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なぜいいコミュニティ形成に「対等な関係性」が必要なのか【コミュニティ思考を語ろう③】

 Potage代表、コミュニティ・アクセラレーターの河原あずさです。コミュニティづくりの専門家として、ファンコミュニティづくり、組織づくりのお手伝いをしています。

 3月のCOMEMO記事から「コミュニティ思考」についてシリーズで語っています。今日は第3回目の記事です。(あわせて、Voicyで音声コンテンツも公開しているので、もしご興味ありましたらそちらも聴いてみて下さい!)

 複雑性を増す現代社会においては、つながりや共感が新たな価値を生み出す原動力となっていることに異を唱える人はあまりいないかと思います。コミュニティはそれくらい大事な概念になっていますが、いかんせん、体系立てて「なぜ今の時代にコミュニティや、コミュニティ形成に重要なマイン度セットが重要なのか」を語る文章は、あまり存在していないのでは?と個人的には感じています。だったら僕がやろう、という動機で連載コンテンツとしてこの「コミュニティ思考を語ろう」を書き始めました。

 僕は、社会が今直面している課題への対応策を見出し、より豊かな社会を築くための鍵が「コミュニティの力」にあると確信しています。このコミュニティ思考に関する論考が遠くない未来に、より個々人や社会の可能性を解き放つきっかけになることを祈りながら執筆するので、どうぞ3回目もどうぞご笑覧下さい!

連載の第1回は↑です!ぜひあわせてお楽しみください!


対等な関係性の構築: コミュニティ思考の第二原則

 今日はコミュニティ思考の3原則の2つ目「仲間と対等に接する」についてお話しします。

ビジョンを行動基準にする
仲間と対等に接する
仲間のためにも行動する

 初回の記事でも紹介した通り、コミュニティ思考には3原則があります。そして前回は「ビジョンを行動基準にする」について解説しました。これは「自分で何をすべきかを決め、自分の価値基準に照らし合わせて最適な行動を選択する」ということです。「10倍の夢」という、自分起点の「小さな夢」をスケールアップして、ビジョンを言語化する方法についても解説をしました。

 この「ビジョン」が、コミュニティを形成する上での基礎になります。ブレなく生きていく上で大事になってくるのはもちろんですが、何かを実現したいとなった時に、たった一人ですべてを叶えることは難しいですし、昨今、ますます状況も複雑になってきていて、複雑な専門性も必要になってきます。

 もちろん、1人で企業を運営されている方やフリーランスの方もいますが、そのような方でもビジネスパートナーやクライアントなどが必ず存在しています。そもそも、生きるうえで、自分一人で生活が完結することはありません。家族や友人の存在はもちろんのこと、1人暮らしをしている人も、日常生活の中で、何かしらの形で他者と関わりながら生活しています。この点については、異論を唱える方はいないと思います。

 では「他者とより良い関係性を結ぶ」ためには何が必要でしょうか。そのために必要なのが「対等に接する」という今日のテーマになります。

 「対等に接する」ときいて、どんなコミュニケーションを想像するでしょうか。例えば「上から目線で物を言わない」「ちゃんと話を聞く」「何かを押し付けない」「騙そうとしない」「嘘を言わない」といった基本的な動作が大事なのは、イメージがつきやすいと思います。しかし、その前に根本として、大事なことがあります。

 それが「自分を知ること」です。

 まず自分を知り、それを言語化し、逆算して考えた時に自分が今どんな行動すべきか、その行動を実行するためにどういうリソースが必要かを自分で把握した上で周りとコミュニケーションを取ることが、対等なコミュニケーションを周りと築く上では大事になってきます。

 自分を知ることで、自分のことを適切に伝えられるようになります。そして、周りの人たちが実現したいこと、夢、ビジョンに対する興味も同時に湧いてきます。対等な関係性を結ぶうえで大事なのは「お互いの言語化した自分自身のビジョンを交換しあう」ことなのです。

 コミュニティ思考を体現する上でまず大事にしてほしいのは「自分が何をしたいか」そして「周りにいる人たちが何をしたいのか」「何を目指しているか」「今どういう価値基準を持っているか」「どういう行動を進めるのか」などなど、自分や他者の抱えているバックグラウンドを的確に把握していくことです。

 それができるようになると、周りの人たちとのより精度の高いコラボレーション=「協働」ができるようになります。理想的な協働のためには、一言で言うと一緒に動くことでお互いに大きなプラスがある状態を作ることが非常に大事になります。

 ただ、その関係性を実現するためには、自分が根本的に何をやりたいか、どんなビジョンを持っているか、そして一緒に仕事をする相手がどんなビジョンを持っているか、どんな行動をしたいのか、それらをしっかりと把握した上で、お互いに重なる部分を見出して関係構築することが大切です。これがコミュニティ思考の二番目の「仲間と対等に接する」ということの本質なのです。

「仲間」と「対等」から見えるコミュニティの関係性の本質

 次に「仲間」という概念について解像度を上げて解説します。皆様は「仲間」と「友達」の違いについて、どのように理解しているでしょうか。

 辞書的に言うと、友達は「一緒にいて気楽で楽しい人」、仲間は「一緒にある目標に向かって努力する中で、お互いに人間として高めあい、つまずいたときにはいつでも支え合える相手」のことと定義されます。ここから理解すると「友達かつ仲間」は存在しうるけど、すべての友達が「仲間」かというと、そうではないということになります。どんなに親しくても「一定の期間でも、同じ目標に向かってお互いに刺激を与えながら成長しあう」関係性がないと、仲間にはなりえないということです。

 もちろん、存在しているだけで尊い、お互いに存在を確認しあえるような「友達」はとても重要な存在ではあります。友達と仲間に、それぞれ優劣はありません。しかし、コミュニティ思考においては、コミュニティを「相互に関係しながら共通のゴールに向かう集団」と定義していて「仲間とのコミュニケーションの構築や、仲間を生み出すスキルが、人生を豊かにする」という価値観を重要視してます。「友達だけではなく、仲間を増やしていきましょう」というのがコミュニティ思考における重要な行動様式なのです。

 もう一つ考えたいのが「対等」の定義です。これは「平等」という言葉との意味の違いを知ると、より理解しやすくなります。

 辞書的に言うと、平等とは「わけへだってなく相手の立場を尊重し、相手の存在を認めて受け入れること」となります。「みんなと平等に接しましょう」というと、肌の色や宗教、出自が違う人でも、相手を同じ人間として尊重し合う関係を築きましょう、ということを指すのです。

 一方の対等は「相手と立場や力関係が同等で、同じ目線に立てている状態」という意味になります。つまり、相手と自分の立場の上下優劣が、ほぼイコールである状態のことを言います。コミュニティ思考において大事なのは、お互いの均衡をとりながら、原理原則としてはできるだけ等しくリソースやスキルを持ち寄って、コミュニティに対して貢献しようという姿勢なのです。相手が1を持ち寄ったら、自分も1を返すというのが、コミュニティ思考の基本的な考え方になります。

 この対等さに不均衡が起きると「搾取」と呼ばれる状態が生まれます。より楽をしながら、相手からより多くのものをとっていったり、立場を利用して自分だけが有利な状況に立とうとする態度が「搾取」です。

 搾取状態を生まないためには、できるだけ特定の誰かにパワーが偏ったり、まったく関与せずにただ情報や人脈だけをとっていく人が生まれたりしないように「参加者全員ができるだけ等しくギブを持ち寄る状態」を生み出すことが大事になります。対等さの種類はコミュニティによってさまざまなので、それぞれの定義が存在するものですが、少なくとも一方的に消費する参加者や、ただで乗っかる人や、少ない労力で多大なリターンを得ようとする存在を区別する態度が必要になってきます。

 コミュニティ思考において「平等」という概念を持ち出さない理由はここにあります。ギブを持ち寄らない人まで等しく扱おうとするとコミュニティの中に不均衡が起きて、信頼関係の構築が破綻しかねないリスクを有しているからこそ「平等」ではなく、リソースを持ち合える人(仲間)同士の「対等な人間関係」を重要視するのです。

 今回の記事ではコミュニティ思考3原則の2つ目「仲間と対等に接する」について語りました。次回は「仲間のためにも動く」について解説します。引き続きお楽しみいただけますと幸いです。

対等なコミュニティ形成は本当の意味での「学び」を生み出すという記事です

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