです。
それならば、日本の同世代においても同様の関心があるはずと踏んで色々と人に聞いていくと、それと意識していなくても、話せば「そう、そのあたりが気になる」との反応が返ってきます。
30代、女性、人文系、この3つの要素が、だんだんと頭のなかでイメージとして結びついてきました。
人文系は全体の輪郭を掴むに貢献する
3つの要素の最後、人文系です。
人文系は全体を掴むに貢献してくれます。以下の3つのチャートを連続して並べてみます。
それぞれの専門分野だけでは全体が見えません。各々の専門分野を繋ぐ知識や知恵があり、かつ全体を囲む大きな枠を認知していないと、人は倫理的な判断もおぼつかないです。新しいテクノロジーの市場への投入も、大枠でみるわけです。
大枠、あるいは全体が見えるとは、簡単な例でいえば、下図にあるように、〇や長方形ではなく円柱に見えることです。
また、今の社会では「人々」がすべての活動の目標にこないといけません。「ユーザー」でも「消費者」でもなく、即ち「人々」が手段でも、お金儲けのネタでもなく、人々そのものが目標にこないと違和感が生じるようになりつつあります。かつ、私も「人々」の一員です。「利他」といって人々を向こう岸におくのではなく、「人々」は私たちの一員であると考えるのです。
左ではなく、右であり、頂点にある「人々は私たち」なのです。そして、人文学の性格上、こうした見方を当たり前とする考えをよく身に着けた人たちが人文系を学んだ人に多いと言えるでしょう。
このような理由から、本の想定読者の筆頭に30歳前後の女性をおいたのです。
例えば、具体的にどのような道があるか?
それでは人文系を学び、外国語にも素養があるような30歳前後の方が活躍されるに相応しい新ラグジュアリー領域とは?を考えてみましょう。
ローカル文化やクラフトを鍵として海外市場を開拓したい企業は数多くあります。何代も続く老舗もあるし、若い人が立ち上げたスタートアップもあります。
しかし、いかんせん、異文化のことを良く知らない。例えば、ラグジュアリーへの認知として「高品質」や「高価格」は世界で比較的共通な要素になっています。他方、「タイムレス」「夢」「ファッション」「文化遺産」「イノベーション」などのような要素は、国によって差異が大きく出ます。ある国では「文化遺産」がラグジュアリー認知のキーになりますが、他の国にいくと大して重要ではありません。
ですから、既にある製品がどこの市場に合うのか、あるいは自分が勝負したい市場では何の要素が必要なのか、そういうことを知っている人、あるいは勘のつく人とパートナーを組む。加えて、このような市場に臆せずことなくコミュニケーションできる人であるのが必要で、このパートナーに伴走してもらうのが有効です。
一方、海外の大学にも留学して美学やアートヒストリーを学んだ女性が、美術館やアートギャラリーのキュレーターとして働いています。そのなかには、その枠内の仕事だけでは満足していない人たちも少なくないでしょう。もっと広い場で活躍できるはずですが、「アート以外」に自分の力が適用できると気づいていません。
殊にコンテポラリーアートの世界は、コンテクストの読みや構築が大切です。まさしく、この力が、実は新ラグジュアリー領域にある、上記のスタートアップ企業などで大いに発揮できるのです。
最後に告知を添えておきます。6月15日、ぼくと中野香織さんの2人でオンライン対談をします。それぞれの担当章に対してお互いが質問をするとのカタチをとろうと思います。
人文系を学んだ30歳周辺の女性の方、新しい道を探っているならば、覗いてみてください。
写真©Ken Anzai