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「不惑の40歳」は誤訳だった ―孔子が説いたのは「しなやかな中年」の生き方

("「不惑の40歳」←いいえ逆です、「区切るな、いろいろやれ」と孔子は言いました" 〜という最初のタイトルを変更しています)

(これなら日経電子版にのっても違和感ないでしょう)

人気作家、金原ひとみさんインタビューが2024年10月29日の日経新聞に:

中年はどう生きるか 確立した個の解体を」

"2004年に20歳で芥川賞を受賞し大きな話題となった作家も不惑を過ぎて、今作では「中年はどう生きるか」に向き合った" とある。

「不惑」、とは孔子の2500年前くらいの言葉。

子曰、吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩

子曰わく、吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして心の欲する所に従へども矩を踰えず。

孔先生がおっしゃった、私は15歳で国に仕えるためのより専門的な学問を志した。30歳で専門の学問を確立した。40歳でものの道理が分かって迷わなくなった。50歳にして天が自分に使命を与え、何をするべきか理解するようになった。60歳で人の言葉を素直に聞きすらすらと理解できるようになり、70歳に至っては、心の思うがままに行動しても、決して道理を外すことがなくなった

(よくある解説)

不惑を過ぎて、とは、迷わない確固とした自分を確立した(はず)、という使われ方をしている。

いいえ、違います。

孔子の真実:「四十にして或わず=区切らず」

2021年4月5日のNIKKEI STYLE記事、「能楽師・安田登さん 自分の可能性広げる三流のススメ」では、原典では逆であったことが解説されている:

孔子が生きた当時、「惑」という漢字は存在せず、「或」が正しかったようだ。

或=地域、など、区切る、という意味。つまり、「40になって、区切らないようになった、これまでの自意識を排除して、いろんなことをするようになった」と言ったのが、真実の孔先生(子=先生の意味なので、これも逆方向だ笑)

後世に、手書きで本(というか木の札をヒモで結んだやつ)を移す中で転記ミスが発生し、「惑」=迷う、となってしまった模様。

結果、不惑=確立した自分、という方向に誤解されたぽい。

これは昭和あたりの時代が求めた姿でもあっただろう。大河ドラマとか、40代の石原裕次郎のような大物俳優の演技をみても、なんとなく想像できるのではないだろうか?

しかし令和の今、40歳とは、チャレンジを続けるべき年齢だ。

22歳から働いて18年後が40歳だ。想像するために、2024年の18年前を考えてみよう。2006年、まだiPhone(2007-)は存在せず、渋谷の街にはガングロ女子高生がウェイウェイ(←当時そうはいわない)してた頃。

渋谷の街から消えたのは、最先端の女子高生がネットに移動したから。
ガングロが消えたのは、ネットでは美白のほうが映えるから。

情報環境も、家電業界も、美意識も、激変している。

それくらい変わるわけで、大学出てから18年も経てば、新しいチャレンジは必然。昔と違って、新しいことをまるっと任せられる新人若手は、そもそも数がいないし、自分でできるようにならないといけない。

そんな時代だから、そろそろ昭和な「不惑」を、孔子オリジナルの「不或」に戻したほうがいいと思う。

金原ひとみさんも、インタビューで語るのは、そのオリジナルな在り方だ。

「10代、20代は自分が何者になるか分からない状態での『どう生きるか』だけど、中年は『自分はこういう人間である』ということや、自分の限界も見えてきている。見えるからこそ、生きづらくなったり、幅を狭めてしまったりすることもある」

「自分を揺るがすものの排除によって自分を確立するところが若い頃はある。でも中年になると、確立しきった個を壊し、解体する方向へ向かわないと立ち行かなくなる。苦手だと遠ざけてきたものとふれあうなかで、凝り固まっている思い込みが溶かされていくのではないか

中年はどう生きるか、において大切なのは柔軟さだと語る。「時代や人の変化を受け入れ、対応していくことが強みになる」のだ。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD1072P0Q4A910C2000000/

これが本来の姿では。2500年前の孔子が自ら実体験し、そして弟子に説いた「不或」な40歳の姿だ。

「不惑の40」とは、昭和の日本という特殊な時代環境の中で、一時的に変身していた仮の姿であったのだ。

・・・

金原ひとみさんといえば、この ↓ ↓ ↓ 文才

https://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/bungakukai_prize.htm

このシンプルさ、新人賞の募集にふさわしい。両隣の男性作家が重厚論理的な解説をするのは、評価の客観性のために必要なことではあるが、それだけでは素人は怖い。中央の革ジャン女性の存在が必要。

同作品について、同じ日時場所でBusinessInsiderもインタビューしてる:

服とかも同じで、写真を比べると、写真家さんの技術やスタイルなどわかっておもしろいです。こちらは今回もトップ画像 ↓ の稲垣純也さん撮影。

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11/5-日経電子版のりましたー

https://www.nikkei.com/opinion/

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