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エズラ・ボーゲル氏の死去にMade in Japanの今日的な意味を考える


ぼくは、大きな主語を使うのを極力避けるようにしています。「日本は」「日本企業は」というたぐいですね。ただ、ぼくはイタリアにいて他の国と比較することが多いので、やはり「欧州の人々は」「日本の人々は」という表現をとらざるをえないことが多く、実は内心落ち着きが悪いです。

昨年12月、米国の社会学者エズラ・ボーゲルが亡くなりました。1979年に出版した「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の世界的威力はすさまじく、1980年代の「日本経済強し」の象徴的表現となりました。

ぼくは1980年代、日本の自動車会社で輸出の仕事をしていたので、いわゆる「自動車戦争」と騒がれたシーンをリアルに経験しました。そして1990年からイタリアにいるので、韓国車が日本車と誤解されることで市場でじょじょに認知を向上させていく経過もみています。一方、2000年以降、欧州で日本の家電製品がどんどんと存在感を失っていくー確か、2005年頃にあってプリンターとカメラしか目立たないという状況でしたーのも観察してきました。その経過は、下のグラフではっきりしています。

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英語の本にMade in Japanがどの程度の頻度で記載されているか。1980年代に急伸し、1990年周辺以降はひたすら下がり、今、1950年代と同じレベルになっています。そこで、冒頭に述べたように腰が据わるには少々苦労するのですが(笑)、ボーゲルへの哀悼の意をこめて、Made in Japanについて思うことを「後日談」の一つとして書いてみます。尚、あくまでもぼくの限られた欧州での経験と知識でほぼ記憶に頼って主観的に書いているので、違った経験と知識で主観的(!)に指摘くださると嬉しいです。

繁栄の裏にあるものを知るための日本文化研究

1990年、英国の北から南まで数々の大学を巡り、日本文化担当の教授たちにインタビューする旅をしました。当時、欧州のなかで英国の大学が一番、日本研究が盛んだったのです。その要因の一つは日本企業の欧州進出先として英語が使われる英国が選ばれることが多く、その代表がホンダ(1979年進出決定)、日産(1984年進出決定)、トヨタ(1989年進出決定)であったからでしょう。

この1980年後半から日本文化研究の動向に大きな変化がありました。それまで源氏物語のような古典文学か、川端康成や三島由紀夫の小説に惹かれる人たちが日本文化研究に向かいました。しかし、1980年代後半から「あの経済的繁栄を導く社会の裏にある文化的特質は何なのか?(Made in Japan成功の謎を解明する)」に関心のある人たちが増え、日本語や日本文化を教えるカリキュラムが充実してきたのがちょうど1990年でした。ぼくの友人も「あの盛り上がり感のある日本社会をもっと知りたいから、現代音楽家の武満徹を研究したいと思って1980年代後半に日本に留学した」と話していました。アニメファンが日本文化に興味をもち、日本について勉強したいという人が一挙に増える現象は、もう少し後です。

他方、日本国内で日本文化の発信の必要性は1970年代から議論されていました。「文明の生態史観」を書いた梅棹忠夫が講演会で「日本はこれまで受信ばかりだった。経済的レベルがあがった今、これからは発信に力を入れるべき」と語を強めていたのを覚えています。1970年代後半には昨年亡くなった劇作家の山崎正和などの文化人たちが、時の大平内閣のブレーンとして「ソフトパワー」の提言をしました。

だが1980年代の経済が絶好調の時、アートへのメセナや西洋絵画に大枚をはたくようなかたちで文化への関心を示し、欧州の日本文化研究のスポンサーをしたとしても、当時の日本企業が自分たちのメインの製品と文化発信を結びつけることはあまりなかったと思います(資生堂が1960年代に日本文化を意識するコンセプトの商品を出したり、無印良品が1991年、ロンドンに出店といった事例はありますが、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の主役企業が主流ビジネスのなかで文化発信に注力しなかった、という意味です)。

ですから、欧州の人たちが日本製の自動車や家電とそれに付随した経済繁栄イメージの「向こう側」に何があるのかを知りたかったのは当然です。当時、和食レストランは日本からの駐在員や旅行者がメインの対象だったのが、中国系の人が経営するスシの店に欧州人も集まり、「ああ、こういうカタチで普及していくのか」という感じで出始めたように記憶しています。

ここで1980年代の日本企業の動きから言えるのは、日本企業が主体となったビジネスに日本文化発信も射程に入れるべきとの意識が顕在化してきたのが1990年前後ということです。しかし、リアルにその姿が見えてくるにはもっと先です。

今世紀に入りビジネスを構成する要素が変わりはじめた

ご存知のように今世紀に入り、一般の人が目にするMade in Japanの製品はクルマかカメラに絞られていきます。エアコンは部屋の上の方にあり、手に触れるものとは距離があります。それ以外の最終消費財(機能製品)は韓国や中国のものに代わっていきます。1989年に米国で発売開始したレクサスが、海外市場において日本文化を意識してアピールするようになったのは、今世紀に入ってしばらく経てからでしょう。

しかし、そうした風景の変貌にもまして何よりも、1990年代からはじまったITの普及により、売れる製品の種類が変わりはじめたのが大きいです。ハードウェアとソフトウェアの組み合わせが重要になり、例えば、カーナビはそのハードのデザイン以上に、そこで表示される情報が最新か?それらが理解しやすいインターフェースで表示されているか?そこに自分の指示が出しやすいか?といったことが鍵になりはじめます。

したがって、レクサスのエクステリアデザインが仮に日本文化モードの何かにヒントを得ていることで、何らかの欧州人ファンに気に入られたとしても、運転席にあるカーナビが欧州人の頭の働きにフィットしていなければ、ユーザーにとってストレスフルで、かつそのストレスが自らか他人の命を危険に晒すことになってきました。カーナビのユーザーインターフェースがダサければ、エクステリアデザインもダサく見られる時代に突入したわけです。

それまで「高品質」「機能的」「適当な価格」がMade in Japanの高評価に繋がっていたのですが、そこに「的確な認知を導くかどうか」との要素に対応できるかどうかが加わったのです。異文化理解が強く関わります。しかし、その求められる要素変化にあまり敏感でなく、文化といえば「日本文化らしさの表現とは?」ばかりを(大平内閣の頃からすれば20年以上も遅れて)気にするようになったのです。1990年代から先端をいっていたはずの日本のカーナビが、2005年あたりを境に後発の欧州や米国のカーナビに後塵を拝することになったのは、まさしくこの部分の欠如でした。

2010年以降の文化発信は何か?

Made in Japanを牽引した産業だけに依存し続ける無理を一部の人だけでなく、多くの人も自覚しはじめるのが2010年前後ではないかと感じています。経産省にクールジャパンの準備室ができた頃ですね。それ以降、アニメ、漫画、日本酒、和食、工芸品など、それまで本格的に手をつけてこなかった領域で海外市場を開拓するための試みが多数出てきます。

確か2010年当時、「Made in Japan 」(日本で作る)かMade by Japanese (日本人によって作られる)かという議論も出てきました。機械製品の場合は管理を統括する「企業の本社所在地」が、食品や化粧品など人体に直接影響が出る製品は「日本人の衛生観念や味覚に基づいて生産された製品」といった基準を日本の外の人は気にします。タイで生産された日本メーカーのクルマは日本製ではないが、エンジニアリングと品質管理のレベルに信頼をおく。だが、食品ならば日本で日本人が生産した製品に安心感を覚える、ということですね。

それから10年を経て、和食のさまざまな食材や日本酒が普及してきました。その結果、10年前よりも気にしないレベル(ナンチャッテ寿司も美味い)、逆にレガシーとしてより気にするレベル(日本の寿司職人の腕に期待)、この2つが明確になってきたのではないかと想像しています。 

この期間に一つの大きな変化がグローバルレベルで起きました。

2010年あたりまではグローバリゼーション一辺倒で、「グローバル市場を狙わない企業は遅れている」「ローカル市場に拘るのはB級」であり、グローバルという普遍的な価値を受け入れる市場があるとの幻想が支配する空気がありました。グローバルをカバーするボリュームを支える論理があるはずだ、という幻想です。確かに生産設備の機械や一部の超巨大企業のある普及製品においては当てはまりますが、多くの企業には参考にはなれど適用は難しい。ここにおいて、日本の製造業分野の企業はおよそユニバーサルに通用する論理や感覚に疎かったので、一層、気持ちだけ焦るという窮地に追い込まれました。ローカルはダメ、グローバルもダメ、と。

しかしながら、2010年以降、身の丈にあったローカル市場を重視する機運が欧州でも広がってきます。日本でも工芸や地方文化への関心、あるいは分散型経済の意識も高まり、グローバルがダメだからローカルではなく、ローカルはローカルとして意味があり面白いという声も強くなっていきます。良く解釈すれば、地に足のついた考えが歓迎されるようになったということです。Made in Japanが海外向けのアピールだけでなく、国内向けのアピールとしても大切なものになりました。

そして2020年からのパンデミックでグローバルサプライチェーンの危うさを身に染みて分かった人たちは、Made in Japanの位置と中身の再確認の作業に入る必要を感じています。

参考にJapanese culture, Made in Italyと比較して考えること

先に紹介したように、Made in Japanの記載頻度が1950年代レベルです。これを気にするか気にしないか。どっちがいいのでしょう。少なくてもMade in Japanの謎を知るために日本文化研究に励みたいという人が減ったであろうことは確かで(そういう人は中国研究にいったでしょう)、そのかわり、和食やサブカルチャーで日本文化に関心が向かう人は増えたでしょう。ただ、和食ファンはMade in Japanにはあまりいかないのですね。インバウンド需要でも日本人気と言われたから、さぞかしJapanese cultureが伸びたのでしょうか?

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2000年を過ぎたあたりをピークに、これも下降線です。英語の本を読んで日本文化に関心をもち、日本に来る人が圧倒的に増えたわけではなかった(中国人は中国語の本で興味をもつ)と推測してよいかどうかは、もっとデータを調べないといけないでしょう。一つ感じるのは、Made in Japanと比較すると、でこぼこが少ないように見えます(2000年以降の以前の大きな減少は第二次世界大戦中だけです)。

グローバルサプライチェーンのマネジメントとはMade in XXXを消し去っていくことでした。それにも関わらずというべきか、それだからなのか、参考にMade in Italyをみると次のように推移しています。

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イタリアの貿易振興会がニューヨークでパスタのプロモーションを行い、「イタリアでイタリア人が料理するようにしなくてもいい。あなたたちローカルの習慣とやり方でどうぞ!」とローカライズ宣言(!)をしたのは1985年です。このあたりのタイミングから、Made in Italyが既にある程度の市場を個別企業の努力や組合の成果として握っていたところ、公的機関の本格的な海外市場促進がはじまります。主要産業は服、食品、家具・雑貨といったライフスタイル分野です(日本の政府が2010年以降に輸出促進に力を注いでいる分野)。

リーマンショックのあった2008年に一度下がりますが、およそずっと上昇しています。これは何を意味するかといえば、Made in XXXが相対的に重要でなくなったからこそ、逆に絶対的な価値としてのMade in Italyが注目されたと考えられます。因みに絶対的価値とタグを組むイタリア文化は以下です。

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Made in Japanを1人のビジネスパーソンとしてどう考えるか?


2021年以降、どこの国においてもMade in XXXの重要性が増すことは確かです。その時、日本のビジネスパーソンがまず肝に銘じることは、Japanese cultureとMade in Japanの両輪を視野に入れることです。殊にライフスタイル分野はそうです。特に日本は日本文化のグラフで分かるように1920年代以降に英語の本での頻度があがります。イタリアはその約100年前からです(イタリアの国家統一が19世紀後半ですが)。これがいわゆる「ソフトパワー」の有難味です。逆にいえば、日本のソフトパワーの恩恵に授かれない領域ではMade in Japanに無理しない、ということにもなります。

言うまでもなく、個々の企業の個々の人は「私はこれをやりたい!」という動機があり、それをもとにビジネスの構想を練るのが第1ステップです。全体のマッピングで自分のビジネスの方向を決める場合もありますが、ここで強調しておきたいのは、「私はこれはやりたい!」タイプこそが日本文化がどう認知されているかに配慮すべき、ということです。そこでどうすれば積極的に踏み込めるか多角的に検討することです。

もう一歩踏み込んでいえば、日本文化がどう認知されているかを知るのは、そもそも地域によってどう認知や感覚が異なるのか?という差異を知ることを前提にしなければいけないです。例えば、日本文化というと、よく日本の歴史や文化の本をまず紐解く人がいます。これはこれで重要なのは言うまでもないですが、日本の歴史や文化を含んだ世界の歴史や文化を学び直すことが、発想の最初にこないと行動原理をつくっていけないでしょう。ジャンルでいえば異文化理解の本を読むことです。

これは、最近、日本のモノを欧州で市場開拓していきたいと狙う人たちと話していて思うことの一つです。

写真©Ken Anzai









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