あえての「ですます調」会話がトラブル回避に役立つ
ママ友の仲間との距離の取り方について書かれた記事ですが、どの場面でも使えるツボを押さえた内容です。
以下の図に要点があります。このなかで、あえて「ですます調」で会話、に注目しました。これ、かなり興味深いです。丁寧であることは礼儀ととらえがちですが、さらにいえば礼儀とは衝突を避ける手法でもあるのですね。
今どき、メールを使うかどうかという選択の判断はかなり大切です。
LINEのようなアプリ(ぼくの場合はWhatsappやMessenger) はチェックしやすいだけでなく、文章が短くてすみ、メールだと陥る形式的な退屈なつきあいを回避できます。メールだと新しい人と仲良くなりにくいですよね。
ぼくもメールの使用は仕事においても限定的です。
しかし、チャット的なやりとりができるアプリは時によって交信が終わりにくいです。延々と続く。そして、カジュアルな空間であるがゆえに、乱暴な表現、解釈しづらい表現に出逢う頻度もあがります。
よく「既読になっているけど返事がない」と苛立つ人を見かけますが、これも、「距離が近いはずなのに、裏切られているのでは?」という疑念ですよね。
だから、人とある程度、距離を保っておくのは平和を維持するのにとてもよく、その距離をお互いに認識し合うのに礼儀を外さない。すなわちはあまり語調を崩さないのは、精神的安定にも欠かせないことになります。
言うまでもないですが、他人をわかる、というのは至極難しいです。というか不可能と言った方が良いです。4-5回までの出会いはよかったけど、その後に見たくない面を見てしまった、ということはよくありますよね。
そして、そのよかった4-5回までにお互いが自分をカジュアルに出し過ぎていると、その後に距離をとるのに抵抗感がでやすいです。よって関係が破たんしたりするのですね。
ただ、「そういう関係の破綻を恐れて、人と仲良くしないってつまんないじゃない?」という意見が当然あります。
実は、この礼儀を貫く環境条件というのがあります。初めて出逢ったときに即友人として仲良くなる、という場合を想定しているのではないです。
以下、記事につけた太字の部分が要注意なのです。
それなりに仲間であるフリをしておいた方が良い環境のなかで、どういう距離感を演出するのか?という話なのです。
というわけで、これはあらゆるビジネス環境での人間関係に適用できるアプローチということになります。いろいろなところにネタがあるわけです。
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冒頭の写真はブルーノ・カタラーノの作品です。1960年、チュニジアに生まれ、1975年にフランスに家族と亡命します。船乗りや電気工を経て30歳のときにアートに出逢ったというのですね。
彼の作品はすべて身体が分裂しています。しかし、立っている。それが可能なのはバッグがあるからです。
バッグは記憶や思い出なのか?
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